『たくさんの想い出』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
人に気を遣ってばかりの性格で、
昔から楽しい思い出ばかりじゃない。
いかに普通になれるか。
馴染めるか。
笑顔は得意だけど、
心底笑う事は少なかったし。
今になって
それもちゃんと思い出になってて
今はそれを経て、少し自分らしく
考えれるようになり、忙しいながらも
幸せな時間も含め、過ごせてる。
これから先も、
きっと華々しい事は無いけど
一つ一つどんな出来事も。
私の老後の楽しみとしてもね。
たくさんの思い出を作る。
たくさんの思い出
東北や北海道の方には申し訳ないですけど、こちらはまだまだ昼は暖かくて「秋らしい秋だなぁ」なんてのんびりしてたんです。そしたら突然寒くなってきたんですけど。びっくりするんですけど。
もしかして秋終了、、ですか?
短すぎません?
お気に入りのワンピースの出番終わりましたよ。全然着れなかったわ。
これからは寒さとの闘い。
なんかいつも何かと戦ってる気がします。
寒い夜、行くべきところはただ一つ。
いつも心に漫画喫茶、駆け込み寺ならぬ駆け込み漫画喫茶です。これに温泉が併設されたら完璧なんだけど。
私一体何を書いてるの?
お題ね、
いい思い出は全部作り物、偽物、まぼろしーーーーーー。悪い思い出は背負い投げーーーー。
でいいんじゃない?
瓢箪からIKKOさんend
思い出は溢れ出てくるけれど
毎日毎日が出しっぱなしにした蛇口から零れる
水のように過ぎていく
新年度始まったと思えば、もう年末で
結局、自分はなにを成したのか
分からなくなる
大きな変化が無かったわけじゃないけれど
いつの間にかそれが当たり前に成り代わった
でも、こうして、何気ない日常が
思い出に変わる日もきっとくる
毎日大切になんて、きっと出来ないけれど
毎日を楽しむことがきっと思い出として
いつか思い出せたらいいな
たくさんの想い出
心の中で
たくさんたくさん
シャッターを切った
色褪せていく
フォトグラフ
「たくさんの思い出」
急に思い出すことがある。
楽しい思い出も悲しかった思い出も。
何が出てくるか分からない。
サクマドロップスのように、
カランと出てくるまで分からない。
苦手なハッカ味がでる時だってある。
思わず缶に戻して見ないふり。
悲しかった思い出だって見ないふり。
たくさんの思い出
研磨と一緒に過ごしたたくさんの思い出は私の胸の中にしまっておく。
…だって、もう逢えないから。
でも、楽しかったよ!
…ありがとう。
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たくさんの思い出は人それぞれあるが、良いものも悪いものもある。
だが、人は大半悪い思い出の方がよく覚えている。
…推測だが、次に同じように嫌な思いをしたくはない為、学習した結果だと思っている。
ふたりの自分が心の中にいる
ふたりは互いに無関心だ
楽しい思い出に彩られた自分と、辛い思い出の中にいる自分
ふたりはまだお互いを知らないのだと気がついた
僕はひとりを贔屓している
ひとりを見ないようにしている
だから僕は僕を知らないのか
そのことが僕を寂しくさせるのか
なにか良いことに気が付きました。
たくさんの思い出
たくさんの思い出を胸に君は上京したね
上京前日、桜並木の下で僕と二人で取ったツーショット写真を君は大事そうに持っていた。
ずっと応援してるからね、君の笑顔や君と過ごした日々を僕は忘れない。
忘れないよ、たくさんの思い出と共にいつまでもずっと
「たくさんの想い出」
君と過ごした日々になんて名前をつけようかな。
たくさんの想い出がありすぎて苦しいよ。
別れを告げるには早すぎて。
君の名前をまだ呼びたい、叫びたい。
君に届くなら。
空の上にいる君に。
今どんな風に過ごしていますか?
僕が居ない日々はどうですか?
