『ハッピーエンド』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
日本国内のどこか。住所不詳の一室で、半分フィクションながら実際に起こっているワンシーン。
架空の先輩後輩と、不思議な餅売る子狐と、元物書き乙女の日常を主に持ちネタとする物書きの、以下はいわゆる執筆裏話である。
「ハッピーエンド」。題目の初案を書き上げて数時間、某所在住物書きはとうとう頭を掻きむしった。
「うぉぁぁぁ納得いかねぇ!!」
ガリガリガリ。天井を見上げ絶叫するのは、己の短文のストーリー進行に重大な不満があるため。
物書きは、光輝く綺麗事な美しき物語の執筆が、ただただバチクソ不得意であった。
だって世は物語じゃねぇからハッピーエンドなんざ無いもん(※個人の意見です)
「俺は人間の闇だの嘆きだのからハナシ書いてんの!『ホラ人の世はこんなにクズ』を書きてぇの!」
独り身で親友ゼロで職場に心から愚痴を言い合える同期も同僚も居ないぼっちの物書きには、人間の光と愛と優しさで編まれた物語に、ちょっとまぶしく憧れているくせにそれを書く才能がマイナスだったのだ。
まさしく「ケーキ大好きなのに卵と小麦と牛乳アレルギー」の心境である。
「だって、見ろよ俺の過去作!職場の不条理に、」
職場の不条理に、呟きアプリの裏垢、二次創作界隈の解釈戦争、人間のクソなネタばっかりだぜ。
主張しようとして己の過去作をスライドし続ける物書きは、途中で数秒固まり、
「……言うて、闇っつーより、ただの日常ネタ……」
自分が書いてアプリ内に上げている短文が、人の闇や温かさ云々より、
友人同士で肉食って
先輩後輩で昼休憩に弁当突いて愚痴言って
時折妙な子狐がコンコンもふもふ要素を添えて
元薔薇物語作家が日常をたくましく生きるだけの、
食い物&生活ネタばかりであることに気付いた。
「あれ。俺。さして世の不条理、書いてねぇ」
日本国内のどこか。住所不詳の一室。
今日も某所在住物書きは、頭を抱え、途方に暮れる。
【ハッピーエンド】
度重なる様々な社会的要因によって、国民の生活水準が下落した少し未来のこと。自殺率は最大を叩き出し、離職率や無職の人間の数も毎年更新され、中小どころか大企業ですら倒産してしまったような頃のこと。
追い詰められた時の政治家が提案したある“保護プログラム”が物議を醸したが、国民に根付いてしまった。
「検査完了です、七十パーセント進行。記録の上、ご自身の部屋へどうぞ」
「……ども」
多千花菜白は検査用のガウンを着込み直した。指の動きは短くなってきた分覚束ない。ガウンが必要ないほど、全身はもう獣毛に覆われていた。胸にあった乳首が腹に動き、いくつにも増えていたのに気付いたのはいつ頃だったろうか。短い尻尾も生えて座りにくいことこの上ない。耳も随分上の方に動いてしまった。
“低適性者保護プログラム”の仕組みは、十歳から二十歳までの間に何度もある適性検査で、現在想定される産業への適性、及び社会の構成員としての適性を試される。より平易に言うなら、何かの職業に適正があるのか、過剰な悲観性や他者への加害性が一定値より低くないかを確認するものだ。値が低ければ低いほど「適性がない」という判定になる。
多千花は、職業の適正は程々にあった。しかし就職して二年もしないうちに、元々あった口が上手く回らないところや、表情の暗さをあげつらい、クビにすると恫喝され続けて心身を持ち崩した。改めて構成員適性を検査されたところ、社会性に著しい低適性を記録してしまった。更生プログラムへの参加か、保護プログラム適用か。選ぶことができたが、多千花にはもう、社会に人間として生きる気力はなかった。
“低適性者保護プログラム”は、人間を一定の哺乳類に変えることで、愛玩動物や家畜としての利用価値を見出し、社会参加させるものだ。四回の講座受講と、二親等までの家族の同意を必要とするが、多千花には音信不通行方不明の母親しかいなかったので、自身の同意だけで済んだ。プログラムに参加すると、変異が完了するまでは最後の監獄と呼ばれる保護プログラム実行施設で生活することになる。
職能に関する資格を取ることや、政治家としての活動など、社会参加のためと思われる活動はできないが、読書やオンライン動画の閲覧、ゲームなどの各種娯楽は許され、また変化の度合いが七十五パーセントを越えるまでは、談話室の利用も可能と、最後の人生を謳歌することが出来る。勿論そこで満たされない者もいるが、最終的に行き着く先は同じだ。
