『好き嫌い』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
くるりくるり、初夏にも負けない黄色の花びら。
座り込んだ足の間にゆっくり降り積もっていく。
「『好き嫌い』好き、嫌い、好き」
「……そんな枚数いっぱいの花占い、初めて見ました」
心底呆れたように言うこいつは今日やっとこちらを見た。
季節外れのたんぽぽはお前に似ている。
ふわふわ。柔らかくて。
強弁や腕力に物を言わせない。
どんな場所でもしゃんと伸び上がっている。
それがとても誇らしくて。
……さびしいなんて。
「いつか、綿毛になって飛んでっちゃいそうだもんなー」
手の届かないところに飛んで。
それでもきっと。
「応援してくれるんデショ」
誰が見ても忘れられない。
その姿を。
「えぇー分かる!私も好き」という共感としての言葉を何回使えばいいんだろうかと思いながら、再び言葉に出す。そうしていると、本当の好きなんて分からなくなって、じゃあ、自分って何だろうともなってくる。そういう私のこと嫌いだ。
2024/06/12『好き嫌い』
『せめて今だけ』
我慢すればするほど
浮かんでくるあなたの顔
会いたくて会いたくて
伝えられない思いだから
せめて今だけ
あなたが私と同じ気持ちだって
思わせて
#好き嫌い
食べ物の
好き嫌いが無い
人に出会った。
その人曰く
食べられないものがある人
の気持ちが
分からない。
そういう人も
いるんだなぁ。
いくつになっても
食べられないものは
食べられないのに。
きっと
あの人には
わたしの気持ちは
分からない。
わたしは
あの人の気持ちが
分かってあげられない。
他人は他人
わたしはわたし。
#好き嫌い
―――
都会に
引っ越しをした。
お店が
たくさんあって
電車の本数も多くて
遊ぶ場所も
色々ある。
実家は
住宅街で
交通も
便利とは言えない。
買い物するには
行き帰りだけでも
時間がかかったから
あまり
休みの日は
出かける機会が
少なかった。
今日は
休日。
気になる
あそこへは
電車で30分だ。
都会って
いいなぁ。
#街
「占い、好き?」
「時と場合による」
「なにそれ」
「TVとかでやってる占いはいい事言ってる時だけ信じる」
「分かる」
「自分の星座が最下位とかだったら見なかった事にする」
「だよね。まぁ何占いでもいいんだけどさ、私、アレだけは納得出来ないんだよね」
「なに?」
「花占い。花びらちぎって好き、嫌い、ってやるやつ」
「ああ」
「あれでいい結果になったって、絶対最後はバッドエンドだよ」
「何でさ」
「だって、花ちぎってんだよ?花びら一枚一枚引き抜いて丸裸にして、あなたの恋は叶うでしょうって、そんなワケないじゃん」
「花からすれば虐殺だもんな」
「花からは恨まれてると思うよ」
「そりゃそうだ」
「で、今日はどこ食べに行く?」
「パスタかな」
「ピザにしない?」
「なんで」
「パスタは今日アンラッキーメニューなんだよね」
「結局占いに振り回されてんのな」
「うるさーい」
END
「好き嫌い」
「好き嫌い」
あんたの
そういうとこ
ほんと好きで
嫌いだよ
自分は辛いのに
私の辛い話しを
ちゃんと
聴いてくれるんだよね
あんたが
「辛い思いをしてる」って
知ってるのに
つい……話しちゃう
私も、私なんだけど
でも……
……だって、落ち着くんだ
完全に私のワガママ、だよ
知ってて
あんたは聴いてくれる、って
いう安心感
でも……
……罪悪感で苦しくなる
あんたは私の心に
安心感と罪悪感
光と影とを落としていく
影が大きくなるたびに
あんたの
その優しさが
……
嫌いになっていく
好き、嫌いは
いつだって
隣り合わせ
背中合わせで
あんたは
たまには私を
突き放したっていいんだよ
最後に残った花びらに、限りなき一滴の不満でもあるのなら、それはもうちぎってむしゃむしゃ食べて、茎は放り投げてしまえばいいという、ほんの少しの運命の変更。
最近、何の話題か詳しくは覚えていないが、分かるは分けるだという記述を見た。確かに、新たなものを覚えたり理解しようとするとき、感覚として既存のものに当てはめるか、新しい枠組を作って宛てるか、人生の基本作業のような気がしている。
