『愛と平和』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
ラブアンドピースは、反対しようがないと言うか、……
何か運動されている人ならエールの1つも送るくらいのものだと思う。
ただ「戦争反対!」って、言ったところで反論しようもないけれど、
重要なのはそこじゃない。
ラブアンドピースと言えば、始めたのは60年代のヒッピー文化で、
当時アメリカはベトナム戦争を行っており、18歳以上の若者たちは徴兵義務を負わされていた、
黙っていたら自分たちが死ぬかも知れないし、誰かを殺さなければならない、
その反戦運動は、ベトナム戦争のカウンターカルチャーだったと言って良い。
彼らには闘う理由があったし、人生がかかった戦いだった。
しかし、ヒッピー文化と言っても、素晴らしいものもあれば、あだ花みたいなものもある。
それが日本に伝わった時、徴兵義務のない、軽薄な若者たちは派手なファッションや、フリーセックスや薬物に手を伸ばして、
ポーズやファッションだけ真似して「ラブアンドピース」言ってれば世間に通用するんだ、
なんて言ってる人がいたら、そりゃ違いますでしょう。
実際、その頃そんな風潮が巷にあったらしい。
ちなみに、そういう風潮を嘆き、ヒッピー文化に更なるカウンターカルチャーとして生まれたのが、梶原一騎に代表されるスポ根マンガなのである。
あの、やたら「根性、根性」と言ってたのはカエルではなく星飛雄馬さんだったのである。
これまた、新しい若者の価値観としてある程度定着したのである。
ベトナム戦争が終わったら、ヒッピー文化も衰退した。
世の中そんなものだ。
愛と平和
どっちもないと成り立たないんだよね。
愛が無ければ、平和でないし。
平和でなければ、愛は無い。
愛が有れば、平和でなくてもいいのか?
平和であれば、愛が無くてもいいのか?
って状況には、まずならない。
いつか世界に、愛と平和が満ちる日が来れば良いなぁ。
愛と平和(3月12日)
愛と平和 どっちが大切?
それは平和かな
自分が主に関わる愛よりも
たくさんの方が関わる平和の方が
いろんな方が幸せになると思うから
みんなが幸せになったら僕も幸せだから
愛と平和
私!今日は朝からめっちゃ頑張った!
もうヘトヘトなの…でも夜は娘の誕生日会しないと…
だから今日はピザにしよう!誰かーピザ屋さんまで取りに行って来てー
我が家の「愛と平和」のために…
大人になってからしか
気がつけなかったけど
結局
アンパンマンの歌って
めちゃよくない?
愛と平和
どちらも不確かなもので
証明するのは難しいもの
愛も平和も独りでも
想うこと願うことは出来るが
寂しく苦しい…
結局のところ
2つが共鳴出来たときに
真の愛と平和が訪れる
相手があってこその
愛と平和
人間もこの世に存在する全てのものは
単体では真のこの2つを手に入れることは
不可能なのかもしれない…
⚠毒、事情匂わせ表現があります。
-愛と平和。
みんなみんな、愛を親愛や家族愛、恋愛と勝手に結び付けて、勝手に温かいものだと思い込み、
イメージ付けしている。
暴力や目に見える怪我を負わせず、自分にとって都合の良い道具として彼女を愛せば、彼女からすればそれは間違いなく愛である。
家庭を持てば彼女にとってそれはきっと、温かな愛ある絵に描いたような幸せそのもの。彼氏に
とってはきっと面倒な錘そのものだろう。
今から産まれる赤子は産声という名の悲鳴をあげる。
彼氏が今後を全てを斬り捨てる選択を取れば、
彼女の望み焦がれ夢に見た、一枚の紙でしかないペラペラな家庭は崩れ去る。
赤子は残念、一か八か運ゲームのような結末を受け入れるしか術がない。
決断全てを彼に委ね嫌われないために必死の彼女は決定権を今まで握っていた彼が消え…上が消えた組織が消滅まっしぐらルートを歩むのと同じく
仲良しこよしで倒れていくことだろう。
本当の愛、真実の愛。
それは道具として愛せば本当の愛になる
--嘘を信じ込んでる間はそれが真実
似た言葉ならどこかで耳にしたことがあるかもしれないが……いまあげたような恋仲以外の関係性でもそう。
愛と平和、だなんて
並べてる時点で、一人一人が意思を、
心を、脳を、本能を持ってる時点で成り立たないのだ。
そんなことを考えたのはどちらか、ラベンダー
の香りを漂わせる蝋燭に息を吹きかけ、
白色の壁に映し出されたオレンジがゆらりと
揺れた、直後訪れる暗闇。
視界の端でコソコソと動く自分より一回り以上
大きい身体に触れれば、ピトッと密着した肌から伝わる温かい体温を忘れないよう、離さないと
言わんばかりに抱きしめて男女の影が沈んでいく
◇・-・・・ --・-- -・--- --・ ・-・・・ --・-- -・--- ・- ・-・・・ --・-- ・- ・-・・- ・-・・・ ・-・・ ・・ -・--- --・ -・・- -・・- ◇
じぶんの目にうつった自分のかお。
ピキっとひびが入ったカガミの近くには、まっかなりっぷ。お母さんがだいじそうに持っていた
はーとのカード、ピンク色のちっちゃいおもちゃ
むかーしむかし、おかあ さ んといっしょに歌った
ゥた。
この歌はまえにベランダで、すのーどろっぷの
お花をくれたお母さんとお父さんが。
歌ってくれたもの。
くれたもの。
私のたからもの。
わたしのたからもの。
ねえ、やめて。くらいのはコワいの。
クラくしないで。
あ
しゃあボン玉、とんだ
やぁねまでとんだ
やねぇまで飛んで、こわれてきぃえた
かぁーぜかーぜふくな
シャボン玉、きえた
『愛と平和』
巨匠Kの超大作映画が今日から公開された。
愛と平和をテーマにした家族の物語だ。
妻と一緒に映画を観たのは何年ぶりだろう。
映画を見終わった後、俺は感動の余韻に浸りながら
手洗いに行った妻を出口で待っていた。
「亮くん♪」
突然背後からまなみの声がした。
「こんな所で会えるなんて嬉しい♪
この前の旅行楽しかったね。今度はいつにする?」
おいおい、辞めてくれ。
今は妻と一緒なんだ!
