私の日記帳
日記の始まりは船の航海日誌だったという。
確かに、航海日誌よろしく日々記録を取っていた、祖母のバイタル。体調が良いときは基本的事項のノートのみ。体調不良やケガのあいだは特記ノートを併用する。関わる人全体で情報共有することで、「的外れな対処」を防げるし、医療の関わりもスムーズになる。
今日は初七日法要だった。
最初の二日間は何かつっかい棒が外れて転んだような困惑の中に居た。思考回路が涙漬け脳みたいになって止まることもあると知った。
静かに突然に、祖母は心臓疾患で呼吸を止めていた。緊急のしらせに駆け付け、祖母の右手を取ったら握り返してきた。息は止まっているのに、握り返してきた。身体はまだ温かさを残している。救急を呼び、指示により心臓マッサージ。到着は速く、すぐに救急隊に交代。救急隊が持ち込み計器で状態の確認をする。…と、「亡くなって時間が経っていると思われます。蘇生の可能性はほぼ無いと思われますが、搬送しますか?」と言った。
その後は警察による手続きで、夜には死体検案書が渡された。医師の所見によると、息を引き取った時間は救急隊到着の1時間ほど前、とあった。
1時間。握り返してきた右手。
1時間も待たせてしまった。
1時間も待っていてくれた。
それがどんなに大きなエネルギーを必要とするか、私は知っている。強い意志の力と、意志を支えるねがいが無ければ、到底なせないことであることを、私は知っている。
「もし、ああしていれば」という後悔もある。けど、待っていてくれたことを大きな杖として、だいじに持ってゆく。
…ここが日記帳みたいなものだ。こんな、楽しくもないことでも書ける。
8/27/2024, 4:38:42 AM