鐘の音
母の里はお寺だった。
法事の時は電車に乗って、二人で出かけていた。
長いお経は退屈だったけど、
本堂で見慣れない物や音、いろんな気配を聴くのはすごく楽しかった。
8歳くらいの夏だったと思う。
その日はとても暑かった。
読経の間、風が通るようにと本堂の障子は開け放しにしてあった。
なので広い中庭がよく見渡せた。
端の方に井戸が見えた。その近くには小屋があった。母によると昔使っていた風呂場だそうだ。
いつも一人で行くのを禁じられていた場所だった。
気がつくと子供たちの笑う声がする。
蝉の声に混じって井戸の手押しポンプを動かす音と、パシャパシャ水が跳ねる音もする。
私は正座したまま体を傾けて、小屋の方をよーく見た。
いた!
2歳くらいの男の子と
6、7歳くらいの男の子。
そしてもう少し年上の、自分と同じ歳くらいの女の子。
三人の子供が小屋の回りで水浴びしながら大はしゃぎしている。
近所の子供たちかな。
学校のプールでもあんなに笑い転げることないな、と思いながら見ていると、
女の子がパッとこちらに顔を向けた。
そして大きく手を振ると、こっちこっちと手招きをしている。
他の2人もつられるように、私に手を振ってくれていた。
私は突然の誘いに驚くやら嬉しいやら、心臓が高鳴った感覚を今でもよく憶えている。
と…年は私と同じくらいだよね?
はだかんぼで恥ずかしくないのかな?
でも気持ちよさそう…遊びたい!
私は横にいる母をつついて、小声で
「あっちに行ってもいい?」と何度も訊ねたが、母は人差し指を唇に当てて小さく首を振るばかりだった。
そのうち坊守さんが来て障子が閉められ、子供たちの姿は見えなくなってしまった。
ただ笑い声と水の音だけは、障子越しにずっと聞こえていた。
私はせっかく誘ってもらったのに無視したみたいで、気になって仕方がなかった。
お経が終わり、お茶とお菓子を頂きながらのお坊さんの話もやっと済んだので、子供たちのところへと走って行った。
なんと、井戸には厳重に蓋がしてあり、その上には紐で括られたブロック片まで置いてあった。
小屋の中を覗くと確かに浴槽はあった。
でも洗い場には水の跡どころか、落ち葉がたまっていて、コンクリートでできた浴槽には、苔がぶ厚く生えていた。
呆然と立ち尽くしていると、母が来て「一人で来ちゃダメでしょ」と言った。
「だってここで遊んでたんだよ、みんなで…」
振り向いてそう言いかけた時、鐘撞堂から鐘の音が聞こえてきた。
その瞬間、誰にどれだけ説明しても分かってもらえないけど、とにかくあの子たちは確かにここにいたんだ、ここで遊んだことがあったんだ、ということをハッキリと理解した。
私は母に手を差し出す。母はその手を繋ぎながら「そろそろ汽車の時間ね」と言った。
私たちは帰途についた。
鐘の音は我に帰る合図。
鐘の音にまつわる記憶。
8/5/2023, 2:31:51 PM