『たくさんの想い出』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
沢山の思い出
ミカはこの春から大学生になり、東京へと上京することになった。
東京に行く前に、自分が通っていた母校を一目だけ見ようと来ていた。
「ここで沢山の思い出が出来たな〜」
ミカはふふっと笑みをこぼす。
ここでは沢山、思い出を作った。
部活で夜遅くまで練習したり、初恋の人に告白をして実ったり、購買のメロンパンを好んでよく買ったり……どれもミカにとってはとてもかけがえのない思い出だ。
「またいつか食べたいな……ここのメロンパン」
ミカはそう溢して、母校から背を向けた。
僕には部活でたくさん思い出があります。中学1年生の時はトレーニングや外周ばかりで先輩達の背中を見ながら頑張っていました。同級生たちはユニークな人が多くみんな優しかったのでとても馴染みやすくきついトレーニングもみんなとやれば乗り越えられると感じるほど。みんなで外周をする時も歌いながら走り乗り越えていました。2年生になる時に新型コロナウイルスが流行し中々部活がなかったけれどみんなでビデオ通話をしながらトレーニングをしたり玉突きをし、練習出来なくても繋がっていました。その努力もあり団体戦では結構良いところまで行けてみんなで喜びました。最後の大会では県大会には出場出来なかったもののみんなで支え合って楽しめた3年間となり今でも私の思い出です。今でもその仲間たちとは電話をしたりみんなで遊んだりしています。それが僕のたくさんの思い出です。
「たくさんの思い出」
何か辛い事がある度に
泣きながら空に飛ばしてきた
嬉しい事があった日は
大事に大事に空に飛ばしてきた
ちっちゃな幸せを
誰かと一緒に飛ばした日もあった
私の頭上で輝く
たくさんの思い出たち
あの時の涙...
あの日の痛み...
そして
嬉しかった事...
いろんな星が瞬いて
今では世界でたった一つの
プラネタリウム✩.*˚
【たくさんの想い出】
嬉しかった日の想い出
楽しかった日の想い出
悔しくて泣きじゃくった日の想い出
辛くて逃げ出したくなった日の想い出
全てが大切で愛しくて尊い想い出
辛く苦しい、今という日が
いつか大切な想い出へと変わるその時まで
今日という日を積み重ねて行こう
わたしのからだは
「たくさんの想い出」で
できている。
泣いたり笑ったり
出会ったり別れたり、
いろんな思い出が、
細胞の中に
染み込んで
今の私になっている。
たくさんの「愛」が
詰まっているんだ。
このクラスは僕に沢山の想い出をくれた。
入学したてで緊張していた僕に声をかけてくれた人がいた。
校長先生の話の後に、長かった。と言い合って笑った人もいた。
運動会で一致団結して3年の先輩に張り合って応援を大声でした。
走る競技が苦手な僕にコツを教えてくれた。
優勝はできなかったけど、皆で頑張ることが出来た。
文化祭。
クラス全員で放課後に談笑しながら出し物を作った。
くだらない話で盛り上がって、すごく楽しかった。
出し物も上手くいって、すごく嬉しかった。
衣装も手作りなのにクオリティーが高かった。
音楽祭。
皆で声を合わせて歌った。
途中で仲たがいもあったけれど、上手く言った。
テノールだった僕は、他のパートをあまり知らないけれど、少なくともテノールでは皆が楽しんで歌えた。
クラス替えの前日。
先生から話があった。
個性についての話。
個性とは一体何だったのだろうか?
大人になった今もまだわからない。
それでも、考えることが大事だと先生は言った。
だから、僕も考えることをやめない。
クラスで集まる最後の日。
僕は泣いた。
今までのことを全部想い出にしきってしまって。
新しい未来へと一歩を踏み出すために。
たくさんの思い出
思い出って良い悪いなく思い出せることでいいんですよね?
