池上さゆり

Open App

 大嫌いなメンソールの香りがする煙が部屋に充満していく。喉が痛いと訴えても、タバコを吸うのをやめてくれない。そのせいで咳も止まらない。
 それでも隣から離れることができなくて、我慢しながら座っている。目の前のテレビから聞こえる主人公の自惚れた愛のセリフに、鳥肌が立つ。気持ち悪い。愛の言葉はこんなまわりくどいものよりも、まっすぐな言葉の方がいい。そうは思っていても、私の彼氏は愛の言葉すら囁いてくれない。
 映画の愛されている悲劇のヒロインに腹が立ちながら、私はデスクの上に放り出されたタバコの箱に手を伸ばす。開けると最後の一本が入っていた。それを咥えて火をつける。
「咳出てるならやめた方がいいんじゃないの」
 あんたのタバコのせいだよと思いながらも、私は深く煙を吸い込んだ。やはり、喉が痛くなって咳き込んでしまった。それでも、吸うのをやめられなくて涙目になりながら、再び煙を吸い込む。
「なんか怒ってんね」
「やっと気づいたの」
 鈍感なこのバカを殴りたくなったが、それは我慢した。再びタバコを口に咥えると、彼氏が私の後頭部に手を伸ばして顔を近づけた。すると、お互い咥えたタバコ同士をくっつけるように合わせた。まつ毛の長いその伏目を見つめながら、ドキドキしていた。
「これ、シガーキスって言うんだって」
 下を向いていた目が私の顔を捉えた。煙でベールがかけられたかのようなその顔に見つめられると、心臓がドキドキしてうるさかった。
「その表情、好きだよ」
 私が咥えていたタバコをスッと奪い取られ、灰皿に捨てられた。彼氏も自分のタバコを捨てて、苦味の奥にあるメンソールの香りを感じながら深いキスをした。
 まだ、太陽は昇らない。

3/29/2024, 8:42:17 AM