このバーは純粋無雑で黒をテーマにしていた。
「マスター、やってる?」
「ようこそ、ご来光頂きました。閉店の時間なのですが少しだけなら構いませんよ」
「よっ、磊落だね」
そのお客は揺蕩いながら椅子に腰掛けた。
店のマスターはそれを見て、すでに聞こし召しているなと看取した。
その男は、「ビール、ビ、ビール」と注文を一再繰り返した。マスターは仕事に徹し、グラスにビールを鷹揚な動作で注いだ。
「マスター聞いてくれよ、俺の娘はさぁ、明眸だし、
頭もいいし、俺には勿体無いくらいの子供なんだよ。
だけど、頑固な所もあってさぁ、一旦こうと決めたら絶対に曲げないんだ。それは子供らしい、がんぜない行為じゃなくて、峻烈なまでの決意を持っていたんだ」男は涙ぐみながら話す。
男の背後には赤いリボンで髪を結んだ幼い女の子がいた。少女はその男の娘であった。そして椿事であるが少女は幽霊であった。少女は酔い潰れる男が心配で、成仏できないでいたのだ。男はそんな事も知らず、娘の話頭を続ける。
「体操の選手になるって言って、頑張ってたんだ。それが聞いた事もないような病気にかかって死んじゃった」と言いながら、懐から備忘録を取り出し、読み上げた。
「マスター、プロジェリアなんて病名知ってる?」
「存じ上げないです」
「もう生きてる意味なんてねぇんだ。暗闇をそぞろ歩いてるみたいなもんだ。マスター、強い酒をくれよ」
「それくらいにしといた方が、体に悪いですよ」
「おためごかしを言うんじゃねぇよ。俺みたいな客が面倒くさいんだろ?俺はさぁ、俺はさぁ」そう言ったまま男は慨嘆して泣き崩れてしまったので、マスターは接ぎ穂をなくした。
少女は父に話し掛けたかったが、霊体には金科玉条のルールがあって、例え肉親でも話しかける事は許されていない。もしそんな事をしたら、死神による宰領によって、話しかけられた者の魂が取られる。
少女は父に近づこうとし、霊力を強めてしまった。その力がテーブルに立て掛けてあったホウキを倒してしまう。
「ニャア」少女は思わず猫の声マネをしてしまい、そして後悔した。こんな所に猫がいるはずもない。
「何だ猫か」男は振り向きもせず、そう呟いた。
「ええ、赤いリボンをした可愛いらしい猫です。お客様にお酒をやめる様にと鳴いたのですよ」
マスターは優しい目を少女に方に向けた。少女は驚いた表情を浮かべた後、マスターに一揖する。
ここはバー「奇矯」不思議なことが起こる場所。
9/22/2024, 4:02:34 AM