多千花も読書に勤しんでいた。変異後も飼い主となる人間が許可すれば、こうした娯楽に触れることは可能だが、それでも能動的にできるのは今のうちだと、長いこと積んでいた本を読破している。時折耐え難い空腹に襲われ、食堂で配給食を貪っているが、それは変化の度合いが深まれば深まるほど起こってくることだった。好きなだけ読み、好きなだけ食べ、眠る。毎日投与される薬を受け入れることで苦しみは薄れた。一度だけ、多千花を職場で恫喝した上司が警察官に付き添われて面会に来たが、どうやら多千花にしたことが社会的に罪に問われることになったらしい。それでも、動悸が止まらず、自分の方に付き添ってくれた保護師が手を繋いでくれていた。
「検査完了です。九十パーセントを越えました。これから居住を観察檻へ移します」
はい、と答えようとした声は、うぉう、という獣の声だった。多千花は鏡に映る自分を見る。少し前からまっすぐに立てなくなり、がに股でのろのろと歩くしかできなくなった。もうすぐすべてが終わると思うと、そんなのろのろ歩きでも不満はない。太くなった首に電極付きの首輪が取り付けられて、いよいよ獣になるのだと思うと、安心があった。
「シロ、シロ起きて」
優しい声に起こされる。薄くまぶたを持ち上げると、時乃が「おはよ」と声を掛けてきた。
「学校行くよ」
シロの主人となったのは、ある一家だった。不登校になった小学生の娘の時乃のお守りとして選ばれ、寄り添って生きることになった。時乃はシロを可愛がり、ある日散歩に連れ出したときに、いじめをしてきた面々と鉢合わせて、彼らが脱兎の如く逃げたのを見て、シロを学校に連れていくと言い出した。
“保護プログラム”によって変異した半獣は、その知能が人並であることから、盲導犬などの役割につくことも多く、また主人となった人間と、対象施設等の同意があれば、同行することもできた。
何もできなかった自分が、一人の女の子を救えてるかもしれない。それだけで、シロは己が人間の生を終えたことに、悔いなど一つもなくなってしまったのだった。
あなたの人生の物語を
ハッピーエンドにするためには
他人の不幸が
必要なの。
物語の設定を考えないと、先に進めないので今いろいろと思いを巡らせています。読んでいただいている皆さん、誠に申し訳ありませんm(_ _)m
でも物語を考えていると、自分の世界を育てているような感覚を味わえてとても充実します。
特に難しいのが結末。
もちろんハッピーエンドにするつもりですが、どんな形になるのかまだはっきりしていません。なにしろトンデモSFですから(^_^;)
いつもありがとうございますm(_ _)m
これは私が今、現在も好きでいる人の話です。これから私はこの恋が終わるまで今日、彼とあったこと、私が彼にキュンとしたことなど恋心満載で書いていきます。気になる人はお気に入り登録お願いします。
まずはなぜ好きになったのか話していきます。
ある日、席替えがありました。仲の良い友達と隣がいいなぁと思いながらも行ったその先は抜群の運動神経をもつ私の嫌いなタイプの男の子がとなりでした。後ろを見ると右斜め後ろは私と仲がいいおとなしい女の子でした。そして私の真後ろは好きになった彼だったのです。最初は四人ともよそよそしかったのですが、ある日の音楽の時間。突然何が面白かったのか四人ともシンクロして大笑いしました。理由を聞いてみるとそれぞれ違うのですが、その時に四人の結束が強まり、私は彼を好きになりました。
これが私と彼が出会ったある日のとこです。
ところが私は彼を好きではなくなる時が来ます。さぁ、それはなぜでしょうか。真相は明日の話題の時に。
少しでも読みたいっと思った方、気になる方はお気に入り登録お願いします。
作 加藤玲奈
注意
塾の関係で配信は不定期です
願いが叶う時が来た。
深い森の開けた地。聳える十字架の重みに涙が出るほど僕は感動した。十字架を掘り返すと白骨死体と本が出てきた。最初のページを見た。
「おめでとう」
これはきっと僕がここまで辿り着くことが出来たことを称える文だろう。最後のページにはこう書かれていた。
「ここに辿り着くまでに踏み潰した花を忘れるな」
人生がHappyENDで終わったらすごく良くない?
