世の中の様々な事柄にケチを付け始めたら切りが無いっての解り切っててもついつい止まらない河童海老煎とかサラダ煎餅とか歌舞伎揚煎餅みたいに延々と繰り返したりしてしまう。そんなに暇を持て余してるつもりはないけれど高利の能率的な時間の使い方を実現出来ているなんていう自負は更々無い。崇高な精神というかニセモノとホンモノみたいなそんなこだわりがある。こだわりは ... 自分なり ... にはある ... 。自分なりに ... 是れもひとつの随分使い勝手のよいある意味卑怯な逃げ口上として使えてしまう安っぽいセリフに成り得てしまうわな。
先日火葬された親父の骨を拾った。
いろんな死に方最期があるが、だからさ、これだから、生きてる間にいちいち躓いて世間一般では俗に囁かれる所謂くだらない自らの内側に潜み住し続ける精神論という隠居がね ...成して飛躍の誇りを掲げ酔い痴れるもいいが ... どうもね ... 目的の中には欲望と虚栄心が内臓されているのは確実な訳で ... 自分には其れがどうしても不浄の一端と捉え得てしまって ... ならば無名の雨の一雫であれ将又下水汚水の無き様の一滴がより実情聖人君子であろうと念えてならないのです。知識とは地図であり知恵とは目、鼻、口、手足という所謂身体五感であって ... 智慧は心であり如何にしてどれ程の痛恨痛苦を摂受しそして重ねたか ... であろう。
自分は53年間、53年前より、未だに、ただ死わりを待つ以外の価値をこの世界に見つける事は無かった。私は、生まれた直後からやる気の無い赤ん坊だったのだろうと思う。
誰が何を成し遂げようとも ... イジメも差別も戦争もヤクザもマフィアも完全壊滅しないのと同じで。
5/9/2024, 3:06:23 AM