藍間

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 どうやら失恋したらしい。
 彼がお見舞いに来た瞬間に、私はそれを悟った。
「隼君、来てくれたんだ」
 思わず漏れた言葉を、彼はどう受け取ったのだろう。へらりと笑った彼に、私はベッドから曖昧な笑みを返すだけだった。
 あんなに好きだった彼がわざわざ来てくれたというのに、この心はちっともときめかない。
『目に見えぬ影響が出ている可能性はあります』って主治医の先生は言ってたっけ。これもそのうち?
 私はどうやら恋心というものを失ったみたいだ。近づいてくる彼を見上げても、恥ずかしいとも思わないなんて。
「びっくりした。交通事故だって聞いたから」
「うん。全然覚えてないんだけど、運が良かったみたい。骨も折れてなかったって」
「でも意識がなかったって」
「一日ね。次の日には目が覚めてたから。私、思ってたよりも丈夫みたい」
 そう答えれば、彼の顔がくしゃりと歪む。心配してくれたのだろう。それがわかっても、私の心は波立たなかった。優しい人なんだなと、思ったくらいだ。
 そう、彼は親切で温かくて、そして優柔不断な人だった。皆の間で苦労するのも嫌じゃないような、そんな人だった。そうした記憶はあるのに、私の心には何故か響かない。
「ありがとう、隼君。来てくれて」
 それでもお礼は言わなくちゃ。私は精一杯微笑んだ。彼の唇が震えていることからは、あえて目を逸らすことにして。


二人の失恋

6/3/2023, 12:19:22 PM