『天国と地獄』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
この世界こそが天国と地獄だ、と僕は思う。
だってそうじゃないか。
誰もが、些細なことに天国だ!と感じたり
地獄だ、と嘆いたりする。
だからこそ人は願う。
天国を。
地獄がない、天国だけの世界を。
けど、地獄という場所でも
そこでいかに
幸せを見つけることができるか。
それが今僕らに求められているものだと
思っている。
天国と地獄も、表も裏も、生も死も、対にあると思ったら大間違いかもしれないね
天国も地獄も紙一重
正反対に見える天国と地獄だけど
そうではない
すぐ隣にあるもの
自分にとって天国でも
誰かにとっては地獄だったりする
天国にいたと思ったのに
地獄になることだってよくあること
その時の気持ちや過ごし方で
天国か地獄か
なんてすぐに変わる
人によっても見方によっても
捉え方は違う
だから
天国になるか地獄になるかは紙一重
天国と地獄
死んで、天国へ行けるか地獄に落ちるか。人によってはとても気にするかもしれません。
わたしなら、天国や地獄はあるの?と考えてしまいますが。
わたし、よく連れ合いに地獄に落ちるよ!と言われてます。それだけ酷い人間なんでしょう。でも全然気にしてません。お互いさまよ、と思ってますから。
でも、信頼する人にそれをいわれたら、気にするだろうな。天国に行けるとか地獄に落ちるとかより、その相手に自分がどう思われてるか、が大問題。
人としてまともか、を問われる気分になります。
そうなんです!死んだ後を思い倦ねるより、今の自分の行動や、思考に気をつけて暮らすのが先決なんです!
天国と地獄
昔読んだ芥川龍之介の蜘蛛の糸で、お釈迦様が天国から地獄の様子を見ておられた、と言う下りがあった。お釈迦様は、毎日その風景を見てくださるのか…きっと地獄で追い立てられるだろうけど…蜘蛛の糸が届くかな…
今日のテーマ「天国と地獄」
貴方は天国と地獄って聞くと何を思い浮かべますか?
大抵の方は死んでからの話だからあまり考えたことなどないとお答えになるかと思います。
ですが本当に天国と地獄とは死んだ時のみにしか感じないのでしょうか?
答えは否、だと思います。
学生さんであれば学校という名の檻の中で色々な事を学び、人間関係を形成していきます。
その中で立場の弱い人間は虐められ、死にたくなるような思いを抱えて生きてる子もいます。
社会人であれば頭ごなしに説教をする上司、気に入らないからと言ってクレームばかり出してくるお客様。
いつも文句ばかり、仕事を押し付けてくる御局様やベテランさん。
深夜までサービス残業を言い渡される職場。
そんな場に長く居れば生きる希望を失いただ仕事と睡眠だけをこなす屍となります。
死にたいと思うほど思い詰める学生さん、社会人にとって地獄は死んだ後の話ではなく現在進行形でもあります。
天国だとすれば好きなものや好きな人を楽しそうに推し、人生の一時でも幸せと感じる瞬間がある。
果たして自分が死んだ後、天国に行くのか地獄に行くのか分かる者は誰も居ない。
だが苦しい事から逃れたくて自分を殺しても救いがあるとは限らないことを私達は覚悟していないといけないのかもしれない。
『天国と地獄』
ソレは対を成すもの
天を舞うコインのように不確定で不規則な表裏一体
気紛れにその顔を変え、手のひらを返す
故に油断はしない
万全を期して、石橋を叩いて渡る
慎重に、されど大胆に
けれど、どうしたってその時は訪れる
幸せは一転、不幸のどん底へ真っ逆さま
逃れられない運命(ウンメイ)と、導かれた運命(サダメ)
何もソレは死後だけの話ではない
密やかに、されど確実に、此方に迫ってくるのだから
それがあなたの生きた道だ
さぁ、天国か地獄
選んでみな
【お題:天国と地獄】
二人きり
過ごしてるとき
天国で
他人に見られ
地獄に変わる
誰かにとっては天国でも、誰かにとっては地獄かもしれない。人の心なんてわからない。自分の心さえもわからない。
〖天国と地獄〗
死んだら天国か地獄に行く。
そう言われてきた。
でもネットは言う、
自殺する人は
天国に行きたかったわけじゃない。
この人生という地獄から
抜け出したかったんだ。
と。
死んだ世界にしか地獄は存在しないというのは嘘だった
今日のテーマ
《天国と地獄》
五月晴れの日曜日。
近所の小学校からは賑やかな音楽とマイクでの放送、時折そこに歓声が加わる。
風に乗って聞こえてくるそれに様々な思い出が蘇り、懐かしさに顔が綻ぶ。
『続いては、5年生による、障害物競走です』