好き嫌いといえばよく食事が挙げられる。考えてみると、重要なのは栄養素をとることなのは前提として、食材や料理という無限大なものから好きを見つけられるのは幸せだ。食わず嫌いに関しては、幸せを見逃していると捉えられるが、それ以外、嫌いを押し付けられるのは純粋に辛い。そんな単純な理屈も、軽視してはいけないと思う。それを対人関係でよく実感している。好きな人もいれば苦手な人もいるし、嫌いではないが強い個性の人もいる――(遠い目)。
二十年くらい生きてきて、分かったつもりのことが多くある。けれど、その分け方、好き嫌いで自分が幸せならそれでいいのかもしれないし、時にはそのラベリングを疑ってみたら、より幸せに近づくかもしれない。ぼんやりとそんなことを考える深夜(知らんけどの意)。
「好き嫌い」
あれは好き、あれはちょっと…、これは嫌い。
毎日仕分け、ご苦労様。
まだ好き嫌い、言ってるようならまだマシ。
何も考えず、何も意思表示せず、ダラダラ毎日を過ごすより、まだ人間らしく生きている。
世の中というやつは存外
上手くできている
肉が好きで
ピーマンが嫌い
ピーマンの肉詰めは
食べられる
夜更かしは好きで
朝起きるのは嫌い
必ず昨日は終わり
必ず明日が始まる
保健室の先生は好きで
生徒指導の先生は嫌い
労りと観察という
いわば生徒にとっては飴と鞭
あの子は好きで
あいつは嫌い
密かに想いを寄せていて
あいつもあの子に想いを寄せている
全く 存外 世の中
上手くできていない
【好き嫌い】
花びらをちぎって
占ったあの人の気持ち
八枚の花びら
「嫌い」で始めたなら
「好き」で終わる
あの人とは誰だったろうか
覚えているのは
やわらかく薄い花弁と
その淡い香り
秋桜の季節
作品No.73【2024/06/12 テーマ:好き嫌い】
トマトが嫌い
あのプチッとブニャリな食感
あの酸っぱい味
どうにもすきになれない
大きさの問題じゃない
ミニだろうがプチだろうが
トマトはぜーんぶダメ アウト
でも
ケチャップはすきだし
マカロニサラダに入れるのもすきだし
トマトのせたタコライスもすき
我ながら面倒な好き嫌いですこと
私には好きなものがございません。
いえ、そう云うと語弊があるのですけれど、然し、確かに、好きなものはないのです。
『良い』と思うだけであって、『好き』にはならないのです。美しい街の景色も、艶やかな紫陽花も、街の騒々しい音も、全て『よい』とは思うのです。ただ、好きになれないだけなのです。
いえ、嫌いと云うわけではないのですが…
ある種の矛盾、でしょうか。
ええ、そうです、矛盾です。
良いと思うのに好きではなく、然し、好きでは無いのに嫌いでもないのです。
無関心、と云うことでもないのです。
そんな私ですけれども、最近、ふと、こんなことを考えます。
好きにならなくてもいいのではないか、と。考えるのです。
嫌いにならなくてもいいのではないか、と。考えるのです。
つまり、此方である!と決めなければ良いのではないかと云うことです。
私はこの世の全てが好きです、愛しています。
でも、私はこの世の全てが嫌いです。
それで良いでは無いかしら。
私は好きにも嫌いにも固執しません。
ただ、物事を静かに愛しています。
そう、それが、私の『好き』と『嫌い』なのです。
「好き嫌い」
クーラーをつけると、小学校の夏休みに引き戻されるような感じがする。ダラダラしたいという気持ちと、宿題をやらなくてはならないという焦りとが入り交じる。それは、大学生になった今でも変わらなかった。
私は大学で心理学を学んでいる。ずっと気になっていて、でもなかなか手を出せなかった分野。心理学を学べることはとても嬉しいし楽しいのだが、定期試験への恐怖やら不安やらはこれまでと全く変わらない。怠け者の私は試験がないと勉強しないだろうから、最近はありがたいとも思うようにしているけれど、嫌いなものは嫌いなのだ。
とりあえず、一科目。
応援お願いします。
好きってなんだろう、と思うことがある。
自分が欲しいものは好き?
