『子供のように』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
子供のように
子どもの頃は大人がキラキラ憧れ!
大人に近づくにつれてあの子供のような憧れがなくなり、大人の嫌な部分が見え、大人に反抗してしまう自分。あぁあの頃の子どものような純粋な心はいったいどこへ行ってしまったの?
子供のように周りを気にせずいたい 人の目ばっかり気にして疲れる
気にしなさすぎもどうかと思うけど 大人になっても子供のように遊んでいる人は楽しそうに見える 無邪気 好奇心旺盛
玄関の靴を
こっそり隠したっけ
今でもそうしたくなる
ずっと一緒にいたいから
「子供のように」
#489
「思いっきり甘えられて、子供みたいに振る舞える相手が、本当に相性がいい人」
そんな文字列を目にして、スマホを撫でる手を止めた。
ああ、私はきっと幸せな恋をしてるんだろう。
彼と一緒にいる時の感覚を思い出してそう思う。
わがままもたくさん言える、甘えたくなった時に甘えられる、辛くなったら寄りかかれる
私が一番子供でいられるのは、彼の前。
なんだか、親にもできないくらいに甘えていて。
二人きりの時の甘えた声はあいつしか知らない。
あいつの前の私はきっと誰より子供だと思う。
未熟で、弱くて、幼いこども
心のどこかの大人の私が
情けないって吐き捨ててる気がして
思考を止める。
幸せな恋をしている
子供の頃のように
毎日会って話したいと思う
幼馴染はふるさとにいて
私はずっと遠い街に住んでいる
くだらない事を言って
笑い合ったり
お互いの好きな人を
告白し合ったりした
何年も会っていなくても
会えばすぐ昔に戻れる
彼女に会うとふるさとの方言に
いつのまにか戻っている
「あそこの……あの人、子供っぽくない?」
「わかる。あんな美人に擦り寄るクセに、やることはただ話して引っ付いて…ガキの交流かよ」
通りすがりで見てるだけの人間が、私の友達の悪口を言っている。友達は聞こえてる筈なのに、何でも無いように…いつもと変わらない態度で接してくる。
試しに聞いてみる。
「悪口、嫌じゃないの?」
「んー……そこまで。テメェ等何にも知らねぇじゃんって心の中で言うだけで”いや”が消えるから」
「そうなんだ」
ふふ、君は強いなぁ。
「⸺さん、そろそろお迎えの時間じゃないですか?」
え、あぁ…もうこんな時間。もう少し遊んでいたかったけど、お迎えに行かないと泣かれちゃうもんね。
「そうだね、私の可愛い可愛い長女ちゃんを迎えに行ってあげないと、泣かれちゃうかもしれないし。今日は買い物に付き合ってくれてありがとね、⸺さん!」
「こっちこそありがとう、私の天使ちゃん!」
天使って……私の本性、見抜いてたりするのかな。
私が、人間の革を被った異形の天使だってこと。
【新しい友達、天使ちゃん!】
チャレンジ84(子供のように)
爽やかな秋晴れが続いたと思ったら、この数日は、汗ばむ気温である。参ってしまう。
エアコンをつけるか否か、家内と言い争いになった。たかが、エアコンである。子供のように意地を張るより、相手に合わせたほうが無難だ。家庭の平和のために。
実は先月も、サーティワンとハーゲンダッツ、どちらのアイスが美味しいかについて、家内と口論になった。私はハーゲンダッツが好きだ。家内はサーティワンが良いと言う。些細なことで言い争いになるのは、子供だ、本当に。
“子供のように”
遊んだ後コロリと寝たい
ご飯よ〜と作ってもらって
食べるだけがいいなあ〜
変わっていく君の、子供の頃のまま変わらない笑顔が大好きだ
ㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤㅤ-子供のように
子供のようにと聞いて、皆さんはどう感じますか。
このような議題があがった、
ある者は、楽しく遊ぶ子供たち、
ある者は、だらしない大人、と言う。
私は、これを聞いて、考えた、
自由奔放なことをしているのが子供という
ものなのか
だが、ある一つの事例で、それは、否定される、
だって世界には、子供が労働力となっているとこも
あるじゃないか。
つまり、国、地域で、子供の意味は変わる、
私達は、プラスの方向で考えることができるこの国
に生まれたことをもっと、幸せと思うべきである。
子供のように
疲れを知らない
子供のように
時が二人を追い越してゆく
取り戻すことが
できるなら
僕は何を惜しむだろう
布施明さんの
シクラメンのかほり
それを聴いて
疲れを知らない
子供時代を
思い出して泣いていた
元気の手加減を知らず
突然の電池切れの眠り
非道で残極で無邪気だった
子供のように?
失うことを知らぬまま
全力で走り回りたい
抑止力とか考えなくていいよ
みんな子供であればいいんだ
♯子供のように
「子供のように」
子供のように肌がツルツル、モチモチならいいのに…、
と最近すごく感じる。
もう無理だと分かってても、色々抗っている。
化粧品も変えてみた。
一ヶ月後どうなってるかな〜?
変化があるかな〜?
