『子供の頃は』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
子供の頃は友達と放課後に遊ぶのが当たり前だった。
ランドセルを玄関に投げて遊びに行く。
これが毎日続いた。
でも、私たちが中学生に上がった頃、
放課後は部活動で皆の時間がバラバラになった。
私は文化部だったので、部活動があっても早く終わる。
他のみんなは、校庭で楽しそうに走ってる。
私もその輪に入りたい。
今も子供なんだけど、環境が変わったから人付き合いも変わった。
高校生になった私たちは皆バラバラになった。
中学生の頃と違って時間がバラバラになっただけじゃなくて行く場所も変わった。
学校に行っても知らない人ばかりでさらに人間関係に悩まされた。
高校生は子供か大人か分からないよね、
でも私にとってはまだまだ子供なんだと思う。
高校を卒業した私たちは、自分の将来のために動き出した。
働き出した人もいれば専門学校や大学に行った人もいる
もう私たちは子供じゃない。
立派な大人だ。
だから、自分の行動、言動には責任をもたなきゃいけない。
気軽に友達と遊びに行こうだなんて言えない。
その前に、友達なんているのだろうか。
大人になっても会える友達が…
大人になって気づく。
子供の頃は無邪気で辛くても周りの人の支えもあって乗り越えられた。
だけどね、大人になった私たちは辛いことがあっても1人でどうにかしないといけない。
嫌になったから辞めるとか休むとか簡単に出来ない。
だから子供の内に友達と遊んで欲しい。
大人になって後悔するから。
楽しい時間を今のうちに過ごして。
fin
今です
まだなにもかも分からない、
この広い世界をずっとさまよっている
自分を探している
子供の頃は
子供の頃は早く 大人になりたかった
ただひたすら 大人に憧れた
現在 アラサー
恋人なし
給料低し
人間関係 面倒臭い
子供の頃は 大人は スーパーヒーローだと思ってた
現在 アラサー
仕事でミスして 怒られるし
寝坊で 遅刻して 怒られるし
大人になった今
子供の頃憧れた 大人になれてる?
子供の頃は
子供の頃は親が正しいと思っていた
大人は凄い人達なのだとも思っていた
しかし自分が大人になり
大人はそんなに強いものではない
という事を知った
みんな子供の頃と変わらず
失敗を繰り返しながら生きている
許し合うとか
支え合うとか
なかなかできないまま生きている
しょうがないよね
短い人生そんなすぐにこんな難しい精神論できるようになんてならないよ
そう言い聞かせて
自分を許して子供も大人も生きて欲しい
子供の頃は
幼稚園児のワタシはわがままだった。
小学生のワタシは真面目で
図工は納得いくまでやり直す子だった。
中学生のワタシは、私ってこの程度だと
できない自分を許していた。
高校生のワタシは、手の届く範囲で
頑張る子だった。
大人になった私は、背伸びをして
頑張る人になった。
もっと大人になった今は
自分らしく頑張れる人になった。
子供の頃のワタシよ。
大人になった私は
なかなかの頑張り屋さんだよ。
子供の頃はよく筋トレをしていました。
小学生の時にワンパンマンというアニメに憧れて毎日百回腹筋していました。
そのおかげで今は腹筋の力がそこそこあるのが自慢です。
子供の頃は
僕が子供の頃に遊んでいたゲームについて話したい!
・スプラ
・ピクミン
・妖怪ウォッチ
・トモコレ
・リズム天国
・マリオカート∞
とか...?
