sleeping_min

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【物憂げな空】

 隣の席の八橋空さんは、いつも物憂げだ。
 先生の話などどこ吹く風で、頬杖をついてぼんやりとあらぬかたへ視線を送るのが、彼女の授業スタイル。その横顔に陰が落ちて見えるのは、縁の黒い眼鏡のせいだろうか。それとも、長い睫毛をいつも伏せ気味にしているせいだろうか。
 彼女越しに見える五月の空は、あんなに爽やかで青々としているのに。ああ、そうか、あんなに綺麗な空を背負っているから、彼女はいっそう物憂げに見えるのかも。
 ふと、眼鏡の奥の睫毛が動いた。見開かれた黒い瞳が、私の視線とばっちり合ってしまう。
「なに?」
 唇の動きだけで問いかけてくる。
 私は慌てて首を振る。なんでもないよ、と。
 いや、なんでもないわけがない。私はずっと彼女を見ていたんだから。こんな誤魔化しが通用するわけがない。
 彼女も同じように思ったのだろう、不審そうに眉をひそめると、ふいっと私から視線を外し、顔を窓側に向けてしまった。
 その動きでさらりと流れた黒髪が綺麗だな、なんて見惚れてしまう。
 今、彼女は何を考えながら五月の空を見つめているんだろう。彼女の視線を通せばきっと、あの爽やかな空も物憂げなものに見えるはず。……いや、違う、彼女を物憂げな存在として見ている私の視線を通して描かれた空が、物憂げになるだけだ。空自体はどんなときでもべつに物憂げではないし、八橋空さんもきっと、物憂げではない。ただ、授業中にぼんやりしていて、長い睫毛や黒縁の眼鏡が陰のように見える、それだけ。
 そもそも、私は八橋空さんのことを何も知らない。どうして授業中はいつも上の空なのか、とか、なぜそれで成績がいいのか、とか、お昼ご飯はどこで食べているのか、とか、なぜ誰とも仲良くなろうとしないのか、とか。
 彼女が孤高の存在だから、勝手に物憂げな属性を付加して、近づかなくてもいい理由にしていただけだろう。それはもしかしたら、彼女の防衛戦略にハマってる、ってことかもしれないけど。
 窓の外を鳥が横切る。それを追うように彼女の頭がわずかに動く。さらりと黒髪が流れる。それに突き動かされたようなタイミングで、彼女への好奇心が疼く。
 そう、何も知らないなら、これから知ればいい。
 天気がなぜ移り変わるのか、なぜ雲は生まれて雨を降らせるのか、その物理的な理由を中学校で習ったように、彼女のことを学べばいい。物憂げに見える上の空の理由を、明かしてしまえばいい。それはきっと、この高校での最高の学びになるだろう。
 だから、授業の終わりと同時に、私は彼女に声をかけた。
「あのね、八橋さん、さっき見ていたことについてだけど」
「なに? キモかったんだけど」
「友達になろう」
「は?」
「いや、なろう、じゃない。なる。押しかけ友達。これからよろしくね!」
「はああぁあ!?」


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せっかくの高校なので、彼女以外のこともちゃんと学んでね……。

2/26/2024, 5:28:02 AM