僕は君の居ない日々は色を抜かれたようです。
寂しくて、会いたくて。
神様に何度願ったか。
もう一度時を巻き戻せるのなら僕は。
君と見た花火、海、何もかも全てをもう一度。
君と過ごした日々を、巻き戻したい。
まだ君を忘れられない。
忘れたくないの方が正しいのかな。
まだ、君を愛してる。
空の上で見てて、僕頑張るから。
君とのたくさんの想い出を胸に抱いて。
たくさんの想い出
アルバムはありません
重たいから
ふと思い出すのが
想い出
たくさんの想い出が詰まった母校。
人気のない校舎と割れた硝子窓、寂れた遊具、伸びきった草木。
それでも駆け回る生徒たちの姿が、今でも私の目にありありと浮かぶ。
この校舎は明日から取り壊される。
何物にも代えがたい想い出を、脳裏に刻む。
11.18 たくさんの想い出
僕は、君とたくさんの想い出を作りたかったんだ。
「たくさんの想い出」
沢山の思い出
ミカはこの春から大学生になり、東京へと上京することになった。
東京に行く前に、自分が通っていた母校を一目だけ見ようと来ていた。
「ここで沢山の思い出が出来たな〜」
ミカはふふっと笑みをこぼす。
ここでは沢山、思い出を作った。
部活で夜遅くまで練習したり、初恋の人に告白をして実ったり、購買のメロンパンを好んでよく買ったり……どれもミカにとってはとてもかけがえのない思い出だ。
「またいつか食べたいな……ここのメロンパン」
ミカはそう溢して、母校から背を向けた。
僕には部活でたくさん思い出があります。中学1年生の時はトレーニングや外周ばかりで先輩達の背中を見ながら頑張っていました。同級生たちはユニークな人が多くみんな優しかったのでとても馴染みやすくきついトレーニングもみんなとやれば乗り越えられると感じるほど。みんなで外周をする時も歌いながら走り乗り越えていました。2年生になる時に新型コロナウイルスが流行し中々部活がなかったけれどみんなでビデオ通話をしながらトレーニングをしたり玉突きをし、練習出来なくても繋がっていました。その努力もあり団体戦では結構良いところまで行けてみんなで喜びました。最後の大会では県大会には出場出来なかったもののみんなで支え合って楽しめた3年間となり今でも私の思い出です。今でもその仲間たちとは電話をしたりみんなで遊んだりしています。それが僕のたくさんの思い出です。
「たくさんの思い出」
何か辛い事がある度に
泣きながら空に飛ばしてきた
嬉しい事があった日は
大事に大事に空に飛ばしてきた
ちっちゃな幸せを
誰かと一緒に飛ばした日もあった
私の頭上で輝く
たくさんの思い出たち
あの時の涙...
あの日の痛み...
そして
嬉しかった事...
いろんな星が瞬いて
今では世界でたった一つの
プラネタリウム✩.*˚
【たくさんの想い出】
嬉しかった日の想い出
楽しかった日の想い出
悔しくて泣きじゃくった日の想い出
辛くて逃げ出したくなった日の想い出
全てが大切で愛しくて尊い想い出
辛く苦しい、今という日が
いつか大切な想い出へと変わるその時まで
今日という日を積み重ねて行こう
わたしのからだは
「たくさんの想い出」で
できている。
泣いたり笑ったり
出会ったり別れたり、
いろんな思い出が、
細胞の中に
染み込んで
今の私になっている。
たくさんの「愛」が
詰まっているんだ。
このクラスは僕に沢山の想い出をくれた。
入学したてで緊張していた僕に声をかけてくれた人がいた。
校長先生の話の後に、長かった。と言い合って笑った人もいた。
運動会で一致団結して3年の先輩に張り合って応援を大声でした。
走る競技が苦手な僕にコツを教えてくれた。
優勝はできなかったけど、皆で頑張ることが出来た。
文化祭。
クラス全員で放課後に談笑しながら出し物を作った。
くだらない話で盛り上がって、すごく楽しかった。
出し物も上手くいって、すごく嬉しかった。
衣装も手作りなのにクオリティーが高かった。
音楽祭。
皆で声を合わせて歌った。
途中で仲たがいもあったけれど、上手く言った。
テノールだった僕は、他のパートをあまり知らないけれど、少なくともテノールでは皆が楽しんで歌えた。
クラス替えの前日。
先生から話があった。
個性についての話。
個性とは一体何だったのだろうか?
