『些細なことでも』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
《些細なことでも》
重箱の隅をつつくような 障子の桟の埃を指で拭うかのような 針小棒大的な 指先に刺さった棘の痛みとか 無許可で唐揚げにレモン絞られたとか どんぐりがせいくらべしてるみたいな きのこたけのこ戦争とか コップの中の嵐とか きっかけはサラエボ事件だった、みたいな
些細なことでも
「んー、質問がこない」
あ、しまった声に出てた。そう思ったら隣の同僚から笑い混じりに声をかけられた。
「佐々木さんですか?」
「そうなんですよー」
佐々木さんは最近入った新人さんだ。やる気はあるのだが、残念ながらから回っているのだ。疑問に思ってほしいタイミングでも前のめりに行動してしまう。その都度、分からなければ質問してほしい。分からないことはないか。と声かけをしているのだが、なかなかよろしくない。
彼には今、隣の部屋でこれまでの業務を纏めて自分用マニュアルを作ってもらっている。これで質問を洗い出せたらいいのだが、そろそろ結構な時間になるが質問がこない。
「些細なことでもいいから、質問出してくれればなぁ」
「乗り越える壁ですねぇ」
全くもってその通りだ。どんな些細なことでも、質問してくれた方がこちらは助かるし、あちらも助かるのである。
早くこないなかぁ、そう思いながら自分の業務をこなすのであった。
〜些細なことでも〜
些細なことでも気づいて欲しい
意外とそういう所を見て欲しかったりする
本当に小さな変化でも
けっこう大事だったりする
些細なことでも言って欲しい
意外と大事な事だったりする
本当に小さな感情でも
やがて大きくなっていくから
些細なことっていうけれどそれも大切な一つだよ
少しずつの積み重ねが今を変えるから
些細なことから始めよう
些細なことなのですが、下書き機能がやはり欲しいです。(朝起きたら消えていた。夢で書いていたらしい。)
さて、昨日起こった些細で嬉しかったことや面白かったことを書いていたのですが、その中から1つ。息子が時計草の話をしたことから。
皆様は、パッションフルーツがトケイソウの一種だということをご存知でしょうか。私は昨夜初めて知りました。
ただトケイソウは200種類くらいあるそうで、実がならない場合も、実がなっても毒がある場合もあるそうです。良く食べられるものを探しあてたよな、人類。
しかも、パッションフルーツのパッションは情熱という意味だと思っていたら、十字架みたいな花の一部の形からキリストの受難という意味だというのも初めて知りました。情熱と受難が同じ単語なんですね。
そんなトケイソウは、生命力が強すぎて植えることに注意が必要だからか、この頃あまり植えているお家を見なくなりました。複雑で派手なあの花の形…一日咲いたら萎んでしまうのも潔くて、また見たいなぁと思ってしまいます。ベランダでならご迷惑にならないでしょうか。
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十字架を 背負い咲く花 時計草
他を枯らすなと 言われても
我等と同じ 食事をして 生きているだけ
ただ懸命に 生きているだけ
些細なことでも気になるんだなあ。
その繊細さを大事にしよう!
些細なことでも、幸せに感じることがあると
嬉しい反面、
こんな私でも幸せになっていいのかな、
って考えてしまう
私は幸せになるのが怖い
些細なことでも
些細なことでも言ってほしい。
なにかあっては遅いから。
こちらも把握しておかないと対処ができないから。
些細なことでも
ちいさく よく見る
おおきく よく見る
まんなかで よく見る
透明に からっぽに ただ眺める
ズレをこわがりすぎ 動けないのは本末転倒
いま自分にできる100%で
よく見て 決める 動く
そうしたら
それが起点となり
調整が起きる
それを信頼する
そうしたら またよく見ながら
ていねいに 進んでいく
今の自分に できることをする
自分のいのちの貴重さを
実感しながら かみしめながら
すこやかに よく生きる
些細なことでも心に大きな傷を負わせることがある。
他の人はそんなことを気にするなと言う。
でも、気にするから傷つくんじゃない。傷ついたから気にするんだ。
心は本当に傷つきやすくて治りにくい。
些細なことでも
例えば
ドアの開閉
移動する時の足音
挨拶のときの表情
文章での「!」の使い方
おはようございますと
お疲れさまでしたを交わすだけの仲の人でも
こういう些細なことで
私は好き嫌いが分かれる
些細な気になることって
たぶん自分が常日頃気にしていることなんだろうな
No.110『些細なことでも』
どんな些細な選択でも間違えれば人生が変わってしまうことだってある。
だから一つ一つの選択を大切にして生きていこう。
地道に何かをやると言うのが昔から得意じゃない。
コツコツと言う言葉は誠実で淡々としていて自分とは無縁な言葉だと思う。
左手の人差し指のささくれを親指でさっと撫でる。
こんな数ミリの傷が気になるなんて人間の図体の大きさを考えればないも同然だと思うのに。
些細なことでも
そこに綺麗な泉があるから
私は生きていくと思う
些細なことでも
そこに桔梗の花が咲いているから
前を向いて歩いていける
私のささやかな人生に
ひとつまみの優しさを
あなたがあの時くれたから
些細なことでも
そこに風が吹いているから
そこに時が流れているから
キミにとっては些細なことでも
僕にとっては大事なのに
どうしてそれがわからないの?
