『あじさい』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
あじさい。
あじさいを
見つけると
暑くなる。
酸性とか
アルカリ性で
色が変わる。
白いの
最近
よく見るなぁ。
「アジサイの葉は毒をひめている」
寝腐り、あけはなれた。ぼくはたべても、きっとあまくはない。
まだ、まだ。死の幽香を懐孕していながらも、ねたりない。おやすみなさい。
あじさいの花が咲いてるのを見ると貴女が隣で綺麗だねって笑っている気がする。でも貴女が好きなのは青じゃなくて赤だったよね。知ってた?赤いあじさいが咲いてる地面はアルカリ性なんだって。ここに血を垂らしたら貴女の好きな赤色のあじさいが咲くのかな?人間はアルカリ性だもの。でも貴女が好きだったあじさいを汚すのは嫌だな。
ずっと青いあじさいが並んで咲いているなか小さな赤色のあじさいのかぶが一つだけあった。それは貴女の墓の上だった。貴女は自分から自分の好きだった物へ生まれ変わったのかな?そうだったら良いな。
紫陽花の別名は、「七変化」
花言葉は、「移り気」「辛抱強さ」「浮気」「無常」
リトマス紙の様に色がころころと変わる為
浮ついたイメージの言葉がついている。
でも、見方を変えれば何色にだってなれる
万能な花なのかもしれない。
例えば百合や薔薇の花のように
何ものにも影響を受けず
一本気に我が道を行くのもありだし
紫陽花のように
環境に影響を受けながら、生きるのもありなのだと
教えられているような、そんな気持ちになる。
――あじさい――
出かける前にじっと見つめる
穏やかで可愛らしいアジサイ
一つ一つの花々が水の雫で踊り飛び跳ねる
楽しそうでもいつか散る
残酷だけど美しく成る
傘だけに話しかけた
私は散っても美しくない?
あじさい
額紫陽花の花言葉は“謙虚”
小さなお花が集まるその様や
まわりのガクが、メインのお花だと間違われてしまうところ
目立たずひっそりと咲くその姿は
まさに“謙虚”さをあらわしているけれど
“本当は私が、”
って思っているような気がするんだよね
でも、それで良いと思う
あなたが主役の季節が来たんだから
あじさい
夏になったら咲く花
紫だったり青とか赤だったり
一つの花が集まって
大きい花を形作る。
なんだか少し切なくなった。
#あじさい
「もういい!話したくない!」
教室に響いた私の声
教室を飛び出して帰り道をとぼとぼと歩く
ふと道の横にある花壇を見ると
不思議なくらいに綺麗なブルーのあじさいが咲いていた
でも一輪だけ
他の花はまだ蕾のままだった
「早く咲いたらいいね」
私はまた歩き出した
涼し気な季節から
纏わりつくような空気に変わった
ジトジトと雨が降り
気分も落ち込む
まるで私の心の中
無常の恋なんて無い
ほらね
貴方はまた他の花に移り変わる
あじさい
様々な色がある
ピンクや青
全て綺麗でいい色
人も様々な個性がある
だから、自分に自信をもって。
ずぅっと残ってる 。
美しくなくっても
堂々とずぅっとここに残ってる。
カレと一緒にみたあじさい。
傘をぶつけ合いながら
笑い合いながら
あじさいの横を通り過ぎ行った想い出。
ずぅっと残ってる。
美しくなくても
ずぅっとここに残ってる。
「まだ君と一緒に居たいなぁ」
カレと私の想い出は
ずぅっとここに残ってる。
だから大丈夫。
安心して。
「俺が死んでも、ちゃんと幸せになってね。」
あじさいはずぅっと残ってる。
2人の想い出もずぅっと残ってる。
だから
だから
新しいあじさいを、私は見に行くね。
「あじさい」
紫陽花
私は梅雨の時期が終わると死んでしまうと医者に宣告された。だから私は1日1日を大切にしようと考えた。じゃあ何が出来るか考えたらそうだ、梅雨がくる前に、紫陽花の種を道路沿いに植えて梅雨が来たら満開になる。そしたら皆も見れるし私も見れる。だけど私は梅雨が終わったら死んでしまう。だから紫陽花の種まきを早々に終わられた。そして毎日、水をあげたり、土を変えたりしていると、梅雨が来た。やっぱり大雨が降った。計画通りに紫陽花が花を咲かせた。私は早朝にその紫陽花が咲いている道を歩くとそこには、一人の男の人がいた。私はドキッとした。何故ならめちゃくちゃ早く来て紫陽花見てるなんてビックリします。私は勇気を出して言ってみた。
[あの~、何してるのでしょうか?]