大人になった今もまだわからない。
それでも、考えることが大事だと先生は言った。
だから、僕も考えることをやめない。
クラスで集まる最後の日。
僕は泣いた。
今までのことを全部想い出にしきってしまって。
新しい未来へと一歩を踏み出すために。
たくさんの思い出
思い出って良い悪いなく思い出せることでいいんですよね?
甘い思い出、苦い思い出、思い出したくない思い出。
人生生きれば生きるほどに、思い出は増えていくものです。
とはいえ、私は空白の10年があるのと、学生時代のいじめ経験が負荷掛かり過ぎたのか、10代もそこまで記憶がなく、実質年齢マイナス25年くらいでしょうかね。
そこへさらに人付き合いがほぼないので、プライベートの思い出となると、思い出しうる幼少期かここ10年くらいがメインになるかなと。
学生時代はこうだったああだったと、ありがちな話題を聞く度に、私の引き出しほぼ悪い思い出ばかりで、開けてはため息をつきながら閉める。
そんな感じで話題が広がらず、これが仕事場だからいいとしても、プライベートで会話が広げられないのは致命傷ですからね。
見聞きした他人の思い出を、フルに二次利用させていただいております。
ちゃんと引用元として、職場で会った人から聞いたとかは明かしてますのでご安心を。
ではここ10年の思い出となると……痛い思い出が多いでしょうかね。
心身共に色々痛い思いをしています。
物理的なものだと転落強打とか骨折、精神的なものだと世間ズレしすぎているゆえの痛さや、トラウマレベルで嫌な思いをする出会いがあって似た人見るだけで吐くほど。
あちこち痛めているのですが、本人笑いながらそんな思い出達を職場や(誰も聞いてない)配信で話しているので、もし聞いている人がいたら、感情壊れたヤツだなとバレますね笑
そうは言っても、実はいい思い出もたくさんあるんです。
SNSとか不慣れすぎた頃旧Twitterを始めて、無知ゆえに色々ご迷惑を掛けながらも教えてくれたりした人達だとか、先々月までいた別の場所で1年半近くお手紙の交流をする機会があったり。
そう思うと、人間不信でありながらも、接してくれる人は徐々に好きになれるんだなと、良い思い出として引き出しにしまえています。
一応運営さんにお伺いのメールはしてみたんです。
感想聞いたりお話できたりしたら嬉しいので、ここで他の交流先をお知らせしてもいいかと。
お忙しいですし内容が内容なので、返信はないと思っていますけどね。
でももし、良くも悪くも新しい思い出ができるきっかけになるなら、楽しいじゃないですか。
たくさんの思い出。
それはもう召されてもいいと思えるくらい幸せな思い出から、もう召されてもいいと思えるくらい逃げたしたくなる辛い思い出まで、たくさん、本当にたくさんあります。
それもこれも、私がこうして生きているからこその経験であり、今を生きているからこそ思い出せるんですよね。
ちなみに、以前知り合った人ともしかしたらお友達になれるんじゃないかと思えるくらい会話が続いた時に、一緒に思い出増やしませんか?と聞いて、音信不通になった苦い思い出があります。
このまま続くといいな、友達になれたらいいな、それ一心でまったく他意はなかったのに、後日職場でそれを話すと、ただのキモいやつからの告白に思えたんだろうと言われ、口は災いの元と痛感しましたね。
思い出される話題は、自分だけが笑えて周りは苦笑する痛い思い出ばかりなり。
子供の頃、夏休みの朝に何度も見た再放送のアニメが深夜枠でリメイクされた。
新しくなっても感動は変わらない。
主人公とライバルの熱い戦い。友情。
ヒロインとのロマンス。
画面を越えて、主人公と苦楽を共にしたのだ。
そんな想い出が甦る一方。
解像度が上がり鮮明になったテレビ画面。
同じ人物のはずなのに跳ね上がった顔面偏差値。
あの頃にはなかった複雑な想いが芽生える深夜2時。