《ただいま、夏》
二度と食べられなくなった肉まんが恋しかった。そのためなら、なんだって出来る気がした。ただ、それだけ。
びょうびょうと頬に突き刺さるような極寒の吹雪、一歩先すら見えないほどの荒れ狂う真っ白な雪景色。体の芯が冷えに冷えて、指先を動かすだけで全力疾走したほどの体力を消費する。
――現在、世界は悪の科学者により、絶賛氷河期を迎えている。
私は今、たくさんのセキュリティーを乗り越えて、とある装置の前に立っている。
悪の科学者が作った、氷河期到来機械の『停止』スイッチの前に。
たくさんの仲間が倒れ伏した。全人類の期待を背負って、スイッチを私は押した。肩で荒く息をして、口から出る真白の息でメガネを曇らしながら、震える指先で、停止スイッチを押した。
そして、隣にあった機械、真夏到来機械の『稼働』スイッチを押す。
これできっと夏が来る。肉まんだって食べられるようになるだろう。
外に出た。
まるで、早送りされた映像のように、世界が移り変わっていく。
世界に青空が広がり、真っ白だった雪は溶け茶色の大地を剥き出しにしたかと思うと、ぽつりぽつりと緑の芽が顔を出し、すぐさま大地を一面の緑で覆い尽くした。桃やオレンジなどの花が顔を出したかと思うと、木がたくさん生え始めて森になった。
どこからか虫や動物、蝉の声がし始める。
じりじりとした太陽の熱を感じる。気がつけば、すぐ横には黄金色の向日葵が立っていた。
ああ、ただいま、夏。
人里に降り、再び口にした肉まんに頬を緩める。気がつけば、頬が流れ落ちた涙で濡れていた。
じんわりと掌に広がる熱に、口に溢れる肉汁に。どうにも感情が高ぶるのを抑えられなかった。
ああ、生きてて良かった。頑張って良かった。
次の日、真夏の炎天下の下で私はこう思った。
寒い中で食べる鍋は最高だろう、そのためなら、なんだって出来る気がした。ただ、それだけ。
そして私は再び、悪の科学者の施設に向かった。夏到来機械の停止スイッチを押し、氷河期到来機械の『稼働』スイッチを押した。
……だって、最高の鍋が食べたいから。
ただいま、夏。
おかえり、冬。
―とある悪の科学者の手記より―
8/4/2025, 11:55:42 AM