自分が要らないものは嫌い?
そうじゃない。
結局、好き嫌いって難しい言葉なんだと思う。
自分がはっきり好きと言えるものだけが好きなわけじゃないし。
苦手だって嫌いの一種だと思うし。
言い訳臭い文章になってしまった。
でもこれだけは絶対に好きだと言えるものがある。
ここまで読んでくれた君のことが、僕は大好きだ。
2024/06/12
あの大変申し訳ないです
全然やってなかったです(๑•̀ㅁ•́ฅ✨
んまぁ、見ての通り反省はしておるんですけど、
ちょとねもう続けられないので
気まぐれでやろうかなと思う🤔
あ、ちゃんとダイエットは続いてます✋
今日はここまで🐶おやすみなさーい
好き嫌い
「好き、嫌い、好き、嫌い…………。」
花壇の前で花を持ちながら、しゃがんで何かをしている女の子がいた。
「何してんの。」
「花占いで、好きな人が私の事を好きかどうか占いってるの!でも、嫌いって………。」
【ブチッ(持っていた花をちぎる)】
しょうもない遊び。
こんなの信じる意味さえも無いのに、何でこの子はそんなに傷つくんだ?
「何するのっ…!」
「そんなのでお前の好きな人が自分の事をどう思ってるかなんて決めるな。」
「えっ………。」
「ほら、泣いてないで早く笑えよ。そしたら、振り向いてもらえるかもしれないぞ〜?(笑)」
#好き嫌い
好き嫌いで物事を判別してはいけない
きっと1度はそのように言われたことが
誰しもあるだろう
それでも
〇〇が好き、◇◇は嫌いという気持ちは
全部自分の本心でそれが自分を構成している
沢山の人がたまには自分の気持ちに
素直になれますように
好き嫌い
この感想を持つということは、その対象に関心がある、ということだと思う。
それは、無関心よりもずっと良いことなのではないだろうか。
関心がなければ、対象に対する認識に変化はないからである。
ある意味、好き嫌いは紙一重なのではなかろうか。
ただ、全てのことに好き嫌いを持っていても疲れる。
ほどほどが、きっと良い。
そうすると、私が関心のなかったことに、好き嫌いを持っている人に出会うと、結構、わくわくするようになる。
なんだか、お得な気がするのである。
「好き嫌い」
好き
嫌い
と花びらを一枚むしる度に呟き
最後に残った花びらが好きか嫌いになるかで
惚れた相手が自分の事を
どう想っているのか占う
花占い
昭和の少女漫画ではよく見たシーンなのですが
最近は知らない人も多いでしょう
だいたい 花びらが奇数なら好きで終わり
偶数なら嫌いで終わるので
令和ではそんな残酷で無意味な事はしない
男は足し算
(好意が右肩上がりの加点方式)
女は引き算
(相手の嫌なところが目につく度に減点していく)
ともめっきり聞かなくなりました
昔 私の母が言っていました
別れる時には
女は上書き保存
男は名前をつけて保存
これも主語がデカいかつジェンダー的に無理かつ
スマホ世代の方にはそもそも通じないかも
自分の事も相手の事も尊重しながら
好き嫌いを確かめていけたら良いね
令和の若者も 私達も