城の回廊の一番奥の部屋で、年老いた女王は一人横たわっていた。
もう息も細く体を動かすことも出来ない。
かつて栄華を誇ったこの国は、腐敗し傾きかけていた。
女王はただ国を守る為に、強硬な手を打ち続けた。
国は建て直ったが、代償として彼女に残されたのは孤独だった。
魔女と呼ばれ恐れられ、誰も彼女に近寄らない。
老いと病に蝕まれ死を目前にした今、豪華なベッドに寝かされてはいるが部屋は冷たく、彼女に寄り添うものは誰もいない。
魔女に相応しい最期だ、と彼女は自嘲して目を閉じる。どのみち白く濁った目は、何も映し出すことはできない。
意識が遠のいていく中、彼女は悟った。やっと待ち望んでいた終わりがくるのだ。
その時だった。
こつ、こつ、と磨き上げられた石床を踏む足音が響いた。
規則正しいその音は、彼女の遠い記憶を呼び起こした。
この足音は……彼だ。
忘れるはずがない、この足音だけは。
幼い日のこと。彼の目を盗んではよく広い城の中を駆け回って隠れた。大きな柱の影、迷路のような庭の茂み、誰も入ったことのない塔の上。
けれどいつだって彼は彼女を見つけ出した。足音は必ず彼女のすぐ近くまで来て止まる。呆れたような嗜めるような声を聞くのが好きだった。
「姫様、そこにおられるのでしょう?」
彼の足音を聞けば安心したものだ。いつも必ず見つけ出してくれる。クスクスと笑いをこらえながら身を潜めていたっけ。どんなところに隠れたって彼は彼女を一人にはしなかった……まさか、迎えに来てくれたんだろうか。
「姫様」
足音はとまり、懐かしい声が彼女を優しく呼ぶ。
魔女と言われた自分が、姫様などと呼ばれたのが可笑しくて、彼女は深い皺に刻まれた顔を綻ばせた。自分が自分らしくいられたのは、父王の前でもなく母君の隣でもなかったのだと今更ながら思い知る。
彼女は最後の力で目を開く。白濁した瞳ではもう何も見ることはできない。でも彼女には分かる。そこに立っていたのは、とうに亡くしたはずの、ただ一人心を許した人。
「お迎えにあがりました」
――もう誰も来ないかと思ってた。みんな私を恐れ忌み嫌って近づかなくなってしまった。
「私がおります、姫様」
――懐かしいね。あなたは逃げて隠れた私をいつも見つけ出してくれた。
「本当はいつも、心配でいても立ってもいられなかったのです……私はもう二度とあなたを見失いたくはございません」
差し伸べられた彼の手に、彼女はそっと手を重ねた。
「さあ。行きましょう」
――何処へ? 私は何処に行ったらいい?
「どこへでも。あなたは自由です。どこに行かれようとも私がお供いたします」
自由、という言葉に彼女は少し震えた。自由とはどんなものだろう?
女王は彼の手に支えられながら冷たいベッドから抜け出した。身体は少しも重くなかった。
空が朝焼けに染まる頃、城の長い回廊に立つ番兵は、微かな足音を聞いたような気がした。
その二つの足音は、何かに怯えるでもなく急ぐでもなく、軽やかに響いていく。番兵は身構えたが足音はすぐに消え、静寂だけが残された。
8/19/2025, 12:05:59 AM