『光り輝け、暗闇で』『手放す勇気』『まだ知らない世界』
「コウ君、そのズボン、パパにちょうだい」
「イヤだイヤだ」
「そんなこと言わず、ね?」
「イヤだイヤだ」
息子が生まれてはや二年、息子はイヤイヤ期の絶頂期であった。
拒否の言葉を叫びながら、息子は全力で抵抗してくる
なんにでも『イヤだ』という息子であったが、まさかジュースを零したズボンすら離さないとは……
体全体を使って抱きしめるので、無理やり奪うことも出来ない。
妻はこんな時どうするのだろうか……
今はいない妻を思う。
先週の事である。
妻が神妙な顔で言った。
『推しのライブがあるから遠征したい。
その間、息子の世話を任せてもよいか?』
自分はすぐに了承した。
無理をさせている妻の希望は、可能な限り叶えてあげたかったからだ。
ウチでは専業主婦である妻が息子の世話をしている。
言い訳がましいが、仕事が忙しく手伝うことが出来ないのだ。
そんな中、妻は自分の趣味であるアイドルの追っかけを我慢し、子供の面倒を見ているのだ。
そんな妻が、推しのライブに行きたいと言う。
ならば行かせてやらねばなるまい。
会社には『絶対に外せない用事がある』と休みを取り、不退転の覚悟を持って息子の世話に臨んだ。
だが甘く見ていた。
まさかイヤイヤ期が、こんなにも苛烈な物だったなんて……
何を言っても嫌と言う。
好きなお菓子を上げても嫌と言う。
何をしても嫌と言うし、しなくても嫌と言う。
頭がおかしくなりそうだった。
妻はこれに耐えていたというのか。
頭が下がる思いであると同時に、もっと休みを取って楽をさせてやりたいと思う。
そのためには仕事量を調整して……
「イヤだイヤだ」
そんな事を考えている間も、息子はずっと叫んでいた。
確かに未来の計画は大事だが、それは後回し。
今は目の前のことに集中だ。
「イヤだイヤだ」
息子は疲れを知らないのか、ずっと泣き叫んでいる。
泣き疲れるのを待って回収することも考えたが、今回諦めた方がいいらしい。
かといって無理矢理奪うとさらに酷くなるので、ぜひとも自分の意思で離してもらいたいところ。
どうすれば息子はズボンを離してくれるのだろうが……
ヒントを得るために、部屋を見渡す
すると、息子のお気に入りの戦隊ひヒーロー、ユウキマンのソフビ人形が目に入る。
これだ!
「コウ君、ユウキマンのセリフ、覚えているかな~?」
「ユウキマン?」
息子の無き声がピタリとやみ、心の中でガッツポーズする。
さすが正義のヒーロー、ユウキマン!
怪人イヤイヤキもイチコロだぜ。
「『勇気を持て』」
「うん、そうだね
だからコウ君も勇気を持つんだ」
「何の?」
「ズボンを手放す勇気!」
「パバが離せば?」
論破されてしまった。
理不尽な要求にも屈せず、即座に言い返されるとは……
少し前まで言葉すら話せなかったのに、素晴らしい返しだ!
成長したな、息子よ!
なんて、バカなことを考えている場合じゃない。
次なる策を考えてないと……
と、息子が来ているTシャツを見て、あることを閃いた。
息子の着ているシャツ、それは……
「コウ君、ユウキマンはこうも言ってたよね」
「言ってない」
交渉する前に坊やに否定される。
ちょっとへこむけど、理不尽にめげず言葉を続ける。
「『輝け、暗闇で』」
「!」
坊やの目の色が変わる。
イヤイヤ期でも、ヒーローは特別らしい。
息子の反応を見て、成功を確信する。
『輝け、暗闇で』は、ユウキマンのセリフだ。
と言っても本編のセリフでは無い。
CMでのセリフである。
そのCMとは『光るパジャマ』のCM。
蛍光塗料が塗ってあり、暗い場所に行くとヒーローの姿が浮かび上がると言う魔法のアイテムだ。
息子はこれが大のお気に入りで、寝る前はいつもこのシャツを着ている――と妻が言っていた。
「じゃあ、ユウキマンに会うために、寝る準備をしないとね。
ほら歯磨きに行ってきなさい」
「うん!」
今までの悪魔のような振る舞いとは打って変わり、天使のような笑顔を見せる息子。
それを見て、自分も自然と笑顔になる。
さすがヒーローだ。
子供だけでなく、大人も笑顔にするのだから敵わない。
息子は抱きしめていたズボンを放り投げ、洗面所と向かう。
それを見送ってズボンを回収し、息子の目につかない所に置く。
これで一安心。
あとは機を見て洗濯機に放り込むだけである。
だがまだ油断はできない。
これから寝かしつけが待っているのだ。
妻が言うには、息子は寝る直前が一番元気らしい。
自分がまだ知らない世界。
何が起こるか分からないが、挫けるわけにはいかない。
寝かしつけなければ、自分も寝ることが出来ないからだ。
「これからが本当の闘いってわけか……」
強敵との戦いに臨むヒーローの心情は、こんな感じなのだろうか……
寝かしつけと言う最終決戦。
これに勝たなければ、自分に安眠は訪れない。
「ユウキマン、力を貸してくれ……」
そう呟きながら、新しい戦いに備えるのであった
5/19/2025, 10:03:09 PM