芝川

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愛を叫ぶ。


『ーーさんへ』
不格好な文字で始まったこの手紙は引き出しの奥底から見つかった。
丁寧に三つ折りされた便箋。送り主が掛かれていない手紙だったが、書き出しの文を見て思い出す。

今から十数年前のある日、私はある人に恋をした。
初めは何気なく気になっていただけの存在。だけど、日を追うごとに頭の中はあの人の事で一杯になっていった。
でもその人は周りから凄く慕われている人。優しくて、気遣いができる。そんな人だったから当然だろう。
どんな時でもあの人の周りには老若男女問わず色んな人が集まっていた。
対して私はこれと言って長所も無ければ短所も無い。”平凡”というものを具現化したような存在だった。
太陽の様な存在のあの人と、道端に生えているような草の私。誰がどう見てもこの想いがあの人に届くはずがないのは分かり切っていた。
しかし、ニンゲンという存在は不思議なもので、頭では叶わぬものと分かっている筈なのにどうしても諦めきれない。
だからせめてこの想いを形にしたいと、見よう見まねで拙い文を書き記したのだ。
今見返すと所々誤字や脱字が見られて、内容もただあの人への愛を叫んでいる様な陳腐な内容だった。
正直あの人に渡していたら鼻で笑われていても可笑しくない、そんな手紙だった。
でもこれがあったからこそ、当時の私は頑張って自分自身を変えようと容姿を変え、言葉を勉強をして何とかあの人に相応しい人物になるように努力した。そのお陰か、今では見違える様にまで成長した。全部全部あの人のお陰だ。

ーーでも、結末は非常だった。
漸くあの人に相応しい存在になれたのに、結局あの人はまた遠い存在となってしまった。
遠い、遠い存在に。
今まで容姿も知識も頑張って身に着けてきたのに…最後は全て水の泡となってしまった。
でも不思議と落ち込んだりはしなかった。
理由は分からない。これもニンゲンの不思議な所だ。

あれから十数年。初めは難しかった言葉も今ではすらすら話せるようになり、文字も普通の人同様に綺麗に書けるようになった。
ふと、昔の手紙を読み終えた時、もう一度あの人に向けて書こうと思えた。
別の引き出しから新しい桜色の便箋とペンを取り出すと、あの人の事を思い出しながら文字を紡いで行く。
『拝啓、ーーさん』
昔とは違い、細く綺麗な文字で書き記していく。
最後に封筒に書き記した便箋を入れ、封をする。もちろん切手は貼らずに。
そして、私はある場所に向かった。
その場所はあの人が居る場所。遠い存在となってしまったあの日からずっと居る場所。
私はあの人の前に来ると、そっとあの人の名前が記された石に手を振れる。
「元気にしてた?」
ポツリと呟いた言葉にあの人は返してはくれない。
「今日はね、手紙を持ってきたんだ」
先程書いた手紙を石の前にそっと置く。
「前に一度書いたことあったんだけど、その時は渡せなかったからさ。気が向いたら読んでよ」
もう一度そっとあの人の名前をそっと撫でる。
「じゃあ、また来るねーー」

ーーご主人。

5/11/2024, 4:49:14 PM