まだだ。まだ乗るべきではない。
日も登っていない、なんでもない早朝。時計の針がやけに響く静かな駅にて、僕は物陰に身を潜め、じっとその時を待っていた。
待っているのは、目の前の列車が動き出す時。上手く列車に乗れれば、目的地までの距離がウンと縮まる。列車は一日一本のみだから、失敗すれば、また明日までこの異臭が漂う茂みの上に拘束されることになる。
周りを見渡すと、僕と同じ考えを持っている人が何人、いや何十人もいるようだ。そしてそんな僕たちを好き勝手させまいと、列車の周りに待機している警官たちもいる。
確かに僕たちがやろうとしていることは無賃乗車、果ては他国への不法侵入だ。法律上は良くないことをしているのはわかってる。それでも疑問は拭えない。どうして僕たちはこんな風に妨げられなきゃいけないんだろう。僕はこの警官たちのような裕福な家庭に産まれなかった。お母さんは「一年だけ」と出稼ぎに行き、もう五年も戻ってこない。手紙も仕送りももう来ない。他の人に頼ろうにも、村の人たちだって自分たちの生活で精一杯で、僕たちに手を貸す余裕も無い。僕たちにはこうするしか選択肢は無かった。法律なんてものは、僕たちのような貧乏者の為には創られてはいない。生きたいならば自分で動いて、どんな手段を選んででも、この手で掴み取るしか無いんだ。
不意に列車がガタンと音を立てた。ブレーキが外れた合図だ。物陰から現れ列車に走っていく周りの人たちに続き、僕も走り出す。警官たちは、最初はひとりふたりと追い返していたが、まもなくして数に押し切られ、もうどうすることも出来なくなっていった。
僕は足を滑らせないように列車のハシゴに手をかけ、思いっきり体を引き上げる。上手くいったぞ!
乗り遅れた人たちの叫びや嘆きなど知らんぷりして、列車はたちまちスピードをあげていく。
僕は列車の屋根に腰掛け、大の字に寝っ転がり深呼吸をする。警官に武力で追い返されたり、飛び乗るのに失敗した人たちの号哭が未だ耳の奥で響いている。
この先もこれくらい、いや、それよりもっと酷い景色を見るかもしれない。それでも僕は、行かなくちゃいけないんだ。ただ普通に、生きる為に。
これはたった今、地球の裏側で実際に起こっている話。
2/6/2024, 11:00:06 AM