【世界線管理局 収蔵品
『一定時間無色界体験ビーム』】
「むしょく」ではなく、「むしき」と読む。
無色界は仏語で三界のひとつ。
人間の三大欲求など、本能的な欲求に強く囚われている「欲界」の、
その上に食欲や淫欲から離脱した「色界」があり、
「無色界」は、色界でも残っていた色欲、美しさへの執着からも離脱して、
物質的な欲望から完全に開放された、すなわち三大欲求も精神的執着も無い、精神だけの世界。
本収蔵品はこの「無色」状態を、被弾対象に一時的に発生させる。
すなわち食らった者は虚無る。
<<食らった者は虚無る>>
――――――
「ここ」ではないどこか、別の世界にある世界線管理局の、原っぱでドラゴンが虚無っています。
瞳に輝きは無く、うつ伏せに溶けて、ぐでん。
背中の上下でギリギリ呼吸が確認できる程度です。
「部長、大丈夫ですか、ルリビタキ部長?」
ドラゴンの名前を、部下の男が呼んでいます。
とっても心配そうです。 そりゃそうです。
自分の上司のドラゴンが、目を曇らせて、無気力もとい無色状態で、
本当に文字どおりに真っ白けっけになりそうな雰囲気で、ぐでーん、しておるのです。
『仕事か』
曇った目で、ドラゴン、聞きました。
一応、コミュニケーション能力は、まだ最低限として残っている様子でした。
『俺は今、何の欲も無い。俺は今、すべてに満ち足りている。放っといてくれ』
いやいや「満ち足りてる」って。
「満ち足りてる」ひとは、そんなカラーレスな無表情しませんよ部長。
部下はポンポン、ゆさゆさ、ドラゴンの首をぺちぺちピタピタ。いろいろ為してみます。
それでもドラゴンは動きません。
ただただ虚無って、呼吸だけしている様子です。
どうしてこうなったのでしょう?
「部長、本当に、一体全体何がどうして」
『どうもこうもない。俺は今、完全に欲が存在しない。食うことも、寝ることも、必要ない』
「まぁそりゃ部長は水と光さえあればだいたい生きていけるドラゴンですから
じゃなくて、 部長、ヘンな物でも食べました?」
失礼します。
虚無っている上司の口内に、何か毒物の痕跡でも残ってやしないかと、おくちをグギギ。
手動で持ち上げて、ライトで照らします。
ぎゃお、ああおう。
虚無っている上司は相変わらず、ぐでーん、カラーレスな世界を漂っておる様子。
ちっとも、そっとも、嫌がりません。
ところで
カラーレス虚無ぐでんドラゴン上司の
つるつるプニプニドラゴンおなかの近くで
誰か、見覚えのある、管理局の外の野郎が、
もうちょっとで下敷きになるかならないかの絶妙セーフラインのあたりで苦しそうにしています。
「ん?」
部下は野郎を知っていました。
「あーあー、無事か、出てこれるか」
野郎は、世界線管理局をドチャクソ敵視している組織、世界多様性機構から来た工作員でした。
きっと、この工作員は、ドラゴンに何かチートアイテムか魔法道具あたりでちょっかい出して、
因果応報、自分の行動の結果として、ドラゴンの虚無に巻き込まれたのでしょう。
「ぐ……ぐるじい」
「ほら。出てこれるか。手を出せ引っ張ってやる」
「か、管理局の、情けなんざ、 うぐぐぐ」
「はいはい、言い訳なら聴取室で聞いてやるから」
物質的な欲も、精神的な苦しみも無く、ただ虚無って無色な世界を漂流中のドラゴン上司の下で、
精神的にも、物理的にもバチクソ苦しんでおる機構職員が、脱出しようと一生懸命抵抗しています。
諸行無常、色即是空。
ドラゴンの部下はちょっとだけ、ドラゴンのおなかの下敷きにされた野郎をあわれみましたが、
仕事は仕事なので、野郎を事務的に拘束しました。
カラーレス無欲虚無ドラゴンはそれから数分後、
やっと、無色の世界から帰還したそうな。
4/19/2026, 4:22:11 AM