テツオ

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太陽にむかって、
まいにち「さようなら」を言うやつはいないだろう。
同時に、空にむかって「親の顔より見た」なんて言うやつも、いない。

慣れすぎてる気がして、おれはときどきこわくなる。
けど、バカらしいから、もしものことは考えない。

街には、きょうも情報がごったがえしてる。
道路には車がしきつめられて、
歩道にはひとがひしめきあう。

昼日に、快晴の空に、だれも意識をむけないし、おれも見ない。
人の間に滑り込んで、目的の場所へつっぱしる。

すれちがっただれかが、どんなかっこしてたとか、顔してたとか、ましてなまえなんて、しるわけない。
一回、ひとの間をすり抜けて、
もう一度、目の前の隙間へ入り込んで、
目をグルっと回して、右ハジに通れそうな空間をみつけて、足を運ぼうとした。

おれは、外でも中でも室内用のスリッパを履く。
もふもふな毛糸が全体にはえてるやつ。
寝る時以外、ずっとはいてるから、すっかりくたびれちゃって、iPhoneよりずっとうすい。

で、うすいから、スリッパがなんかに濡れたのがすぐわかった。
下をむいたら、真っ赤なのを、踏んでることがわかった。
それから、ガチっと固まっちゃったのが、じぶんでわかった。

おれは、背がちいさい。気にしてない。
だから、ときどき、たとえばめちゃくちゃひとが多い場所で急にたちどまったりすると、大人とかが、おれに気づかずドカッとぶつかっちゃって、おれがふっとぶってこともよくある。
だからふだん、めったなことがないかぎり、ひとが多いとこにはいかない。

でもきょうは特別だった。

おれはだれかに、ぶつかられて、前へおしだされて、手をつこうと思ったが、そのまえに額をコンクリートにぶつけた。

そこで、額以外にものすごく傷んでる箇所があるのに気がついた。
それとおなじくらいに、おんなのひとの悲鳴がきこえて、おれにぶつかったひとが、背中から大丈夫かとなんどもきいてくれる。

大丈夫だと答えようとしても、ヘンなうめきごえにしかならなくて、小説で描写されるあれは、あながち間違いじゃないのかもと思った。

おれは頭がすごく混乱してたんだと思う。
到底たてるわけないのに、うでを一生懸命まげて、地面から起き上がろうとした。
でも、腹はうまくあげられても、頭がへんにもちあがらず、足はほんとに、なまりだ。
いもむしみたいなんだろうな。

でもきょうはやっぱり特別な日だった。

おれは、手をパーカーのポケットにどうにかつっこもうとした。
でも、かすりはするが、するっするって、なかなかはいらない。
あたまがあがらないので、ここだ、と思ったところへ、手をさそうとするが、もうあたまがマトモじゃないんだろう、だからぜんぜんはいらない。
いつも、ポケットの位置なんてみなくてもわかるくらいなのに。

泣きそうになっていたら、だれかがおれの手にさわって、ポケットにいれてくれた。
ついでに、あおむけにしてもらえる。
グワッと、一瞬すごくまぶしい閃光が目の前を通って、しかしすぐに、視界のはじに細かい羽虫がぶんぶん飛び回りはじめて、急速に光が暗くなっていく。
でも、ある段階でそれはとまって、真昼だってのに、まるで夕方くらいの暗さに、おれだけかんじられた。

ポケットのなかのてをうごかして、どうにか中身をつかみこむ。
このころには、なんとなく聞こえてくる。
救急車のサイレンと、周囲のどよめきとか、雑踏とか。
でもそれより、おれの荒い呼吸の方がはるかに大きい。

「えっ」

それでも、一瞬の悲鳴みたいな、おれの弟の「えっ」て声だけは、めちゃくちゃよく聞き取れた。

「まちあわせしよう!」

電話ごしに、弟が言って、おれはそれに了承して、で、カレンダーに丸をつけた。

丸をつけた日に、だんだん近づいてくうちに、なんか、プレゼントしたいと思った。

会うのがすごくひさしぶりだからだ。

でも、そこまで凝ったやつじゃなくていい。

弟はおれの近くまでがあっと寄ってきて、おそるおそる、おれの額に手をそえた。
もう、すりガラス越しにみてるみたいな、ふうに、視界が変わってて、おれは、ちょっと、まだ起きてられるんだ、と思った。
サスペンスとか、そういうのじゃ、もっとはやい段階で気絶というか、死ぬ。
テンポのためかな?

