sairo

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「さて、あれを何とかすればすべて解決するのだけど」

そう言って楓《かえで》は少年を一瞥する。

「あれは、人間だって言えるのかな」
「言えるんなら、俺だって人間の括りになるだろうな」
「どういうこと?」

楓と冬玄《かずとら》の意図が分からず、燈里《あかり》は少年へと視線を向ける。
少女を抱いたまま俯く少年に、変わった様子はない。二人の口調から、生者か死者かの違いは関係ないのだろう。

「あれはね、元は人間だったのだろうけど、今は違う存在に成ってしまったモノだよ」
「死穢を取り込んで、穢れそのものになっちまった……触れるものすべてを浸食する穢れだ。そう簡単に祓えねぇな」

嘆息して、冬玄は楓に視線を向ける。
何も言わずとも理解したのだろう。楓は少年を見据え、冬玄は燈里を伴い数歩下がる。
それを認めて、楓はゆっくりと少年へと近づいた。
一歩、二歩。
少年は俯いたまま。
三歩、四歩。
供養塔婆の残骸が、足下で乾いた音を立てた。
――五歩。
少年が、顔を上げた。
表情の抜け落ちた顔で、楓を見つめている。その虚ろな目を見返して、楓は低く告げた。

「燈里との縁を切らせてもらう」

六歩。
少年に近づいて、手を伸ばした。

「――下がれ!」

冬玄の声とほぼ同時。楓は後ろに飛び退った。
その刹那、楓のいた場所に黒い靄が現れる。
地面から立ち上る靄はゆらりと揺れて、少年を囲うように広がっていく。

「怒らせてしまったみたいだね」

険しい顔をして、それでも楓は戯けて呟いた。
靄の向こう側の少年は、目に怒りを湛えて、強く楓を睨み付けている。
近づけなくなったことで次の手を講じようと、楓の影が揺らめいた。
その時。

少年の背後、土の面が二つ盛り上がる。
重い黒土が音もなく割れ、その隙間から青白い指が突き出た。
細い指が宙を彷徨う。湿った土の匂いを濃くして手が上がり、腕が伸びた。纏わり付く土を落として、やがては頭が現れた。
その異様な光景に、燈里が小さく悲鳴を漏らす。繋いだ手に力が籠もり、冬玄は震える燈里の体を抱き寄せ視界を塞いだ。
眠りを妨げられた死者の体が、土の下から地上へと這い上がってくる。ゆらりと揺れながら立ち上がり、土を落としながら、ゆっくりと少年の前へと出て、三人の視界から少年を隠した。
二体の骸の白濁した目が、三人へ向けられる。

「血族の縁……両親ってわけか。でも死者の意思ではないね」
「穢れの影響だろうよ。親の屍を操るなんさ、酷いもんだな。人形遊びが趣味ってか」

侮蔑が滲む二人の声に、燈里は顔を上げた。
そんなはずはない。
何故か強く否定する思考に疑問を抱きながらも、背後を振り返る。

「燈里、見るな」

冬玄が止めるよりも前に。

「燈里!」

骸と、目が合った。



肌に纏わり付く熱気と、強い陽射しが降り注ぐ晴れた日。
男が一人、穴を掘っていた。
その近くでは幼い子供が、布を巻かれただけの簡素な亡骸に縋り、泣いている。
吹き出し汗を拭いながら、男は無心で穴を掘り続けた。それだけが男にできる唯一のことだった。
やがて男の手が止まり、静かに穴から上がる。いまだ泣きじゃくる子供に痛ましい目を向けながらも、亡骸を抱え穴へと寝かす。
追いすがる子供を引き留め首を振る。泣くことすらできず悲しみに崩れ落ちるその様を、唇を噛みしめて見つめた。
そして男は亡骸を寝かせた穴に土をかける。

静かに埋められていく母の姿を、少年は泣き腫らした紅い目で、見続けた。



日が暮れても、暑さが和らぐことのない、そんな夜更け。
男が一人、穴を掘っていた。
何度も傾ぐ体。覚束ない手つき。その目は殆ど焦点があっていなかった。
その姿を、子供は静かに泣きながら見つめていた。
男の手は止まらない。時折子供へと視線を向けるが、薄く微笑むのみで、何も言わずに穴を掘り続ける。
それが残される子供に対して、男にできる唯一のことだと信じていた。
やがて男の手が止まり、そのまま地に倒れ伏す。それきり僅かにも動かず、呼吸も鼓動さえも止まっていく。
ゆっくりと子供が穴に近づいていく。涙の止まらない目を乱暴に擦り、穴の傍らに膝をつき。

少年は父の亡骸に、そっと土をかけ埋めていった。



蜩が鳴く夕暮れ時。
白い子供用の棺が、穴の中へと下ろされていく。
棺を取り囲む黒い人影は沈黙を保ち、おざなりに土をかけて棺を埋めていく。
その様子を、離れた場所で少年は見つめていた。
烏の鳴き声に、いくつかの人影の肩が揺れる。棺が見えなくなると乱暴に道具を放り投げ、急いで集落の方へと帰っていく。
しばらくして、少年は棺が埋められた場所へと近づいた。
土を丁寧にならして、形を整えていく。そうして墓を綺麗に直した後も、少年はその場から動こうとはしなかった。
蜩が鳴く。蝉時雨が響き渡る。
動かない少年と陽とは異なり、周囲の景色は変わっていく。供養塔婆が増え、盛り上がっただけの土まんじゅうが増えた。
そして倒れ伏す人影が積み上がり、すべての音が消えた。
陽が落ちても、少年はその場を動かない。
棺が埋められた土を撫で、いつしかその指は土を掻いた。
土を掘る。少しずつ棺を掘り返していく。
土に濡れた指の爪が剥がれ、血が滲み出しても止まらない。
やがて土を掘り返し、朽ち始めた棺をこじ開けて。

「また、ね」

少女の亡骸を抱き上げて、少年は小さく呟いた。



「――夏は嫌いなんだって」

不意に呟かれた燈里の言葉に、冬玄や楓が振り向いた。
困惑に目を瞬くも、言葉は止まらない。

「お母さんもお父さんも、夏の暑い日に死んじゃったから。だから、夏は大嫌い」

呟く自身の言葉に、燈里はそっと目を伏せる。
こびりついて離れない、夏の死の記憶に胸が苦しかった。



20250811 『真夏の記憶』

8/14/2025, 6:57:16 AM