薄墨

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すっかり迷ってしまった。
私は、柔らかい水蒸気の塊に触られている手をじっと見つめた。

やわらかい光が、私を包んでいる。
先の道も後の道も、やわらかい光にすっかり隠されている。
霧が立ち込めているのだ。

太陽のやわらかい光が霧の水蒸気に乱反射して、辺りはすっかり、クリーム色のやわらかい光に隠されている。

空気が冷たい。
一帯はしんと静まり返っている。

とりあえずで一歩踏み出す。
肩に触れていた霧が、後ろへ流れていく。
前方のアスファルトの道路が、一瞬開けて、また霧の中へ隠れる。

こんな状態で人を探すなんて、とても無理だ。
切実にそう思う。
だいたい、帰り道さえ見つけられないこの霧の中で一体どうやって探せと言うのだ。
バカなことだと、自分でも分かっている。

でも、諦めきれなかった。
私はどうしても、あの人を見つけて帰りたい。
それがどんなに困難でも。
それは私の意地だった。執念だった。

あの人が行方不明になってから一ヶ月が経った。

不思議な人だった。
優しくて、厳しくて、いつも嘯いていて。
根は、正義感が強くてまっすぐな癖に、言動は偽悪的で、戯けていて。
軟派で物腰は柔らかいのに、どこか頑なで芯は頑固で。
忖度や特別な関係などどこ吹く風で、誰にでも分け隔てなく、おんなじそっけない対応を貫いていた。

「どうでもいい」が口癖の、不器用な人だった。

冷たい空気を少しだけ深く吸い込んで、あの人を呼んでみる。
「先生?」
私の声は、冷たい霧の中にゆっくりと霧散していった。

辺りはまた、しんと静まり返る。

「先生!」
ちょっと高めに上げた声も、やわらかい光を纏った霧に抱きすくめ、埋られていく。

先生は、霧に似ていた。
ひたすらに、光も風も声も音も、みんな吸収していく霧を見て、私は思った。

人当たりもやわらかだけど、そのやわらかさは優しさではなくて。
儚げなのに頑固でなかなか消えようとはしなくて。
肝心なことは何一つ見せてくれなくて。

やわらかな光のような、そんな人だった。

霧は相変わらず、やわらかな光を抱いて、私の周りを包み込んでいる。
光も霧も何も答えてくれない。
ただ、周りのものを水蒸気の塊の中に埋めて、沈黙を守っている。

私は先生を探す。
このやわらかい光の中から。
だって、あの人はこの光に似ている。
ここに隠れるくらいできるだろうし。

「先生」
私は呟く。
やわらかな光が私を包んでいる。

一歩を踏み出す。
霧がゆっくりと後ろに流れていく。

やわらかな光は、何も変わらずに、沈黙を守って、私を見つめていた。

10/16/2024, 1:15:55 PM