いつも言ってるのにな
とグチグチ言い出すのであった
些細なことでも、人は傷つくのだから
些細なことでも、人は救われるのだから
君は今日何色の心模様だろう?
ねえ、そっと教えて
柔らかく、くるんだ真綿の想いを
優しく差し出すから
できるだけ君の心を守らせて
あまりうまくできないけど
ふと笑ってくれたら嬉しいな
詩『真綿の想い』
些細なことでも
私に教えてね
と言ってくれたあの人
その言葉通りわたしは
あの人にたくさん報告した
あの人がわたしの話を聞いてくれるとき
守られていると感じた
今も
なるべくたくさんのことを
あの人のお墓のまえで話す
もう守ってくれることはないのに
人からの評価がどうも気になってしまう質のようだ。
「上手く立ち振る舞いができたかな」「あの人に嫌な思いをさせてしまったらどうしよう」
その性質は自分の作る創作物に対しても同じである。
「上手く書けたかな」「この作品が誰かに不快な思いを抱かせてしまっていないだろうか」
それこそ何の評価も得られないことだってザラにある。
「あの人みたいに上手くできない」「何だか置いていかれているみたい」
私はじりじりした思いを抱えたまま、何の気なしにテレビをつけた。
「紫式部の書く源氏物語、これが当時はとてもウケたんですよねえ」「今では古典の授業で出てくるだけでも難しくって、何なら学生に疎まれることもあるというのに」
目から鱗だと思った。今まで張り詰めていた自分の身体が気持ちが、しゅるしゅる萎む風船みたいに力が抜けていくのを感じた。
何だ、人からの評価も千年経てばこんなにも変わっちゃうんだ。そんなら大衆の反応なんて取るに足らない物じゃないか。
「人の評価を気にせず、自分の心の赴くままに書きたい物を書けばいい」
ようやっとこの言葉をすこんと私の中に落とし込むことが出来た。創作物なんて結局は自己満で良い。
きっと紫式部だって自分が楽しくて書きたいものを書いていた。そしたらたまたま当時の人達にウケたってだけなのだ。
今こうやって私が書いている文章も、千年経てば評価はガラリと変わるはず。人からの評価なんて、時と共に移りゆくものなんだ。
紫式部には申し訳ないが、他人からの評価という些細なものに振り回されていた自分に気付けて本当に良かった。
「些細なことでも」
些細なことでも夢中になれるモノがあれば
毎日が楽しくなれば良いんだけどな
ある日、
仲のよかった関係が
何気に交わした
会話がきっかけで
崩れる
そんなことを想像だに
していなかったわたし
結構、…つらい
そして、数日後…
朝一番で、
「おはよー!」
だけのLINE着信
そんな
『些細なことでも』
嬉し過ぎー
まー
繊細な心の動き程知りたい。
些細なことだから知りたい。
だから、あなたの文字に魅力がある。
勇気いるよね。人には言うのに。
もっともっと大笑いするから、一人で沈まないで。もっともっと文字に出来たらと思う。言葉にならない文字を起こしてほしい。
些細なことでも93
臨時
また来週月曜日