甘い思い出、苦い思い出、思い出したくない思い出。
人生生きれば生きるほどに、思い出は増えていくものです。
とはいえ、私は空白の10年があるのと、学生時代のいじめ経験が負荷掛かり過ぎたのか、10代もそこまで記憶がなく、実質年齢マイナス25年くらいでしょうかね。
そこへさらに人付き合いがほぼないので、プライベートの思い出となると、思い出しうる幼少期かここ10年くらいがメインになるかなと。
学生時代はこうだったああだったと、ありがちな話題を聞く度に、私の引き出しほぼ悪い思い出ばかりで、開けてはため息をつきながら閉める。
そんな感じで話題が広がらず、これが仕事場だからいいとしても、プライベートで会話が広げられないのは致命傷ですからね。
見聞きした他人の思い出を、フルに二次利用させていただいております。
ちゃんと引用元として、職場で会った人から聞いたとかは明かしてますのでご安心を。
ではここ10年の思い出となると……痛い思い出が多いでしょうかね。
心身共に色々痛い思いをしています。
物理的なものだと転落強打とか骨折、精神的なものだと世間ズレしすぎているゆえの痛さや、トラウマレベルで嫌な思いをする出会いがあって似た人見るだけで吐くほど。
あちこち痛めているのですが、本人笑いながらそんな思い出達を職場や(誰も聞いてない)配信で話しているので、もし聞いている人がいたら、感情壊れたヤツだなとバレますね笑
そうは言っても、実はいい思い出もたくさんあるんです。
SNSとか不慣れすぎた頃旧Twitterを始めて、無知ゆえに色々ご迷惑を掛けながらも教えてくれたりした人達だとか、先々月までいた別の場所で1年半近くお手紙の交流をする機会があったり。
そう思うと、人間不信でありながらも、接してくれる人は徐々に好きになれるんだなと、良い思い出として引き出しにしまえています。
一応運営さんにお伺いのメールはしてみたんです。
感想聞いたりお話できたりしたら嬉しいので、ここで他の交流先をお知らせしてもいいかと。
お忙しいですし内容が内容なので、返信はないと思っていますけどね。
でももし、良くも悪くも新しい思い出ができるきっかけになるなら、楽しいじゃないですか。
たくさんの思い出。
それはもう召されてもいいと思えるくらい幸せな思い出から、もう召されてもいいと思えるくらい逃げたしたくなる辛い思い出まで、たくさん、本当にたくさんあります。
それもこれも、私がこうして生きているからこその経験であり、今を生きているからこそ思い出せるんですよね。
ちなみに、以前知り合った人ともしかしたらお友達になれるんじゃないかと思えるくらい会話が続いた時に、一緒に思い出増やしませんか?と聞いて、音信不通になった苦い思い出があります。
このまま続くといいな、友達になれたらいいな、それ一心でまったく他意はなかったのに、後日職場でそれを話すと、ただのキモいやつからの告白に思えたんだろうと言われ、口は災いの元と痛感しましたね。
思い出される話題は、自分だけが笑えて周りは苦笑する痛い思い出ばかりなり。
子供の頃、夏休みの朝に何度も見た再放送のアニメが深夜枠でリメイクされた。
新しくなっても感動は変わらない。
主人公とライバルの熱い戦い。友情。
ヒロインとのロマンス。
画面を越えて、主人公と苦楽を共にしたのだ。
そんな想い出が甦る一方。
解像度が上がり鮮明になったテレビ画面。
同じ人物のはずなのに跳ね上がった顔面偏差値。
あの頃にはなかった複雑な想いが芽生える深夜2時。
思い出を思い出せないのはきっと大切なものが多いからだよ
【たくさんの想い出】
私の人生。
生まれてきた。まだ何も感じない。
幼稚園。辛いこともあったけど先生が優しくて大好きだった。
小学生。自由だった。ただ嫌なこと辛いことは増えた。どうしてそれがいけないのか分からなかった。
中学生。気を遣うことが増えた。周りも前みたいに子供のままではいられない。友達付き合いが複雑になった。
高校生。何もかもが嫌になる。全てのものが私の敵で味方なんて存在しないと思ってた。誰も私のことなんて解ってないくせに。好き勝手言わないで。
大人になった。前より大分生きられた。だけど、やっぱり自分の性格なんて中々変えることなんて出来なくて。死にたい気持ちは日に日に増していく。それでも希望は捨てきれなくて。頑張ってる。
たくさんの思い出に囲まれて、今を生きてる。
あの子の卒園式の写真に、入学式の写真、修学旅行の写真、中学の入学、卒業式の写真、一緒に過ごした時の写真と、一緒に過ごしてない時の写真も。
あの子が小さい時から今まで、写真がたくさん。
たくさんの、思い出。
3年前の今日は…ああ、そうか。あの子が別の女とカフェに行ってた日か。
あの女、命乞いが惨めだったなぁ笑
あーー、愛してるよ、この世の言葉では言い表せないくらいね。
今日のお題
╭━━━━━━━━━━━━━━╮
