鯖缶

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彼はいつも、わたしたちを安らかな瞳で見守っている。

「ペロ。ペーロ!」
名前を呼ぶとペロは億劫そうに立ち上がり近づいてくる。わたしは門扉の隙間から手を入れて頭を撫でた。
大きくて怖い顔をしているけど、おとなしい犬。
小学校の通学路を少し離れた家にいて、最初は男の子たちが根性だめしに寄り道していたが、おとなしいとわかると単純に会いに来る子供が増えた。
門扉には番犬注意のステッカーが貼られているが、少しやんちゃな子が足や手を振り上げたり、門扉をガチャガチャさせてもどこ吹く風という様子で、番犬として役に経っているとは思えない。
「もうおじいちゃんだもんね。」
門扉の隙間から両手を入れて、ペロの顎の下から首周りをわしゃわしゃと撫でる。すると眠たげだったペロの目が、何かを捉えたのか、まぶたが少し持ち上がった。
「あの、この辺の子かな?」
後ろから急に男の人の声がして、わたしは頭だけ動かしそちらを見た。
「カナシロ公園にはどうやって行ったらいいか、知ってる?」
「うん、知ってる…。」
男の人はわたしのそばにしゃがみ込んで、笑顔を見せる。
「友達とそこで待ち合わせしてるんだけど、初めて来たから道がわからなくなっちゃったんだ。よかったらそこまで連れて行ってくれないかな?」
「でも、知らない人についていったらだめだから…。」
「うーん、そっかぁ、困ったなぁ。」
そう言って、男の人は周りをキョロキョロと見回すが、立ち去る様子はない。
わたしはペロから手を離し「あの、わたしそろそろお家に帰らないと…。」と門扉の隙間から手を抜いたときだった。
ガシャンと大きな音を立て門扉が揺れると同時に、お腹の底に響くような犬の声がした。
振り向くと門扉に前足をかけたペロが歯をむき出して吠えている。
ペロが吠えるたびに、ガシャンガシャンと門扉が揺れる。
男の人が「危ない犬だよ、行こうか。」と腕を引くのも構わず、わたしは激しく吠え続けるペロを茫然と見ていた。
「こら! ペロ! 何してるんだ!」
玄関から男の人が出てきて、ペロの首輪を掴み門扉から引き剥がす。
「ごめん、こんなことする犬じゃないんだけど、大丈夫? 噛まれたりしてない?」
男の人は門扉を開けて出てくると、青い顔をしてわたしに話し掛ける。
わたしの目からはボロボロと涙がこぼれ出していた。
ぼやけた視界の隅には、寝そべってあくびをするいつものペロの姿があった。

後日、わたしはお母さんとお父さんと一緒に、人間用のお菓子の箱と、ペロ用のお菓子の袋を持って田町さんの家を訪ねた。
ペロの尋常じゃない吠え声を聞いて2階の窓から様子を見た飼い主の男の人、田町さんは慌てて外に飛び出した。
わたしと一緒にいた男の人は玄関が開くと同時にそそくさと立ち去ったそうだ。
ペロを叱りつけた田町さんだったが、泣いていて分かりづらいわたしの話をどうにか理解すると、わたしを門扉の中に入れてくれ、ペロを抱きしめさせてくれた。
田町さんも優しい顔でペロを撫でた。
そして田町さんはペロと一緒にわたしを家まで送ってくれて、家にいたおばあちゃんに事情を説明し、警察に連絡までしてくれた。

わたしは今日もペロを呼ぶ。
しっぽがぱさりと動いた。
いつも通りの安らかな瞳。
ペロはわたしたちを見守っている。

3/15/2023, 1:06:28 AM