最後に辛い思いをしないで、ハッピーに生涯を終えれるんだ。
君の周りにもいたりするんじゃないか?
転けて、たまたま打ちどころの悪いところに当たってしまって亡くなってしまった
まだまだ若い年頃なのに、
『 なんでこんなくだらない死に方で』
と思ったことがあるでしょう?
他にも『 寿命』や『 事故』でいきなり亡くなってしまったとしても、亡くなる直前
自分はその”人と喧嘩”
をしていたとする。
君は何を考える?
僕のせいだったかもしれない
私のせいだったかもしれない
だから、人生がHappyENDで終わるということは
物語だけの話であって
私たち人間が人生をHappyENDで終えるなんてことありえない話なんだ
と私は思う。
#ハッピーエンド
《ハッピーエンド》
皆は
ハッピーエンド=天国
バッドエンド =地獄
って思ってる。それが普通。私はバッドエンドで天国に行ってみたい。そんな本を、小説を、詩を、書いてみたい。でも周りは「そんなの無理」「合うわけない」って言う。いいじゃん。バッドエンドで天国でも。今から証明してあげようか?私は屋上にいる。ここから飛び降りて天国へ行く。ってこれは
ハッピーエンドからの地獄じゃんw
例えばさ僕の願いを言うとだよ
今の君だけいればいいのに
題『ハッピーエンド』
映画とかドラマが好き
普通にハッピーエンドを期待する
悲しい想いや寂しい気持ちになりたくない
皆が幸せであって欲しい
なのに思い出すのは
「ユージュアル・サスペクツ」を観た後の
ヤラれた感だったり
「ウォーキング・デッド」のハラハラ感
「処刑人」や「怒りのデスロード」もワクワクしたなぁ
ハッピーエンド?
フワフワして薔薇色で幸福感溢れ…
ハッピーエンド?
