二、太陽のような
「ごめんなさい」
華奢な少女の口から零れ落ちたか細い謝罪はじっとりと湿った夏の空気と同化した。今にも消えて無くなりそうな、そんな具合だ。
「咲かせろとは言ったが」
枯らせとは言っていない。
己の主人から紡がれる淡々としたその言葉に少女はつ、と目を伏せる。
「ごめんなさい」
繰り返される謝罪はこの青年を前にすれば意味など持たないことくらい、何事にも疎く無知なミアでも理解は出来た。それでもたった齢十五の、ましてや片目の見えない欠陥品である自分が彼に出来ることなどたかが知れている。ミアの精一杯の謝罪だった。
数日前にようやく蕾をつけたはずの花壇の向日葵は、大輪を咲かせることなくその生涯を終えた。
「水をたくさんあげれば、それだけ早く咲くと思ったのです」
植えた向日葵の蕾が花開く瞬間を誰よりも焦がれていたミアの良かれと思って取った行動が、どうやら裏目に出たらしい。真実を知ったアルバートの吐いた小さなため息にミアは肩を揺らす。
「……ごめんなさい」
三度目の謝罪。変わらず目は伏せたまま。
「別にいい。お前が無知なことを知っていながらきちんと手順を教えなかった俺が悪い」
花壇に背を向けて歩き出したアルバートの後を、ミアはお仕着せのスカートの裾を翻して慌てて付いて行く。片目が見えないせいでバランスが上手く取れず、少々不格好な走りになっていたが、そんなことを気にしている余裕など今のミアにはあるはずもなかった。
「待って、待ってください。種を。向日葵の新しい種を買ってきます。もう一度、植えます。今度は絶対に失敗しません。ですから……」
ミアの必死な訴えが通じたのか、アルバートは動かしていた足を止めおもむろに振り返る。
「向日葵の開花の時期を考えれば今植えても無駄になるだけだ。また一年後だな」
「いちねん、とは。あと何回眠れば良いのでしょう」
「三百六十五回」
「さんびゃく……」
途方もない数字にミアの頭上に星が廻る。正確に言えば三百と少しなのだが、狼狽えるミアの様子を尻目に見ていたアルバートはそんなことは些事だと小さくかぶりを振った。
「そもそもの話、お前が生まれてこのかた向日葵を見たことがないなんて大袈裟に言うから種をやっただけだ。これで花を咲かせろとは確かに言った。言ったが、それは別に命令だったわけじゃない。ただ、実物を見ることが出来れば、さすがのお前も……」
アルバートはそこまで言いかけて口を閉じた。危うく余計なことまで口にするところだったと嘆息する。
「ご主人様。わたしが、何でしょう」
少女は主人に問いかける。少女の片側の瞳には、一片の曇りもない。
「いや、何も。……暑いな。屋敷の中に戻る。珈琲を淹れてくれ」
「承知いたしました」
アルバートは思案した。己に仕える笑うことを知らないこの無垢な少女も、黄色い大輪を咲かせる美しい向日葵をその目で見ることが出来れば、太陽にも似た花のような笑みを浮かべるのではないかと。……結果として、失敗に終わったわけだが。そんな主人の隠された密かな願いを、ミアはまだ、知る由もない。
2/22/2024, 3:34:25 PM