なふる

Open App

『閉まる扉にご注意ください』
静かな車内に、ノイズ混じりのアナウンスが鈍く響く。
プシッ、と空気が抜ける鋭い音がして、背後でドアが閉まる。
私の体を一度だけぐっと右に引っ張って、緩やかに列車は動き始めた。
傾いたリュックを背負いなおし、開いている座席がないか辺りを見渡す。
通路の奥、列車の車両の一番端のブロック席が空いている。
くたくたに疲れた足を速く休ませるため、持っていた小ぶりなスーツケースの柄を強く引いた。

幸運にも4人掛けの席に先客はいなかった。
スーツケースを荷台に預け、窓際の席を陣取った。
窓には、見知らぬ景色が流れては消え、また流れては消えていく。

この町へは観光目的で来た。
珍しく有給が取れた。ずっと仕事で埋まっていたスケジュールに突如空いた二泊三日の穴。
折角だから普段しないようなことを、と思い立って重い腰を上げたのはつい三日前のことなのに、なぜだか遠い昔のような気がする。
目的地をここに選んだのは、ただ豊かな自然と触れ合えるとか、観光名所が多いとか、ご飯が美味しいとかそんな大したことのない理由。

動機の割に、この三日間は充実した時間を過ごせた、と思う。
一日目にこの町に着いた時の感動も、二日目に食べた名産品の美味しさも、ついさっきのことのように鮮明に蘇る。
だからこそ、もう帰路についているのが信じがたい。

タタン、タタン、と規則的に電車が揺れている。
景色が次々と飛んでいく。
何の思い入れもなかった場所なのに、離れる瞬間がどうしてこんなに物悲しくなるのか。
緑ばかりだった窓の外に、灰色が混じりだす。
非日常から日常に、最寄り駅まで一本のこの列車が今は少し恨めしい。

せめてもの抵抗に、瞼を閉じて旅の思い出に浸る。

11/28/2023, 12:26:27 PM