ドキドキわくわく血湧き肉躍る♡
終わりよければ全て良し
(ハッピーエンド)
「ダークナイト」観よ〜っと♡
本や映画やドラマを観ているといつも思う。
この物語の先はどうなるんだろうって。
確かに、画面や文字の世界で生きる彼等の物語は一旦ここで終わる。でも、描かれないだけで最終回が来たって彼等の人生は終わらない。
シンデレラもスーパーマンもハリーポッターもリボンの騎士もDr.コトーもみんなまだ生きている。
だから思う。ハッピーエンドの向こう側はどうなってるんだろうって。きっと彼等を看取ることなんて絶対に出来ないけれど、私の知らないところで幸せになっていてほしいと心から願っている。
幸せそうに歩く 2人を見かけた
手を繋ぎ、少し離れた私の位置からも
親しげで 見つめ合いながら
弾む会話と 2人が笑顔でいるのが
手に取るようにわかった
最後に会った日
手を繋ごうと 彼のそばに寄り添うと
すっと 自然に
彼は 手を繋がせなかった
「ごめん… 離れよう」
久しぶりに会った彼からの言葉
彼と私のハッピーエンドは終わり
彼とあの子のハッピーエンドを迎えた
あの子のハッピーエンドも終わっちゃえばいいのに
そんな意地悪な私に
ハッピーエンドは しばらく無理そうだ
#ハッピーエンド
ハッピーエンドに向かいたい。
物語の最後を想像する人が多いだろうか
私は人生の終幕を思う…
案外良い人生だったと、眠る前に思いたい。
それが私のハッピーエンド
幼い頃、初めて知った。
人が生きることには、
終わりがある事を。
最愛の母で、知った…
常に死を、
エンドを意識して生きている。
終幕に向かう列車の中で幸せを願いながら…
テーマ「ハッピーエンド」
結末は自分が望んだものか
他人が認めたよくある幸せ
それはあなたの理想じゃない
本当の理想を追及するんだ
ハッピーエンド
俺といる限り、世の中で言うところの『ハッピーエンド』にはならないんだ。理由は2つ。ひとつは仕事柄、多くの恨みを世間から買っている点。もうひとつは俺の性分の事だ。戦いの中で育ってきた俺は飽くなき戦闘への欲求を満たせずにはいられない。
生き長らえるため引き際は見極めているつもりだが、いつか知らぬ場所で死んでいるかわからない。「必ず」や「絶対」帰るよと保証が出来ない、そういう世界で生きている。けどいつも君のもとに帰りたいと思っているのは嘘じゃないんだ。
「俺が居なくなることで君は『ハッピーエンド』を迎えられる」
手を離せばきっと君はおとぎ話のような、いつまでも幸せな暮らしを得ることが出来るのに。
「…離しなよ」
「いや」
まっさらで真っ白な病室に君と2人。恨みは俺ではなくあろうことか君へ向かって、怪我を負わせてしまった。俺なら対処できたのに相手は陰湿で君の優しさを利用して突き落とした。
あちこちに擦り傷を作り、腕と頬が腫れて、見るからに痛々しくて。辛いのは君のはずなのに弱音を吐き、離れよう、と。
「私はあなたが居なくなることを望んでない。今ある、あなたがいる幸せがいいの」
「…もっとひどい事が起きても?」
「居ないよりずっとまし」
「君が嫌と言っても、もう離してあげられないよ」
「離してくれたことなかったでしょ。ねぇ、いつもみたいに笑って?」
「今は…下手な笑顔しか出来そうにないや…」
手を引かれてベッドに座る君の傷に障らぬように緩やかな抱擁をおくる。「少し休んだら笑えるかな…」蚊の鳴くような声で言えば、辛うじて動く腕で背中を擦ってくれた。
私の人生
ハッピーエンド‼️
お題
ハッピーエンド
選択者が選んだ結末は、すべて選択者の望んだハッピーエンドである。
選択には異論者が居て、その先にあるバットエンドを見せるのである。
どちらにとってもその結果が、最高のハッピーエンドなのだ。
満足したかい?
どんなだろう人生のハッピーエンド
でもエンドならその時僕は死んでんぞ
生きてる限り続いてくストーリー
きっと太陽があるこの雲の向こうに
希望とともにやってくる明日
明日があることが幸せなのは確か
自分自身には、ハッピーエンドなんて分からない
終わりが来ないことには、どんな結末も敵わない
ハッピーエンドとは?
ふと疑問に思う
物語はハッピーエンドで終わっても私の人生はハッピーエンドで終わるのか?
平凡な毎日の中にあるささやかな幸せ
それで人生の最期を迎えるのもいいか
でも…
やっぱりハッピーエンドとは?
これは人生が終わるまでの私への宿題か?
ハッピーエンドなんて
ドラマや映画、小説くらいの話だと思ってた。
なんでなんだろうって考えた時
自分なりに答えが出た
エンドなんてないから
ドラマや映画、小説は終わりがあるけど
人生は長いからハッピーエンドはないと思う
でもそんなこと思ってた僕も
君と一緒にハッピーエンドにしたいな
─────『ハッピーエンド』