Day.7_『コーヒーが冷めないうちに』
僕は、喫茶店でアルバイトとして働いていた。チェーン店のような店ではなく、親の友人がやっている個人の喫茶店に働かせてもらっている。
僕が働いている時間は、午後2時から6時の4時間。その時間帯は、ほとんどお客さんは来なかった。今日もお客さん少ない、そう思いながらお皿を拭いている時だった。
──カランカラン
「いらっしゃいませ」
お客さんだ。僕がメニューを持って入口まで行く。そこにいたのは、ハットを被り、レトロなスーツを着た高齢の男性だった。
「一名様でよろしいでしょうか?」
僕がそう言うと、男性は首を振る。
「二人だ」
「……?」
僕は、思わず男性の後ろを確認する。しかし、男性の後ろには誰もいない。
「待ち合わせでしょうか?」
僕が再び聞くが、男性は首を横に振る。
「では……一名様でよろしいですか?」
「いや、二人だ」
(……んん?)
訳が分からず、僕は対応に困ってしまった。このままでは、対応ができない。どうしたものか……。悩んでいたその時だった。
「……あっ、いつもありがとうございます」
「……店長?」
店長が心配して出てきてくれたのか、後ろからひょこっと顔を出していた。そして、その男性を見るなり対応を始める。
「いつものお席、空いてますよ。どうぞ」
「ありがとう」
店長がそう言うと、男性はペコッと頭を下げ、窓側の一番奥の4人用の長テーブルに座った。
それを確認した店長は、僕にトレイと2つの水が入ったコップを手渡してくる。
「はい、これ持って行ってね」
「えっ……でも……」
「いいから。あっ、ちゃんと対面に置いてね」
僕は渋々、そのトレイを持って男性の元へ向かう。
「こちら、お冷になります」
「ありがとう」
僕は、店長に言われた通りにお水を置く。すると、男性が話しかけてくる。
「注文、いいかな?」
「はい、承ります」
僕はポケットから伝票とペンを取り出す。
「ブルーマウンテンとキリマンジャロ……それと、持ち帰り用にチーズケーキを1つ、お願いします」
「はい、かしこまりました」
僕はオーダーを受け、カウンターに戻る。
「店長、ブルーマウンテンと……」
「ブルーマウンテンとキリマンジャロ。持ち帰り用のチーズケーキ1つね。了解」
「えっ……聞こえてたんですか?」
「聞こえてないよ。でも、そうオーダーしてくださったんでしょ?」
店長は、慣れたようにコーヒーを準備しながら言う。
「とりあえず、チーズケーキの方、お願いしてもいい?包装してショーケースに入れて置いてくれるかな?」
「は、はい」
僕は、喫茶店の奥に入り、業務用の冷蔵庫の中からチーズケーキ1ピースを取り出して箱に包装し、店のケーキが並べられたショーケースの中に保管した。その間、あの男性はぼんやりと外を眺めていた。そこへ、店長がコーヒー2つを持って行く。
「ブルーマウンテンとキリマンジャロになります」
店長は、1つを誰も座っていない対面の方へ置き、その後に男性の方へもう1つを置いた。
「ごゆっくりどうぞ」
店長は静かに頭を下げると、再びカウンターに戻ってくる。
「……店長」
僕は思わず店長に声をかけていた。しかし店長は……
「あっ、チーズケーキ入れてくれた?ありがとう」
「えっ?あっ……はい」
どこか強引な様子で僕にそう言ってきた。そんな店長の様子に僕は、少しばかり不満を覚えていた。
「……ご馳走様でした」
「ありがとうございます。こちら、チーズケーキです」
「ありがとう」
結局、男性は自分の前に置かれたコーヒーだけを飲み、もう1つのコーヒーには一切として手をつけなかった。会計は店長が担当し、僕は少し離れたところでその様子を伺っていた。すると、2人の会話が聞こえてきた。
「今回も、申し訳ないね……」
「いえ、いいんですよ。どうでしたか?今年は」
(今年は……?)
店長の言葉に疑問を持つ。
「実に美味しかったよ。『妻』も喜んでくれてるといいんだけど……」
「……えっ?」
小さい声だったが、咄嗟に出てしまった。僕は思わず口を手で覆う。
「きっと、喜んでいらっしゃると思いますよ。……俺が言うのもおかしな話ですけどね」
「あっはっは!それはおかしな話だなぁ!」
2人の軽快な笑いが店内に響く。
「それじゃ、また来るよ。ありがとう」
「はい、またお待ちしております。ありがとうございました」
店長がそう言うと、男性はハットを被り、チーズケーキの箱を持って店を出ていった。
「……ふぅ」
「店長!」
「うおっ!?びっくりしたぁ……」
僕は思わず声をかける。店長が驚いた表情をしたが、お構い無しに続ける。
「説明してください!あの方は……」
「あぁ、うん、あの人はね……」
店長は、落ち着いた様子で先程の男性のことを説明してくれた。あの男性は元々、このお店の昔からの常連だったらしい。よく、『奥さん』と一緒に来ては、窓側の奥の座席に座ってコーヒーとチーズケーキを食べていた。……しかし、数年前、『奥さん』が病気で他界。癌だったらしい。
「それで、命日と『奥さん』の誕生日の日にいらっしゃって、コーヒーとチーズケーキを注文するようになったんだ」
「そんな事が……」
僕はまだ片付けられていない、先程の男性がいたテーブルの方に目を向ける。そこには、空のコーヒーカップと冷めきったであろう、手付かずのキリマンジャロが入ったコーヒーが置かれたままになっている。
「『奥さん』がキリマンジャロが好きだったんだ」
店長はそう言いながら、テーブルを片付けに向かう。僕もその後ろをついて行った。店長はキリマンジャロが入ったコーヒーをトレイに置く。
「今日のコーヒー、飲んでくれてたのかな」
「………」
店長がそのコーヒーを眺めながら呟く。そんな店長の表情は、どこか憂いを帯びて見えた。
「……飲んでくれたと思いますよ」
「……えっ?」
店長が少し笑いながら聞き返してくる。
「コーヒーは……冷めると美味しくなくなりますからね」
僕はトレイに乗った、コーヒーの入ったカップを手に取る。そして、窓から見えるゆっくりと歩く男性の背中を眺めながら呟いた。
「冷めないうちに、飲んでくれたと思います」
男性の背中を見て、何となく、そう思った。
「……そうだね」
隣で呟く店長と一緒に男性を眺める。
不思議と男性の横には、もう1人、男性よりも少し背の低い、上品な高齢の女性が並んで歩いているように見えた。かと思うと……
「……!」
「……ん?どうした?」
「今……高齢の女の人が……」
「えっ!?どこどこ!?」
こちらに振り返り、微笑みながらこちらにペコッと頭を下げた……そう思えたが……
「あれ……いない……」
「えっ?なんだよもう……ビックリさせないでよ……」
その女性は、最初からいなかったかのように霧のように消えてしまっていた。店長は、呆れながらカウンターに戻っていく。
(さっきの……あの人は……)
僕は、それが分かった時、フッと微笑んだ。そして……
「また、来年もいらしてくださいね。旦那様とご一緒に」
そう呟き、僕は仕事に戻るのだった。
9/26/2025, 2:16:59 PM