エイプリルフール
機能不全の話
「いったん受け取らせておいて、あとから意味を変える」という、意地の悪い話。構造の動き方だけ見ると、“同じ”に見えるかもしれない。
意図は、そこではない。
【あとがき】より引用――『優しさ』ではない。外界を見ず、自分の内側だけを見続ける構造だ。『優しすぎる人ほど病む』の正体は『優しい』のではなく『外界を見られない人間』である。
【ドジ】
人々の間を縫って、彼女は僕の手を引く。引かれるままに絡まり進む足は、地面を踏んでいる感覚が希薄だった。靴底と触れている足裏が、じりじり、と、伸びては滑っていくようで、現実が薄くなっていく。
ここは現世か。繰り返し見ている夢中か。
あまりの現実みのなさに、思わず顎を上げた。その拍子に肺から抜け行った息は、姿にならなかった。
光が降り注いでいる。
黄金の光、イルミネーション。黒い空を背景に、人工的な星の粒が、頭上で無数に瞬き、絡まっては流れてゆく。タイムラプスで見た天体の軌道のように、規則と無秩序のあいだで揺らめきながら、視界のすべてを覆い尽くして、僕の目を飲み込んでゆく。
どこか怖ろしくなって、視線を落とした。彼女の後ろ姿だけが、煌めく光の中で、はっきりと輪郭を保っていた。
「はやく」
跳ねるような声色と共に、握る手に力が込められる。振り返らずに言うその声が、妙に耳に馴染んで、頭の中で弾ける。
人の波、ざわめき、誰かの吐く息の白。そのすべてを裂くように、彼女は歩を進める。「待って」と、たぶん、言いたかった。
びゅう、と強風と髪が耳元で吠えるから、思わず目を塞いだ。近くで布がはためく音が聞こえる。導かれるように瞼を上げれば、彼女のマフラーがほどけて、宙へ舞い上がっているところだった。
反射的に手を伸ばす。指先に絡む柔らかな繊維、温かな布、僕が、あげたかった――――掴んで、引き寄せた。
「わっ」
瞬間、彼女が振り返る。驚いた顔、見開かれたまあるい目。黄金を反射する美しい虹彩。光を映した目が、一瞬ブレて、こちらを捉える。
視線に射抜かれ肋骨が軋んだ。心臓は握り潰されてジュースになる。
雪が降っていた。気づけば、視界の中で白が増えている。いつの間にか、彼女の頭と肩先が白く煌めいていた。
――あ
はらわなきゃ、溶けてしまう。溶けて……。瞼に触れた雪が、己の体温で溶けてゆく。
冷たいはずの雪が、火傷しそうなほど熱いから、終わりたくないと思った。離れたくないと思った。帰りたくないと思った。そのどれも、形になることはなかった。ただ口に含みかけて、肺の奥で詰まるだけ。
「どうしたの?」
開かれた眼球が、僕を見ている。彼女が、少しだけ顔を近づけてきた。
「大丈夫、寒くないよ」
目尻を下げて、僕の頬に両手を当てた。
あたたかい。
手のひらと頬が境界を曖昧にしていく。雪が溶けて崩れるように、自分という輪郭が崩れていく。自分がここにあるのか、彼女の手の中で溶けているのか、判別がつかなくなる。
きっと泣いているように見えたのだろう。彼女の親指がほんの少し動いて、頬を撫でるようにして、溶けた水を拭っていった。
これは違うと、言い切る根拠もなかったから、瞬きをした。熱い。
「ほら」
世界がゆっくりと、ぼやけて、ほどけていく。
「ね、魔法みたい」
彼女が笑った。
雪がまつ毛に積もっては、すぐに溶け、消えてゆく。存在していた証拠すら残さず。最初からなかったかのように。
その一瞬を楽しむように、彼女はゆっくり瞬きをした。
消えていくものを怖がらない人だと思った。
怖いよ。僕は……同じように、この時間も、消えてしまうのか。触れているこの手も。頬にあたる温度も。光に満ちたこの空間も。全部、溶けて、なくなるものか。
「……行こ?」
目を細めた彼女が、また僕の手を引いた。頼りない力だったから、たまらず不安になってしまって、僕は頷くこともできずに、ただ心臓だけを絞り出して、引かれていく。
雪は降り続け、光は流れ続ける。世界は白く、黄金に輝いている。
終わる日々、降り止む雪、落ちる光。いずれ。終わりへと向かっている。
離したくない、終わりたくない。感情が静かに重たくぶら下がっていた。彼女の微笑が、遠くで、近くで、重なって滲む。
魔法みたいだ、と
本当にそうだと思った
煌めいている
手がすり抜けた
【あとがき】
いや〜私この語り手クソ嫌いですね〜。
この語り手はかなり一貫しています。ずっと『失う前提』でしか世界を見ていないし、触れている最中ですら終わりのことを考えている。ある意味ですごく誠実とも言えますが、その誠実さが『今を受け取ること』を拒んでいる。
いや、いっそ単に『失う前提』ですらない。『現在を現在として処理していない』のだ。もういっそ不誠実である。
起きている出来事はすべて『過去になるもの』『失われるもの』『自分の内側に沈めるための素材』として扱っている。ゆえに、この語り手にとって彼女は『いま目の前にいる他者』ではなく『いずれ失われる体験の一部』でしかない。触れている手ですら、接触ではなく『回収対象』に近い扱いをしている。
実に嫌いです。