私がそうゆうと、紫陽花を見ている人はこう言った。
[イヤー、立派な紫陽花だな~~と思って。]
私は紫陽花を好きな人に初めて会い、境遇の仲間がいたことを心の中で喜んだ。そしてその人は、
[もうこの紫陽花も見れなくなるんですよ。]
えっ?と心の中が急に静かになった。私は、
[何故です?]
そう言うとその人は
[この梅雨が終わると死んでしまうんです。]
私はドキッとした、私と同じだ。
[私もです]
そうゆうとその人は
[そうですか、私と同じですね。]
そういった。
[じゃあ!死ぬ前にいけるところいきましょう?]
と言うとその人は
[えっ?良いんですか!行きましょう!]
笑顔で良いながら歩き出したので私も笑顔でその人についってった。
あじさいは、
ほんとにきれいだよ
雨の中
凛とそこに佇む君は美しかった
美し過ぎて泣いた
自分がどれだけ醜かろうと
君はそこにいた
そこで僕を見ていた
いつか枯れてしまう命だったとしても
晴れの日よりも雨の日の方が
君は美しい
僕もそうでありたい
もう誰も住まない家の庭に
今年も紫陽花は
かわいい花を咲かせた
誰にも見られず
ほめられもせず
細かい雨にうたれる佇まいに
なぜだかわたしの胸は疼いた
#あじさい
降りしきる雨の下
雫をかぶってうなだれるように咲くアジサイ
己を盛りとも知らないで
子供の頃の記憶の中の紫陽花は、胡麻の匂いだった。
学習塾の庭で親の迎えを待つ間、絵本の真似をして隠れた紫陽花の茂みは、体がぶつかる度に胡麻油のような香ばしい匂いを夏の空気に振り撒いていた。
それから成長し、紫陽花の葉には毒があると初めて知った際には「ああにも胡麻の匂いがするから誤って食べてしまう人は多いのだろう」と思ったほどだ。
さて、それからさらに大人になり、私は今一匹の犬を飼っている。
臆病だが愛嬌のある中型犬だ。
散歩につれていくと、必ず途中の庭先の紫陽花の匂いを嗅ぐ。他の犬のおしっこがかかっているのか、それとも好きな匂いなのかは分からないが、必ず立ち止まって鼻を近くまで寄せるのである。
ほとんど拾い食いをしない犬ではあるが、万が一ということもある。私は犬が急に紫陽花にかぶり付くことのないよう肩を押さえるために、紫陽花を嗅ぎ続ける彼の横にしゃがみこんだ。
そうすると位置の関係上私の顔も紫陽花に近くなるのだが、その時、紫陽花の葉からは何の匂いもしないことに気が付いた。
手にとって顔を近づけると穀物のような青臭い匂いがしないでもないが、小さな頃に美味しそうだとさえ思ったような揺るぎないものではない。
私は気になって家に帰るや否やパソコンを開きその事を調べてみることにした。
調べていくうちに、どうやら「ボタンクサギ」という花があることを知る。
「クサギ」という植物の仲間で小さなピンクの花が紫陽花のような半球状に集まって咲く低木であるらしい。
「クサギ」は漢字で書くと「臭木」であり、枝葉から独特な臭いがすることが語源らしく、どうやらその臭いが嗅ぐ人によっては胡麻の匂いの様に感じるらしい。
写真をみると確かに紫陽花のような丸いフォルムの花で、葉の付きかたもどのか紫陽花に似ている。
もしかしたら私が幼い頃に隠れていたあの紫陽花は、「ボタンクサギ」だったのではないだろうか。
学習塾の庭といっても田舎の藪のような庭だ。生え散らかしていた紫陽花の中に「ボタンクサギ」が紛れていても何ら不思議ではない。
学習塾のあった場所は10年も前に更地になってしまったので、答え合わせは実際に「ボタンクサギ」を嗅いで思い出のなかの匂いと擦り合わせるしかない。
もう十何年も前の話である。少しずつ幼い頃の記憶も曖昧になっていく。湿った土の上のあの胡麻の匂いが記憶から完全になくなってしまう前に、「ボタンクサギ」に出会ってみたいものだ。
余談だが、紫陽花の葉は毒である一方、「クサギ」の葉は天ぷらにして食べると美味しいらしい。あの茂みが「ボタンクサギ」であったのなら、私が幼い頃に感じた「美味しそうな匂い」という感想は至って妥当だったようだ。
あじさいの季節になった
ジメジメしとしと
でも、かたつむりにとっては嬉しいんだよね
たまには傘さして違う景色を見に行こうかな
舞華
陽のひかりより
雨しずくが似合うあじさい
輝けるステージはそれぞれ
「あじさい」
紫陽花の季節が終わる頃には私はこの世にいないかもしれない