おれはとことんマイペースだな。

「あのね」

弟がおれのむかいに座りながら、すごく改まったカンジに、話しかけてきたのを、よくおぼえてる。

おれは、正直こころあたりはあった。

「……ごめん突然!でも、絶対兄ちゃんに言わなきゃならないことなんだ」

おれが「そうかたくなるなよ。いや、ムリか」なんて言ったら、弟は、少し顔をうつむけて「結婚したいひとがいる」と言った。

弟が生まれてから、ずっと一緒だった。

「兄ちゃん、なんで……?」

弟は、おれの、汚点だらけの生涯で、弟だけは、弟に関することだけは、綺麗であれた。

弟は、おれの額に、自分の額をくっつけて、声を殺して泣いた。
ちかくなって、さらに暗くなった視界のなかで、救急隊員か、なにかが、離れてください、と。
声だけ聞こえた。

「兄ちゃん、兄ちゃんー!」

ちいさい弟は、絵本がすごく好きで、シャイなほうだった。
いまもそう。でも、つよくなった。あと、デカい。

ともだちも、なかなかできなかった。
遊ぼうと思っても、どうすればいいかわからないらしく、おれのところに泣いてよってきた。
でもおれだって、べつにいつもヒマなわけじゃない。
だから、ときどきは、抱きついて泣く弟をひきはがした。

おれの手を握ってくれる手は、昔とかわってない気がする。
ひとりよがりかな。
おれは、弟のぬくもりを感じるてと、反対のほうで、カードを弟に、つきだした。

おれは、泣いてる弟をみてると、よくヘンな気分になる。
おれは、およびでないようなきがして、なんか、なかなか歩み寄ってやれない時がある。
もっと、ママとか、パパとかにたよりたかっただろうと、いまもよく思う。

おれは、弟の恋人さんに会ったあと、らしくもないが、カードを買いにでかけた。
おれには、センスがごっそりぬけおちてるから、店員さんのおすすめに任せた。
任せるってとこも、やっぱりセンスがないんだな、今になって思える。

うっすらとしか、もう目が開かなくて、弟は、泣いてるのか笑ってるのか、カードをみてるのかみてないのかすら、わからなかったが、弟にてを、さらにつよくにぎられた。

「兄ちゃん、しんじゃだめだよ。兄ちゃんにみててもらわなきゃボクだめなんだ」

おまえがよめさんをみててやる番だろ、とか、そういうカッコつけたことは言えない。
だってみてもらってたのはおれのほうだし。

でも、うめきごえすらでない。
ていうか、ホントに、おれいつまで起きてるんだろう。もしかして、死なないのかな。
だといいな。

おれは、カードへの言葉をなんども書き直した。
センスないからだ。
いい言葉ってのが、だんだんなにかわからなくなっていった。

「兄ちゃん、兄ちゃん……きっと大丈夫だ、大丈夫だよ」

なにかかたいものが、弟に握られた手にあたった。
たぶん、弟の額だ。

ちいさいころ、弟はおれの手をずーっとはなしてくれなかったときがあった。
ほんとにちいさいころだ。

でも、まあ幼少期の力なんてたかがしれてるし、そのときはヒマしてたから、片手で本をよんでた。
そのときの本は、なんだったかな。
たしか、カードの言葉をかんがえてるとき、この本の言葉を引用しようとしたんだ。
弟にメールでその本しってるかきいたとき、NOのスタンプが返ってきて、やめたんだっけな。

……あんまり長い時間、手を離さないから、なにしてるのかってさすがに気になって、覗き込んでみたらだ。
おれの手を、あいつは自分の頭にのせて、なでさせてた。

おれはそのとき、グッときて、ほかにいいようがない。
とにかく、こころをハンマーでぶったたかれたみたいな衝撃で、おれは、必死になって弟の頭をなでてやった。

そしたら、三秒もしないうちに弟は撫でられることをいやがって、泣き出してしまった。
おれはまるでそのときの、おまえの感情がわからなかった。

それでも、あとから思い出したら、おもしろい話だ。
カードにこのこと、かけばよかったかな。

とか、思ってたら救急車がブレーキをふんだ。

「ついた、ついた……!」

ガタガタッと、らんぼうに衝撃が伝わってくるが、痛みにうめく余裕もない。

弟はカードを握りしめて、バタッと立ち上がったら、

……がんばってうすめをあけて、状況を確認したりするが、もう、意識はぶつ切りらしい。
自動ドアが開いたと思ったら、病院の白い電灯が眼前につぎつぎ流れてって、つぎは、弟の泣き顔。

カードには、できるだけ純粋なきもちで
「おめでとう」だけ書いた。

太陽にまいにち「さようなら」をいうやつはいない

5/19/2024, 12:33:17 PM