偶奇数

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 があがあ。いつの間にか窓際に降り立った(おそらく顔馴染みの)烏がこんこん、と嘴で窓をつついた。
 あ。身を乗り出す。時計を見ると午後4時でいつもの烏が訪れる時間だった。いつも窓際においてあったはずの餌がなかったからだろう。烏は気のせいか不満げに見えた。
 「ちょっとまってて」
 こっそり看護師に隠しておいたまだ生温かいラップに包んだご飯を取り出し窓をがらっと開けた。はい。思い切って目をつむりながらカラスの目の前の窓枠のコンクリートに置く。恐る恐る目を開けると烏がきょとりと大柄な身体に似合わずつぶらな黒い瞳でこちらを見ていた。なにしてるの、とでも言いたげだ。いつもの通りご飯を置いただけなのに。むー、と烏を見つめ返してみる。
 数秒後。烏はふ、と視線を僕からずらしご飯をつばみはじめた。
 本来は烏が来る前にご飯を置いておくので窓を介さずに会うのは初めてだ。そう考えると新鮮に感じてぼーっと烏を見つめてみる。ちょうど良い夕焼けの生温かな風にひんやりと冷たい窓枠のコンクリート。黒いふさふさとした翼に時々光を映す黒い瞳。食べる様子はこちらとはなんの関係もない、とでも言いたげに変わらず素っ気なかった。
 ちょっとくらいは愛想をくれてもいいんじゃないか。不満に思いながら見つめていると一通り食べ終わったのか器用に残したラップを置きこちらに一目もくれずに、窓枠に立ってぶわっと翼を広げる。風が吹く。思わず目をつむる。気がつくと烏はいなくなっていた。


 1999年。明日1月1日を迎えるはずの今日は12月31日で、記録にも残っていないような999年とは違う二度目の世紀末は、ノストラダムスの予言、「1999年7の月、空から恐怖の大王が降りてくる」という地球滅亡を暗示する予言によって賑わっていた。
 とはいえ、肌に感じる日常はどこまでいっても日常でなんの代わり映えもしなかった。若干看護師たちが噂をして浮足立っているくらいで、ガラケーをぽちぽち触ると目に入るのはいつもの母親からの連絡のみ。みんな地球が滅亡する、という不安は感じないのだろうか。病室からの窓を通して下を見下ろす。人々は変わらず歩いて、車が交差点で飛び交う。ひょっとしたら地面はぐらぐらと揺れていて、間もなく崩れ落ちてしまうのにみんなはそれを知らずに平然と歩いていく。足元がおぼつかなくなるような不安だった。

 午後4時。珍しくいつもは毎日来て、嘴でつついて鳴らしていた窓は鳴らなかった。今日は来ないんだろうか。もしかしたら世界が終わるかもしれない前日には烏も友人や家族と空を飛び回ってたりするのかな? いつの間にかあの烏を眺めることが楽しみになっていた自分に気づく。自分にも誰か連絡でもくれたりするといいな。数年前の友人だ、とか…。眠い。ふわーっとあくびをした。昼寝をしよう…。そう決め、病室の白いベッドにごろりと寝転がる。目を閉じる前、思い浮かんだのはあの烏のことで。目を覚ました時、世界は終わってたり、案外日常が続いてたりするのかもしれない。そう考えると自分とは程遠いと感じていた達観した大人の気分になれた、気がした。

 

6/8/2024, 12:23:56 AM