たくさんの思い出
╰━v━━━━━━━━━━━━╯
わたしの中学校生活
たくさんの思い出ができた
友達との時間
家族との時間
勉強の時間
すべてが私の思い出だ
たくさんの想い出
あったはずなのに
消えてくね
おかしいなあ
想い出だけでも
生きていけると思っていたのに
たくさんの想い出
まるでスマホのように
一人一人の物で
インスタやTik Tokも
使い捨ての雑誌
たくさんの想い出
幼稚園から記憶にあるけど
スポーツ観戦したあとの
みんなで語らう想い出がいい
たくさんの想い出
流行歌さえ今年は知らない
個人ごとの生活で
共有してゆく楽しさが消えた…
それはマッチ売りの少女
炎に夢を映す
人なんて一人ぼっちじゃ
想い出も作れない
たくさんの想い出は、頭の中に記憶としてしまい込まれる。
古いものから奥へ奥へ、もしくは新しいものがどんどん上に積み重ねられ。長い年月のうちに形が変わったり、ついには薄れて消えてしまうこともある。
その反面、剥製のようにいつまでも生々しく居座っているものもあるけど。
だけどふとしたきっかけで、ヒトは膨大な記憶の中からその一つを拾い出し、喜怒哀楽を再体験できてしまう。
更に、その記憶の当時に瞬時にタイムスリップもできてしまうのだ。
まったく、ヒトは頭の中だけでは誰しも超人である。
そんな頭、今日もお疲れ様。
──これからも一緒に思い出を作ってくれますか。
(たくさんの思い出)
たくさんの想い出
どうしたんです? そんな両手いっぱいに抱えて。涙でぐしゃぐしゃじゃないですか。
はやくこれを燃やして欲しい? ええ、まぁ、それが仕事ですから構いませんけれど。ずいぶんたくさんあるようですが……。
ええ、ええ、わかりましたよ。
はい。
どうです? ……。
……さぁ。私に聞かれましても、この店に着いた時にはもう泣いてらっしゃいましたよ。
ええ。……それならよかったです。また不要な想い出があれば、いつでもお越しください。私の炎が責任持って、どんなものでも、灰にして差し上げますよ。
#たくさんの思い出
数えきれないほどの
思い出があったはずなのに
楽しいことばかり
覚えているわけじゃない
悲しいことばかりでもない
忘れたい
そう思うことほど消えない
忘れたくないと思っても
時の流れに薄れてくこともある
それでも生きてきた
その場面場面で
ぶつかって転んで立ち上がって
今がある
たくさんの思い出の中に
私の命を支えてきたものがある
この長い生命の旅を
終える日まで
思い出を積み重ねて行こう
息子の修学旅行
失敗したり
皆で協力したり
自分のことを知ってもらって
友達が増えて
絆が深まって
ひと回り大きくなって帰ってきた
声も少し低くなってた
毎日がキラキラの青春
たくさんの想い出を胸に
巣立っていくんだなぁ
作品8 たくさんの想い出
楽しかった思い出なんて、一つもない。死ぬ間際になるまで、ずっとそう思っていた。
僕は小さい頃から体が弱くて、成人してから一瞬良くなったけど、またすぐ悪くなった。それでもやっぱり長生きしたかったし、健康でいたかった。
そのために、出来る限りのことはした。食べるものも、触るものも、部屋の空気も、何もかも、嘘臭いものでも、全部試して、健康に良いものにしていた。
だけど、無駄だった。
そんな無駄の一つに、散歩があった。
あれは、秋風が強い日。いつもみたいに散歩をしていた。なんとなく、いつもと違う道を歩こうと思い、見知らぬ公園に行った。そこには、大きな木と、たくさんの落ち葉があった。あと何回見れるかわからないから、ちゃんと記憶に残そうと、目に焼き付けているとき。
あの人に出会った。
あの人は、凛としていてすごく美しかった。
僕と初めてあったときの印象を聞くと、『秋風』と答えられたのは、すごい面白かったな。お返しに、想いも込めて『リンドウ』と言ったっけ。
あの人のおかげで僕の記憶は、一気に鮮やかに色づいていった。
ありがとう、人生に色を与えてくれて。
ごめんね、イチョウの約束守れなくて。
僕のことを教えなかったのは、呪いになりたくなかったんだ。
死ぬ間際になって、あの人に送る手紙を書いていると、そんな思いがたくさん溢れてきた。こんなの、だめだ。こんなの、余計あの人を苦しませるだけだ。
もっと別な言い方で、もっと遠回しに、直接この気持ちを伝えたい。
あの人は僕にたくさんの想い出をくれた。走馬灯が豪華になるほど色鮮やかで、それでいて、両手から溢れてしまうほどの、たくさんの想い出を。僕の一生の中で、一番濃厚な時間だった。
ありがとうね。全部を伝えるには言葉だけじゃ足りないから、紙にも工夫した。きっと気づいてくれるはず。
『いつまでも、君を想うよ。』
そう手紙に綴った。
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作品4 秋風より
「あなた」(「彼」)目線