喧嘩ではない。行き違いでもない。ただ「合わなかった」だけだと思っている。そう信じたい。
「信じたいんだけどなぁ」
どやどやとした宵をこえたあたりのグランポートの人の波のなかをさまようように歩いている。
ぐ、と一瞬険しくなったような気がしたと思ったら、次の瞬間あのひとは俺に背を向けてどこかへ行ってしまった。追いかけられる雰囲気ではなかった、気がする。普通なら感覚的な感触はそれなりに信じられるのだが、何度も思い返しているせいでそのあたりもあいまいになってしまっている。判断材料にはもうならない。
さっきまで一緒に飲んでいたギルデロイさんは、話を聞き終わって少し考える素振りを見せていたが、やがて怒らせも悲しませもせずに人となんか関わってはいられない、という月並みなこと言ったあと、ちょっと笑ってお前は偽物を掴ませてあいつを弄ぼうとなんかしないだろう――と、本物か偽物なのか素人にはちょっと判別できない小ぶりな石を懐から出して俺に見せた。それはそうだが、俺の「つもり」などあのひとには関係はない。あのひとのことはあのひとだけが決められることだ。そう思いながらグラスを傾けていると、すぐに酔いが回ってきてしまったので、担がれて帰るはめにはなりたくないと、お金だけ置いて早々に退散した。
そしていま。
あまりこんな状態でうろうろしていると危ないかもしれない、という思いと、部屋にこもっていたら余計にネガティブな思考に引きずられるだろうという予感の間で右往左往している群衆の人が、俺のはまっている状況だ。
ああ、でも少し飲み足りないな――そう、手持ちを思い出そうとしていると。
「あ――」
「いやがった」
明かりの灯る窓の下。少し安らげるほんのわずかなスペースで、俺たちは何の偶然か鉢合わせた。俺は突然のことに人間らしい表情を失う。突然立ち止まった俺は後ろを歩いていた労働者風の男に突き飛ばされ、あのひとに抱きとめられた。
「おい、私の連れに何をした?」
頭上から降ってくる剣呑な声と、背中で感じるたじろいだ気配。振り返ると男は小銭をあのひとに放り、人の波に溶け込むように去っていった。
「やれやれ、こんなんじゃつまみひとつにもなりやしない」
「ヴィオラさん、僕は――」
浮びあがっているあのひとのシルエットから半歩下がる。たぶん今日は何もする気になっていないのだ。余計なことを言う前に――
「逃げるな。ひと仕事終えたばかりで懐は上々。――これ以上言うことがあるか?」
「え、いえ。それは」
少しためらう。後ろ暗い金がどうということではなく、もしこのひとを追いかけている人たちがいた場合の心配だ。が、そんな心配はいらない、というこのひとの言葉に、俺は不安を感じながらもうなずく。
「大丈夫だ。仕事が分かるのはあす朝以降のはずだし、そうでなかったとしてもお前ひとりくらい簡単に守りきれる。少し飲んでいるようだが、まだ余裕だろう?」
「まあ。驚いたらかなり醒めましたし」
「上等だ。――」
あのひとがす、と俺の耳元に顔を寄せ、思いもよらぬ言葉を口にする。俺は驚きと意外さに胸が締めつけられる。このひとがこんな言葉を――そんな種類の内容だった。
「じゃ、行くぞ」
そう言うとあのひとは俺の手をとって早足に歩きはじめる。俺はその手を握り返すと、頼もしすぎる背中を追って、グランポートの夜に再び飛び込んだ。
4/25/2025, 9:20:49 AM