泡沫

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『やわらかな光』

やわらかい光はいつまでも遠くに届いて
まっくらなわたしの心臓さえもあたたかいそれに照らされた

覆い隠された黒い霧は晴れて
わたしの心臓は動き始めたばかりだった

ーー

『忘れたくても忘れられない』

「残念ながら、あの人は死にました」
項垂れて言うその人は、彼の部下だった。

「そうでしたか」
人は呆気なく死んでしまうものだな、と幾度となく誰かの死を間近で見てきたというのに人の死に直面する度にそう思う。

「彼のことは残念ですが、忘れてしまわれた方が……」

忘れるなんて到底無理な話だ。

あの人は素敵だった。誰がなんと言おうと、私の計画を邪魔する邪な人であっても、私の恋人であることには間違いはなかった。

ネクタイの仕方を忘れてしまった。あなたが結んでくれていたせいで。
車の運転も忘れてしまった。あなたがいつもどこかに連れていってくれるせいで。

全部全部あなたのせい。できないことをさせないで、できることを奪うのなら、私が死ぬまでずっとそばにいてよ。

そんなわがままを押し込んで、
「そうですね」と部下に口角を上げた。

ーー

『秋晴れ』

「見てくださいあれ」
彼の言った「あれ」を探す。指された「あれ」は真っ赤に燃える紅葉だった。

「きれいですね」と返すと、何を思ったか彼はその近くまで走り出した。俺も続けて後を追う。

「こんなに綺麗に色づくんですね」と近くに来てもなお見惚れている様子だった。無理もない、やっと彼の目に「色」が付いたのだから。

彼は先天的に色彩を感じ取れない病気にかかっていた。それが今の医療の進歩で見えるようになったのだった。今日は手術が成功して退院してから初めての外出だった。

彼は全てのものに感動した。「色が見える」と。色が感じとれないから「赤色」と言われても分からなかったのである。
白と黒の世界だけで生きてきた20年間はどれだけ辛いものだったか、容易には想像できない。しかし、彼の喜びようを見るに、色が分かることは彼にとって感動的なものなのだろう。

「あ、もみじ」
そう言って足元に落ちていた葉を1枚拾い上げた。
「これが赤色」
俺はしみじみと呟く彼の横顔を見ていた。
この先、白黒の世界から抜け出して色づいた世界を、同じ目線で見る事が出来ることは幸せだ。彩られた世界の中で、ずっと一緒にいたい。

ーー

『すれ違い』

「何度も言ってるじゃありませんか。この任務は私ひとりに任せてください」
「あなたは何も分かってませんよ、社長。この人たちがどれだけ危険か分からないんですか?」
「それも全て承知の上です。私はもう大丈夫ですから。あなたは違う任務をお願いします」
話は終いだ、と言うように社長はオフィスのドアはバタンと閉めた。
1人、誰もいないオフィスに取り残された俺はタバコを咥え火をつけた。

ふうと吐きながら、一息つく。

社長はあの組織の恐ろしさがわかっていないのだ。
俺は、社長と出会った時からずっと社長の部下として従うことを決めた。しかしさっきの任務を1人では難しすぎる。いくら交渉が上手な彼であっても、銃を取り出されれば殺されかねない。
目的のためならどんな犠牲も厭わない組織には交渉などというものでは穏便に帰してはくれないだろう。

それに、俺はどうしても社長を失いたくない。
彼は、家族も身寄りもない捨て犬だった俺に手を差し伸べてくれた光のような人だ。
それまで失い続けるばかりの人生だった。彼まで失うことはもう考えたくもない。
そして彼は健常者ではない。今は重い病気を患いながらも生きている。生きているだけでも奇跡なのに、そんな危ない仕事は任せられなかった。

死なせたくない。その思いは伝わらなかったようだった。


10/26/2023, 10:03:42 PM