アナウンスから暫くして、聞き慣れた軽快な音楽が流れ出した。
運動会の競技中に使われる定番曲だ。
たしか『天国と地獄』といっただろうか。
「やっぱり障害物競走はこの曲だよね」
「今の障害物競走ってどんな感じなのかな」
「感染症予防の観点からパン食い競争とか飴探しは絶対ないだろ」
「だよね。じゃあ、今はどんな感じなんだろうね」
我が家と小学校は、近所とはいっても少し距離があって、競技内容の説明は途切れ途切れではっきりとは聞こえない。
互いにスマホをいじっていた手を止めて、思いつく競技を上げていく。
「網をくぐったりしなかった?」
「あったかも。あと、ズタ袋みたいなのに足突っ込んでピョンピョン跳ねながら進むやつとか」
「あったあった! あと跳び箱とかハードルとか」
「ハードルはあったけど、うちは跳び箱はなかったな。高校の時はスプーン運びがあったような気がする」
「スプーン運び?」
「知らない? スプーンにボール乗せて運ぶやつ」
「ああ、テレビか漫画でみたことあるかも。うちの学校ではなかったけど。あとは、たしか後ろ向きに走るのがあった」
「あるある! よろけて隣のレーンの奴とぶつかったり」
「コストかけずに笑いが取れるネタだよね」
こうして少し話すだけでも学校によって特色があるのが面白い。
そのまま話題は運動会や体育祭自体の競技内容に移り、話は尽きることなく盛り上がる。
そうして話をしながら、時折、彼女のお腹を撫でる。そこには二人の愛の結晶ともいうべき大切な命が育まれている。
「おまえが小学校に上がる頃には、どんな競技をやってるんだろうな」
「いくら何でも気が早すぎるでしょ」
「そんなことないだろ。きっとあっという間だよ」
つきあい始めてから結婚までの期間。
そして結婚してから今日までの年月。
楽しい日々はあっという間に過ぎ去ると相場が決まっている。
可愛い我が子の成長の日々もまた、きっとあっという間に過ぎ去っていくことだろう。
いつか、この子が小学校に通うようになって、今日のこの会話を懐かしく思い出したりするのだろうか。
それともこんな会話を交わしたことすら、数々の思い出に上書きされて忘れてしまうのだろうか。
天国のようだと感じる日も、地獄のように思える日も、きっと沢山経験することになるのだろう。
それを待ち遠しく思いながら、僕はあのお馴染みの『天国と地獄』を口ずさんだ。
死んだらどうなるのだろう?
小さい頃、死んだら天国か地獄に行くだろうと思ってた。でも今は死んでも天国や地獄なんてないだろうと思っている。ばかばかしい。天国や地獄は子供のための空想のお話だろうと…いつ死ぬのかなんて誰にも分からない。天国や地獄は本当にあるのか、死後の世界は死んだ人しか分からない。天国ってなんだろう?地獄ってなんだろう?そうしてまた疑問が生まれる。
天国と地獄なんて無いと思っている。
私がどちらかにいくとしたら地獄でしょう。
生まれ変わりも、死後の世界も無い。
死んだらお終いだろ。
死んだらお終いであってくれ。
天国と地獄
天には、天国と呼ばれる場所があった。
地には、地獄と呼ばれる場所があった。
その間に、神様は天国と地獄が混ざったような世界を作った。平和すぎる天国と、残酷すぎる地獄を混ぜれば、ちょうどよくなる、と。
そうして出来上がった場所に、神様は人間を作った。人間はみな、光と闇を持つ生き物だった。
神様は語る。天使や悪魔はその欲望に忠実だ、と。それに比べて人間は矛盾を抱えて、実に面白い、と。
だからこそ、愛しいのだ、と神様は語った。
【天国と地獄】
天国と地獄。
それは人間が創り出した空想。
ひょっとしたらあるのかもしれない。
死んでみないと分からない。
死にたくないけど。
天国と地獄と聞いて。
なんで天国と地国じゃないんだろうね
などと思ったのでした。
(いやまあ、そういうものだけど)
彼がこんなに変わるなんて
目の奥の愛情が
なくなることが
こんなに辛いなんて
「天国と地獄」
ディズニーランドから出た瞬間
天国から地獄になる😇👹
知らないことを知ることが出来る
新しいものが見つかる
おもしろい人に出会える
新しい経験ができる
平和な生活を送ることが出来る
美味しいものを食べることが出来る
癒しがある
友達がいる
美しい言葉がある
思いがけないことが起こる
でも
知りたくないことも知らなきゃいけない
見たくないものを見てしまう
嫌いな人に出会う
行動するとストレスも溜まる
代わり映えのない退屈な日常
嫌いなものも食べなくちゃいけない
疲れてしまう
人付き合いは気を使う
言葉は凶器になる
理不尽なことが襲ってくる
天国で地獄なこの世界で生きてゆく