懐かしい、、WiiUと3DS世代です。
今す〜ごくリズ天とトモコレがやりたい。
なんか創作じゃなくて、毎日お題に沿った日記になってて楽しいようなこれでいいのか?というようなw
知らないことばかり
初めてのことばかり
楽しいことばかり
どんどん歩く 追いかけると飛び立つ鳥
道端に落ちている 触るとジジジ暴れるセミ
踏めばカサカサ 風に舞い上がる枯葉
ある朝突然 真っ白な世界 冷たい冷たい肉球
今はもう 何でも知ってる
自転車の音 バイクの音 トラックもへいき
カミナリと花火はちょっと嫌だけど
いつも家族といっしょ 何も心配ない
最近仲間入りしたおチビさん
まだ何も知らないみたい
尻尾ふりふりついてくる
噛んじゃだめだよ 吠えちゃだめ
こっちにおいで いっしょに遊ぼう
楽しいことだらけだよ
「子供の頃は」
#449
漠然と なりたい姿 夢みてた
今との差には 笑うしかない
【子供の頃は】
『小さな頃』
蟻地獄に出会って 密やかな遊びを覚えて 布団を迷宮に変えてしまう そんな力が確かにあった 魔法使いというよりか魔王だな あの広い敷地はもう
家ばっか 家ばっか マンションがそそり立っている
#子供の頃は(2024/06/23/Sun)
こうえんがあるよ ブランコあったら乗りたい
あると良いね 最近は無い所もあるから
どうかなあ あった! うれしいなあ
後ろから押してあげようか
もちろん 押さなくていいよー
そか 1人でもしっかり揺らせるか
のってよ、並んでおしゃべりしよ
うん そうだね (何を話そう)
ここは鉄棒とかもあるね 無い所増えたけど
箱ブランコってかなり前から消えたね
ろまんちっくな話とか友達としてた 残念ね
僕はやたらに漕いでた 危ないのにさ
本当に危ない事を何も考えないでしてたな
もしもあったらもっと近くで話せたのに
わたしは左利きです
お箸を持つ手は右に
文字を書く手は右に
普段は寡黙な父親が
直すように注意して
大人になったのです
使途に応じて右か左
林檎を剥く時は右で
野菜を刻む時は左で
球を投げる時は左で
打席に立つ時は右で
子供の頃使っていた
真っ赤なグローブは
お下がりではなくて
私だけの宝物でした
懐かしい思い出です
『子供の頃は』
子供の頃は、恥ずかしがりで人前に出ることが苦手でイジメられることもありました。そんな中私の助けとなっていたのは幼馴染でした。
子どもの頃は、貴方を大きな人だと思っていた
大人になって、恋人になって、貴方に勝って
思っていたよりも、ずっと脆いと気がついた
貴方も、そしてボク自身も
それからは、優しくなりたいと思った
病めるときも、健やかなるときも、貴方を守って
思っていたよりも、ずっと永く一緒にいると決めた
貴方はどうか、一生ボクに追いついてきて下さい
子供のころは
できなかったこと
いまはできるようになった
子供のころは
できたこと
いまはできなくなった
何だかいつの間にか自由と
窮屈を手に入れているんだ
でも、大人の方が楽
楽を目指して大人になっているのかな
それは、子供からみたら汚い大人だ
小さな靴の
かかとを踏んで
動くぼくの影に
カエルが飛び跳ねる
夕立のあと
門限を過ぎた
明るい帰り道
ぼくを呼ぶ
声が聞こえる
【子供の頃は】
子供の頃は
あんなに
信じる力があったのに
許す力があったのに
受け入れる力があったのに
いつからこんなにも
欲と羞恥心と偏見に固められた
怪物になってしまったのだろう
耐えられなかった。
だから僕は1番信用出来る人の元へ行く
「あーつーいーよ」
「やだ、」
「どけよぉーじゃまだよぉー」
「....けち」
彼は何事も無かったかのように
再びスマホをいじる
嗚呼こんなつもりじゃないのに
彼の肩を濡らしていた
【限界メーター】
【子供の頃は】*16*
幼い頃から想像、妄想が大好きだったかな
妖精や小人は見えないけど側にいるって信じてた
保育園の頃は…やらかしてたなぁ笑
保育園に行く途中で田んぼに埋まって出られなくなったり
自転車3人乗りして大ケガ・・・もうやめとこっ
えーっと、まとめるととってもイイ子でした笑
こんなだけど、ピアノ、習字、日本舞踊などなど色々やってたんだよね
でも小、中で陸上とバスケに夢中になってやめちゃったような
中学に入って少しずつ見た目を意識するように…
で、日焼けする陸上は卒業!
