「やめて。来ないで。嫌だってば!」
「そんなに嫌がる事はないだろう。前は喜んでいたじゃあないか」
「だから!それは子供の時の話だって!」
部屋の中を逃げ回る。
悲しげな表情に心が痛むが、だからといって捕まるわけにはいかない。
「何を言う。おまえはまだまだ子供だろうに」
呆れて息を吐くその姿に、思わず唇を噛みしめる。
分かっている事であるが、それでもまだ子供としてしか見られていない事が悔しかった。
あとどれくらい歳を取れば、大人として認めてくれるのか。
「ほぅら、捕まえたぞ。鬼事は終いにして、湯浴みをしようなぁ」
「やだっ。離して、変態じじい!」
彼から意識を逸らしていたせいか、抱き上げられて逃げられない。
嫌だと暴れても全く意に介さない様子に、じわりと危機感が首を擡げた。
「そこまで言う事はないだろうに。そんなに儂と湯浴みをするのが嫌なのか?」
「一人で入りたいの!いつまでも子供扱いしないで」
半ば叫ぶように伝えれば、渋々ながらも下ろされる。
安堵に深く息を吐き、荒くなった呼吸を整える。
ちらりと横目で様子を伺えば、隠す事なく不満を表した表情がはっきりと見えた。
目が合うと眉を下げ、悲しい顔をされる。
この顔は駄目だ。弱い事を知っていて、敢えてするのだから質が悪い。
絆されないようにと、慌てて目を逸らす。
「もう一人でお風呂にも入れるし、一人で寝る事だってできるんだから。何も出来なかった子供じゃない」
世話を焼かれるばかりの子供ではないのだと繰り返す。
きっと彼には伝わらないのだろうけれど。それでも、伝えないままには出来ない。
「おまえは子供だよ」
「子供じゃない」
「子供さ。大人になろうと、必死で背伸びをしている可愛い子。親の庇護を失って、巣立つ事も出来ず。飛び方も知らずに、空へと手を伸ばして藻掻いている。哀しい、愛しい、子供だよ」
頬に触れられ、目を覗き込まれる。
一言一言、言い聞かせるように紡がれていく言葉に、彼の瞳の中の自分の顔が歪んでいくのが見えて。
聞きたくないと身を捩っても、手が離れない。
逸らそうとしても、眼が逸らす事を許さない。
「強情を張るな、愛い子。子供は子供らしく、儂に世話を焼かれていろ」
静かではあるけれど強い言葉を、否定する事は出来なかった。
「さて、では湯浴みをしようなぁ。さっきの鬼事で汗をかいただろう」
機嫌良く目が細まり、抱き上げられる。
いい子、と背を撫でられあやされながら、向かう先を見るともなく見る。
良くはない気もするが、彼が満足そうであるならば、それでいいのではないか。
微睡む意識の隅で、そういえばどこへ向かうと言っていたのかを思い返し。
途端に鮮明になる意識に、全力で抵抗した。
「だからっ!一人で、入るってば!」
耳元で叫び、頭を叩けば、さすがに堪えたのか緩んだ腕から抜け出し距離を取る。
危なかった。もう少しで流されてしまう所だった。
睨み付ければ、ちっと舌打ちをされる。
「そのまま流されてくれれば良いものを」
「変態!馬鹿!もう、あっち行って!」
「何がそんなに嫌なんだ。儂が嫌いにでもなったのか?」
「そうじゃない!一緒に入るとか、そんなの…は、はしたない、だろうに!」
力一杯に叫ぶ。
きょとり、と目を瞬かせて。そうか、と頷き笑う。
「そんな些事なぞ気にするな。お互い見慣れているだろう?」
「気にするから!見慣れてる、見慣れてないとかの話じゃないから!」
「そうか?なればそうだな…儂が女の体になれば問題はないか?」
「それはそれで、問題しかないからっ!」
何を言っているのだろうか。理解が追いつかない。
反射で否定すれば、彼は拗ねたような表情で未練がましくこちらを見つめてくる。
けれど、その表情はすぐに柔らかいものへと変わり、ふんわりと微笑んだ。
「我が儘め。だが子供とは皆、我が儘なものだ。ここは儂が折れるとしようか」
仕方がない、と手を伸ばして頭を撫でられる。
「何かあれば、すぐに声を上げるのだぞ。あぁ、だが溺れてしまっては声が出せんか。やはり共にいた方が、」
「溺れない!一人で入って溺れた事なんてないから!」
「今までが問題ないからといっても、絶対ではないからなぁ」
妥協を見せたというのに、すぐに撤回しないでほしい。
「落暉《らっき》」
頭を撫でている手を取る。
大人として認めてくれないのならば、彼の望むようにするだけだ。そうして、うまく扱えばいい。
子供らしくはないな、と認めてもらえず、拗ねた心が苦笑したようだった。
「お風呂上がりに、何か甘いものが食べたい。作って」
手を握り、強請る。
それだけで彼の表情は明るくなるのが分かった。
「そうか!なれば今から作ろうなぁ。何がいいか。夕餉もあるから、軽いものがいいな」
「夕ご飯は、なめこのお味噌汁にして」
さらに上機嫌になった彼の手を離す。
「お風呂、行ってくる」
「気をつけて行っておいで。作り終えたら、迎えに行こう」
「手抜きはしないで。ちゃんと作って」
「急に我が儘になりおって。いいぞ。おまえがまだ食べた事のないものを作ってやろう」
最後にもう一度頭を撫でて、彼は風呂場とは正反対の方へと向かう。
台所へと行くのだろう。
彼の背を見送って、安堵の息が漏れた。
何とか危機は脱したようだ。
しかし、ふと気づく。
「世話を焼くって…もしかして、ご飯食べさせられたり、寝かしつけされるって事?」
想像して、羞恥に顔が赤くなる。
幼い頃にされた彼の言う世話を思い出し、耐えきれずにしゃがみこんだ。
「早く、大人になりたい」
大人になりたいだなんて、そう思う事こそ子供のようだと感じながらも。
切に願わずにはいられなかった。
20241014 『子供のように』
10/14/2024, 8:48:44 PM