つい最近「わかったさん」を全巻揃えました。うち6冊は、子どもの頃に買ってもらったものです。新たに買ったものと並べると、背表紙の色褪せに気付かされます。
全10巻。どれも過去に何度も図書館で読んだもの。もう一度読みたいというよりは、所有したいという気持ちが強くありました。
ところでこの「わかったさん」、新しいシリーズが始まったことをご存知ですか。わかったさんのあたらしいおかしシリーズ。1作目はスイートポテトです。
おはなしを作っていた故・寺村輝夫さんを原案者とし、絵を担当されていた永井郁子さんが、想いを受け継ぐ形で実現されたそうです。
知ったときは、絶対に買うという使命感めいた感情が湧き上がったものの、未だ手に入れていません。
その行動心理は自分の中でもはっきりしていて、言葉にするならば「がっかりしたくない」です。本の内容にではなく、自分に。
もう楽しめないかもしれない。
既刊を揃えたのは、すべて手元に置くことで、子どもの頃に持っていた、ただただ無邪気に胸躍らせ弾む心を、もう一度取り戻せるような気がしたからです。でも新作は違う。いま、わたしが、初めて対面し、初めて感想を抱く物語なのです。だから怖い。
対象年齢を考えれば当然のことです。わたしはもう、より複雑な物語を理解し、求めるようになっている。それは成長であり、経験によるものであり、ただの経年変化とも言えます。
パティシエになりたかった時期があります。お菓子を作る時間は至福でしたし、何より家族や友人に褒められるのが嬉しくて。生のクッキー生地の卵色、滑らかに照るチョコレート、焼きたてのパウンドケーキから立ち上るほのかに甘い香り。全部好きでした。
味見してどんなに自信があっても、ラッピングしたあとはなぜか不安になる。だからこそ「おいしい!」の一言がよく効きました。今考えると、自己肯定感を高め、承認欲求を満たす術のひとつであったのだと思います。
そのあと夢は何度も差し変わり、わたしは今、制服を着て、カウンターに立ち、他人のお金を右から左に動かす仕事をしています。信用だけで成り立つ何千万もの紙幣も、他人のものであれば、コピー用紙の束となんら変わりありません。
わたしは大人になりました。
ただし「つまらない」と形容詞で言い切るには、趣味も娯楽も多く、自分の楽しませ方をよく心得ていて、新たな夢も持っています。失ったもの、取りこぼしたもの、切り捨ててきたものは山とありますが、確かに今が楽しい。
推しもいます。子どもの頃には見向きもしなかったであろう、スコットランド出身の俳優、53歳です。
それでもやっぱり縋りたくなるものが「わかったさん」の中には詰まっている。それは認めざるを得ません。だから怖くて新作を読めない。おかしいでしょう。でも真剣に、そうなんです。
そうは言っても、結局は近いうちに、買っているような気がします。わたし自身があの頃と同じ感性で受け止められなくても、今を生きる子どもたちに届くよう、シリーズを続けるわずかな支援として買うのも、大人のやり方として悪くないかもしれません。スイートポテト好きだし。
もし期待どおりでなくても、そっと閉じて大事にしまっておきます。宝箱だと思えばいい。あるいはタイムカプセル。それもきっと、新しい楽しみになるはずです。いつかまた、クッキーのひとつでも焼いてみようと思える、その日まで。
「子供のように」
いつまでも現実を知りたくない君。自分の妄想空間に囚われてばかり。そして囚われていることすらも自覚は不可能である。はたから見れば愚かで不気味な幼稚な人間。
………続く
お題「子供のように」(雑記・途中投稿)
「こども」を「子供」って表記するの珍しいな。文章書かせるアプリだからそこそこ表記にはこだわっていそうなのに。
小学校の時の教師が変な主張で「障がい者」とか書かせる教師としても糞なタイプだったからか、熟語を漢字かな交じりで表記されるの未だに違和感を覚える。
「障害者の害は害があるという意味です」って「障」だって「差し障りがある」の意味じゃん。熟語としては「害悪」と同じで似た意味を重ねるってだけだし、障害って書こうが障碍って書こうが実態は全く変わらん。(なお障碍って書き換えが一番嫌い)
閑話休題。
子供のようにって言われると、無邪気なとかそんな意味になるのかもしれないけど、無知は罪だよ。悪意がないのは許される理由にはならないんだよ。といつも思う。子供、大っ嫌いです。見ず知らずの子供が特に。
「子供がやった事なんだから」は鷹揚に許す側の発言であって、謝罪すべき親が言う言葉ではないって今の親知らないんだろうけど。躾できない親も開き直る親も大嫌いですよ。子供以上に。
と言いつつ、今通勤電車の沿線に私立小学校があるらしくランドセルで通う小学生がいるんだけど、見るたびに羨ましいなって思っちゃう。両親とも公立学校卒業だからそんな発想が出て来なかっだんだろうけど、小学校教師が上記の通り頭おかしかったからね。教師って子供育てるの下手くそな印象がある。友人のところも勝手に物捨てられたって言っていたし。(結婚して新幹線か飛行機の距離に引っ越しているし。結婚が早かったのも、親との仲が悪かったからではと思っている)
でもネット知識見る限りでは私立でも変な教師いるらしいから、やっぱり子供作るって嫌だなと思う。親のエゴの塊だし、年端も行かない他人の人生振り回すなんて迷惑な事私はしたくない。
今の私に子供の様な瞬間があると
したら、母が作ってくれたレシピ
を完コピし食べた時❗️
子供のように迷子みたいな顔をしていた
誰かいなくてどこに行けばいいか分からなくて
途方に暮れたみたいな顔をして
それでも泣かずに待っていたよ
でも現れなかったよ
何も誰もいなかった
寂しかったなんて言えなかった
助けてなんて言えなかった
ねえ、私はどうすればよかったの
人は子供の頃に楽しかった記憶、満たされなかったことを追いかけ続ける生き物だと思う。
浮わつく心
旺盛な好奇心
無邪気さ
素直さ
大人になっても忘れないように
いつまでも人生の青春を