時既に遅し。
手洗いから戻った妻に一部始終を聞かれ
浮気があっさりとバレた。
その後、我が家から愛も平和も無くなった。
Theme.愛と平和
このふたつありで
なりたつもの
俺の師匠はそういうけど、
一つが欠けててもおかしくないよなー。
愛も平和もいつか壊れてしまうもの
修復することもしないのも
人それぞれ…で済む問題なら壊れやしないよな?
愛と平和はイコールで繋がっているのか
繋がっていると答えたい日も
繋がっていないと答えたい日もある。
そのときの気分で変わると思う。
でもきっとイコールで成り立つことは無いんだろうな
なんて考える。
どちらも難しいからね。
─────『愛と平和』
愛と平和、どちらが重いと思う?
1部の人は愛が重いと言うだろう
1部の人は平和が重いと言うだろう
でも、天秤にかけては分からない
何故かって?
結局、どちらも重いから
愛と平和、どちらも平等な重さがあるからだ
愛で平和とか無理じゃない?w
例えばアイドルにはリスナーがいるじゃん
アイドルはみんなにlikeを届けてる
でもリスナーはloveを届けてる
それで付き合いたいとか言って他のリア恋勢が
「〇〇君は私の彼氏なんだけど」とか「私の〇〇君取らないで」とか言って他のガチ恋勢と言い争いになる
愛ってめんどくさいね
でも本当に好きなら諦めずにどんどんいくと良いかもね、
ガチ恋勢の人はあんまりSNSにあげない方がいいよ、
全てを愛して、世界の平和を願って。
そうすれば、みんなもっと幸せになれるのかもしれない。
――とは思うけども。
「滅べー!」
どうしたって許せないものはある。
「滅べ! スギ! ヒノキ!!」
目や鼻をぐしゅぐしゅさせながら今日も心の中で叫ぶ。
冬から春にかけて飛ぶ花粉。夏に飛ぶ蚊。年中その辺に隠れていて自分達を怯えさせるG。エトセトラエトセトラ……。
とにかく、愛だけじゃどうにもならないこともある。心穏やかに過ごせるような、平和なんて程遠い。
早く花粉を飛散させないようなスギやヒノキが出来ますように……。
『愛と平和』
愛があれば平和になるって考えの人も。
愛のせいで平和が崩れ落ちるって考えの人も。
考え方は違うけど同じ人間で。
分かり合うことが出来たらいいな。
「愛と平和」
愛と平和
ラブアンドピース
平和な日本に産まれたことに感謝しなさい
みたいなの、すごく苦手。
おまえは恵まれてるし幸せなんだよって。
とりあえず、その言葉の敵意が苦しい。
平和かって聞かれると
総合的には平和なんだけど日々細かい妬みや憎しみや争いがあったり
自分の中で戦争が起きているときもある
完全平和を成し遂げるためには
愛があればいいんだろうな
いや、妬みや憎しみや争いまでも愛せばいいのかしら
そんなんできる気がしない
とりあえず与えたい所に愛を与えて
私の周りだけ平和になればいい
【愛と平和】
愛と平和…
Happy, happy, now you see
I can sing my Love Song
次は一緒に歌ってほしい
愛があることが平和につながる
反対に愛がは憎しみにかわって争いにもなる
一月は行く、二月は逃げる、三月は去る。
ついこのあいだ初詣行ったのに。バレンタインのチョコ買ったのに。ひな祭りしたばっかりなのに。早いよねーっとカレンダーの前、パートのおばさまがたが悲鳴を上げている。
この言葉、使うのはもっぱら女の人という気がする(男は嘆く前に黙々と手を動かす……気がする)。
うちでも法事やなんかのたび祖母や叔母たちが口にしていた。祝儀も不祝儀も、親戚の集まりではとかく女手がいるものだ。
その横で父は「酒が飲める飲めるぞ、酒が飲めるぞ~」と歌って睨まれていた。
(過ぎ去った日々)
子どもの誕生日には「◯月は誕生日~で酒が飲めるぞ~」と替え歌を歌ってくれるのが嬉しかった思い出。
(バラクーダ「日本全国酒飲み音頭」より)