『子供の頃は』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『子供の頃は』
大きくなったら何でも買えると思ってた
欲しい物は全て手に入るものだと
現実は・・・・
働いてもお金は残らず
欲しいと思っても手に入らないまま
これじゃあ子供の頃と同じだね
子供の頃は
夜が明ければ1つ大人になれた気がして
待ち遠しくて仕方がなかった
でも今は
夜明けが怖くて仕方がない
何時までも来ないでと願う夜明けの
昇らない太陽に安堵して
私は今も子供のまま
小さい頃に憧れていた腕時計は、
時間を測るものになってしまった。
(子供の頃は)
子供の頃は
なんにも知らなかった。
良くも悪くも。
今もまだ子供だけどね。
これから先の人生。
知りたいことも知りたくないことも。
どんどん知っていくんだろうな。
今回のテーマ・子供の頃
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子供の頃といえば、ぶっちゃけ私は
小学生の頃が一番人生上手く行ってたと思う
クラスの子で仲悪い子一人もいなかったし
四年生の時は初めて彼氏が出来たしね
あの頃のままずっといられたら楽だったのにな
どこで人生間違えたんだろうか
結局その彼氏は引っ越しと同時に音信不通になって
今はどこで何してるのかも分からないし
小学生の時の子はみんな散り散りになっちゃって
一部の子以外どこ行ったか分からないしで
今思い出すとしんみりするな
子供の頃は実に自由だったのだよ。
友達と遊んで
勉強も嫌がりながらもして。
大きな夢を抱いて。
だが、大人になるにつれて
夢は壊されて現実を見るようになる。
自分の限界や実力を見て
何もやりたく無くなるのでした。
きっと、子供のように
きらきらと輝く目は
もうできないのであろう。
-子供の頃は-
何でも楽しかった
何でも悔しかった
何でも悲しかった
何でも全力だった
全てが私自身だった
表と裏が別れた頃
少しずつ手放さないと
居場所がなかった
この掃き溜めみたいな四角い箱に
子供の頃は
なんでもできると思ってた
怖いものなんてなかった
大人になるほど
怖いものが増えていった
子供って最強だな
子供の頃は何も知らなかった。
今思うとそれは幸せでもあり、不幸でもあった。
知りたくなかったこともある。
知ってよかったこともある。
それ全部含めて、今の私。
今私は同じクラスの子に恋をした、その人とは初めての同じクラスで席も隣だったけど今は少し離れている。あるお友達から連絡先を教えてもらって時々連絡をしても『部活お疲れ様』の一言ですぐに終わってしまう,どうせなら少しでも長く話していたい、あの人の声はなぜかすごく落ち着くし暖かく感じる。自分は好きだけど多分あの人は興味がないと思う。片想い少し辛い,いつかあの人は他の人と幸せになると考えるとどうしても怖くて辛く感じてしまう,これが片想いか、、、
屋上のフェンスの外に立って
残酷な世界を見下ろすことなんてなかったのに。
いつの間にかなくしてしまった
幼ごころの代わりに
なにが取って代わって
ここにおさまっているのだろう
なにをも疑うことを知らぬ
純真無垢な心
それは天へ通じるものともいう
どれだけ知識を得たとしても
どれだけ真実に近づけたとしても
あの子どもの頃の
純一無雑な瞳
あの濁りのない光を
ふたたび宿すことはできない
ああ あの日々よ
光に満ちた懐かしい日々よ
それでも
天への道は今 開かれている
今の自分を愛してこそ
過去の自分をも愛せるのだ
あの頃も 今も
同じひとつのたましいなのだから
#子供の頃は
子供の頃は、期待されるのが嬉しかった。
期待に応えなきゃ。
そう思ってたくさん頑張った。
でも、期待に応えられなかった。
その時の、目が怖かった。
だから今、期待されるのがとても苦手。
勝手に期待したくせに、
なんでそんな目で僕を見るの…?
「またあしたね!」「ばいばーい」
お決まりの台詞を交わしながら夕焼けを背負い、今日も夜ご飯と家族が待つ所へと帰ってゆく。
鼻腔をくすぐるいい匂い。今日の夜ご飯はなんだろうな、なんて考えながらトントン、と聞こえる料理の音を聞いていた。
ごはん食べたら宿題やらなくちゃ、今日はこのアニメの日だ、などと慌ただしく、けれど毎日がキラキラしていた。明日を待ち遠しく思いながら眠りにつく。
子供の頃は
子供の頃は
すでに背が高くて
【後ろから前習え】は
だいたい一番後ろにいたなぁ。
子供の頃は
公園で
自分の家が何畳で
いくつあるって
書いてたのは
私だけじゃないはず?
子供の頃の引っ越しで
在所に住んでたら
小学校が目の前で
ブロック塀を
ぴょんとひとっ飛び。
子供の頃は
誰よりも
無敵。
10年後、20年後に
色んな人と出会った自分が
あの頃は______
って思い出すんだろうな
人の心は簡単に変わるものだから
信じるには信頼と覚悟がいる
子供の頃は
って
今もまだ子供だと思う
子供の頃は、漠然と大工になりたいって思っていた
そこに行き着くまでの過程なんてなんにも考えずに
そもそも何故大工だったかというとものすごく安直なのだが
私の地元では新築の基礎が出来上がる段階あたりで一つのイベントがあった
屋根部分に大工がのぼり、そこから餅やら小銭やらを撒くというものだ
子供の頃はお金や餅をもらえることもそうだが、屋根の上で撒く大工がカッコよく見えた
だから小学生高学年までの私の夢は「大工さん」だった…
自分が高所恐怖症だと知るのはその2、3年後だ。
子供の頃は、いつも周りの大人の顔色を伺っていたと思う。子供なりにどんな行動、どんな言葉がその人を喜ばせるのか、逆に怒らせるのか一生懸命考えていて、間違ってしまうととても怖かった。
あの頃の私へ。あれから10数年経って、自分の考えにも少し自信を持てるようになった。でもね。今でも人の声や言葉が気になって、言葉を発するのが少し怖いんだ。いつかその呪いが解けますように。