受験はそれなりに頑張った
あんなに苦手だった数学たけど、塾で勉強の仕方がわかって急激に点数上がったのにはビックリ
音楽、図工、体育は何もしなくても良かったのになぁ~受験には関係なし
英語は・・・一生日本に住もうと決意したルベル笑
そう、国語だけは全国5位以内に必ず入るくらい得意だったんだよね、これだけ!
文章を書いたり、理解する力はあったみたい
読書感想文とか後書きだけ読んで賞とったことも笑
絶対言えない
高校はバスマネに♪
ちゃんとした彼はこの時が初だった気がする
これもまた予想できない展開だったんだよね
詳細は覚えてないんだけど、入学式の夜に電話かかってきて付き合って欲しいと!
いや、なんなら斜め後ろからの顔しか見てないんだがっ
ってか、子供の頃の子供はどのあたりよっ笑
その後、それなりに一目惚れ、モテ期、色々な遊び、お酒の飲み方…などを経験し、今に至ります♪
成長してんのかなぁ〜笑
子供の頃は
自分は何故か特別な使命を受けて生まれてきたのだと妙な感覚があった。
家族との間も自分だけが違和感を感じていた。
よその家の事を知ったり、学校へいくようになるとその違和感は大きくなった。
まぁ、頭でっかちの世間知らずのコミュ障だっただけだと今は思う。そう、思う事が一番の落とし所だ。
亡くなった妹は友達がすぐ出来るタイプだった。
私にはそれは出来なかった。怖かったのかもしれない。
読書…本ばかり読んだ。分からない事は本を読んだ。
誰かに相談する事はいけない事のような気がした。
あまり裕福ではなかったが、食べるのは困らなかった。
でも、学費がかかるようになるとあまりいい顔はされなかった。高校は自分で奨学金申請をして、さも、親が書いたような顔で提出した。妹は中学を出てすぐ就職した。そうしたら、会社が合わなかったみたいだった。
精神科に通うようになり、休職した。
大学も奨学金を申請して後は受かるだけだったが、
ある日、浪人しても生活費はいれろと。予備校も塾もそんな雰囲気じゃなかった。
結局、国立一本だったがダメだった。進路指導の先生に就職するといって、探してもらって今の会社に潜りこめた。
それから、妹の病院や退職の話は何故か私が対応していた。弟は高校には行かず専門学校に行くとなったが、学費は私が工面した。
両親のこの頃の記憶があまりない。
結婚する時、費用は全て自分で用意して、参列する家族の衣装も買った。祖母が母に祝儀を預けたと言っていたが、私の元には来なかった。
もらっておいたからってその事だったのか。
会社で、母がいなくなったら生活ができないから困ると言っていたらしいとか余興のカラオケで別れの歌を散々歌い、自分の舞台にしていたと聞いた。自分の娘にする態度かと言われていたらしい。
どうしていい話しを思い出せないのかな。
きっと楽しかった事もあったはずなのに。きっと楽しかった後に何かあったんだな。誕生日に妹にだけ、ケーキを買ってきたのは父で弟だけ幼稚園にいれたのは母で
雛人形も鯉のぼりもなかった。
定年を迎える今になってもこんな事思うが、両親はきっと、人と上手く付き合えなくて知らない事が多かったのではないか?真面目だけど…子供らしい子供じゃなかったし、お姉ちゃんだから我慢しなきゃいけないと勝手に思ってたから、きっと扱いにくかったのかも。
子供の頃は と、いうか養われていた時も、そう言えば周りから浮いていたから、一緒か。まぁ、いいか。
子供いなくて良かった。同じ事になったらかわいそう。