今日のテーマは『隠された手紙』ということで。
このままのテーマでは少し書きづらいので、手紙をメッセージと意訳して書いていかせていただきましょう。はい。
我々は当たり前の方に言葉を使って、人と人、あるいは自分自身とコミュニケーションを取っているわけですが、言葉というのは本当に難しいもので。
これは良い部分でもあり、悪い部分でもあるのですが、言葉として表現できるとなんかわかった気になってしまう、そういう性質が言葉にはあるのではないか、と。
なんとなくわかった気になってしまっている、そこに『隠されたメッセージ』というものがあるのではないか、なんてことを今日は綴ってみようと思います。
ということで本題です。
例えば「コミュニケーションが苦手なんです」とか「友達が少ない」という人がいたとして、我々はこの言葉通りのことは理解することができてしまいます。
ただ、自分から見てコミュニケーションが苦手には見えなかったり、友達が多そうに見える人がこの発言をしたとしたら、きっと理解し難いのではないかと思います。
この理解し難さがどこから来ているかといえば、単語の定義が人によって異なる点なのではないか、と。
というのも、上記の友達云々で言えば、友達の定義が違うということは、「どのような関係性を友達とするのか」もっと砕いていえば「友達にカウントする基準」というのが異なっているからではないかと。そう思っています。
自分の悩みや他人の理解し難さというのはこの「わかった気になって、実はわかっていない」という状態に起因していることが多いのではないかと私は思っています。
単語は非常に便利です。わざわざ言葉を尽くさなくても、単語に定義が集約されているので。
しかし、その便利さに甘んじていると、いつの間にか本当に大切なことを見過ごしてしまうのではないか、と。
自分が発した言葉に込められたものも、相手からの言葉に隠されたものも。そういう『隠されたメッセージ』に目を向けてみる、言い換えればもう少し言葉や単語の意味に注意を向けて見ると、ちょっとだけ生きやすくなるのかな、なんて思ったりします。
はい、今日は病院の待ち時間で書きました。
今日のテーマはこの辺りで。
2/3/2025, 3:29:28 AM