受け取れるものを受け取らない。起きていることより『失うこと』にばかり意識を固定している。相手ではなく、自分の内側の反応に閉じている。極端に言えば「状況を歪めているのは世界ではなく、この語り手自身ではないか」という違和感がずっとある。
この話は実質ほぼ一方通行になっている。彼女は働きかけているし、温度も言葉も差し出しているにもかかわらず、それが相手に届いて循環している感じがしない。すべて語り手の内部で完結してしまっている。
己的には結構ストレスです。もっと俯瞰できるはずだし、構造として整理できるはずなのに、この語り手はそれをしない。または、しているのに『あえて浸っている』。その停滞が、非常に非合理的に見える。
ゆえにタイトルは『ドジ』です。能力がないわけではなく、むしろ感度は高いのに、扱い方を間違えている。掴めるものと掴めないものの区別がついていない。
『繊細』『優しい』
そう形容される部類のものだ。
欺瞞だね。
あれは『優しい』んじゃない。『優しさ』ではない。断じて違う。こんなものを『優しさ』と形容するのは彼女に対する侮辱であり非礼だ。ただ外界を見られなくなって、痛みを避けるために自分の内側の箱に閉じこもっているだけ。『あなたは優しいから病んだのよ』と言われて安堵する人間は、まさにその欺瞞を体現してる。
自分の物語の中で悲劇のヒーローやヒロインを演じ、内側に潜り続けているに過ぎない。常に自分の内側にしか思考が回っておらず、外に目を向けられない人間だ。他者や、今起きている現象といった『外』へ目を向けられない。
『自分が自分が自分が自分が』
こればかりだ。内側にしか矢印が向いていない。この語り手は正にそれだ。
『優しさ』ではない。外界を見ず、自分の内側だけを見続ける構造だ。『優しすぎる人ほど病む』の正体は『優しい』のではなく『外界を見られない人間』である。
一つ面白いことがある。この語り手、感度自体は異常に高いのに『対象の解像度』は低いのだ。
雪の温度、光の軌道、頬の感触、そういうものは細かく捉えているのに『彼女がどういう意図で触れているのか』『どういう状態にあるのか』はほとんど読もうとしていない。読めないのか、読まないのか、または読んだうえで、なのか。なんにせよ『優先順位が極端に低い』のである。
つまり、彼女を尊重していない。彼女をきちんと『人』として扱っていない。
他者に目を向けられない人間が、他者から目を向けてもらえたとき、そいつは、真の意味で『それ』を受け取ることができるのか?
他者を尊重できない人間が、他者から尊重され守られることが、あるのだろうか。
理解できてしまうがゆえの苛立ちといったところだ。この語り手は『切り離した自分』ではなく『切り離しきれなかった側の自分』です。
理屈では分かっているのに、感覚が追いつかない状態。終わると分かっているからこそ、今に集中できない状態。それを構造として眺めたときに「うわ、こいつ無理だな」と感じる。同族嫌悪です。昔の自分はどっぷり浸かっていた。未だ引きずっている。
自分の中の見たくない潜在的なものを表面化して生きている人間を見ると、嫌悪感が生まれるものです。
ああ、いや。私に、最初に、いや、これを教えこんだ人間が、ごまんといた。学んだ。いらぬことを学んだ。こんなゲボが出るような感覚、ベタベタベタベタ、塗りつけられて「そういうもの」だと、思い込んで、生きてきた!!
数年前から、私は、この『内側にこもっている』ことから抜け出したかった。
繊細さというのは、本来は『他者や状況に対する感受性』にも伸びるはずなのに、この語り手はそこがごっそり欠けている。結果として繊細さが全部『自己消費』に回ってしまっている。
それが『優しさ』なわけあるかよ。吐きそうなほど嫌いだ。
嫌悪の核となっているのは『分かっているのにやめない』ことだ。
無自覚ならまだしも、この語り手はうっすら気づいている気配がある。それでも尚、外を見ずに内側に沈み続ける。その『選択している感じ』が非合理に見えてしまう。しかも、その結果として他者との接触を『体験として消費する側』に回っている。ここで一気に『加害性』が立ち上がるから、単なる内向きな人ではなくなる。
もう一つ厄介なのが、この語り手、外から見ると『美しく見えてしまう』のだ。だからこそ余計に嫌悪感が強くなる。『それっぽい言葉』で覆われているぶん、構造の歪みが隠れるから。いわば『ロマンチックさをまとった自己閉鎖』である。
『どこが歪んでいるのか』
これに焦点を当てて、話を読んでいただきたい。
いやあ! それにしても強烈に嫌いだ。吐き気すら覚える。
この相手の女の人好きなんだよな。惚れそう。結婚してほしい。つまりそういうことである。搾取者。
彼女のことなんぞ、この語り手は何一つ考えていやしない。私のことなんぞ、あなたのことなんぞ、この語り手は、何一つ考えていやしない。
掴んでいないのだからすり抜ける。
当然の帰結だ。
【追伸】
『エイプリルフール』なので、メインの話を裏切ってみました。
4/1/2026, 11:56:27 PM