七雪*

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 『八十年振り 巨大彗星、地球に接近か』————

 新聞の一面を飾る記事に、俺の目は釘付けになった。今朝、隣の席の三村が何時になく頬を紅潮させて、天体の話を聞かせてきた事が頭によぎる。ははん、なるほどな。コレがやって来るからか。記事を斜め読みしていくと、どうやら明日の夜にみることが出来るらしい。俺の心は何時になく浮き立った。

 翌日の朝。予鈴に間に合うように教室に滑り込むと、クラス内は巨大彗星の話で持ちきりだった。天文部の三村は流行り好きの女子たちに囲まれて、デレデレと相合を崩している。アイツの長ったらしいうんちくも、今なら聞いてもらえるのかもしれない。いや、もらえないだろうな。

 自分の席にどかりと座り、俺はポケットからカンニングシートにも似た、小さく折り畳まれた紙を引っ張り出した。他人に見られないよう、机の下でこそこそと紙を広げる。そこには、『秘密の計画 ナンバーワン』と大きく雑に書かれた文字が踊っている。下には細かい手順が載せられており、今日の計画についての詳細が書かれていた。ここら一帯で背の高く、天体観測に好条件の建物は少ない。ならば、学校の屋上に忍び込んでしまおうと俺は足りないアタマで考えたのだ。改めて、この計画にざっと目を通す。何だか、小学生の頃にタイムスリップしたみたいで非常に胸が高鳴った。昨日、夜遅くまで書き連ねた甲斐がある。どこを取っても申し分の無い、カンペキな計画……。自慢の計画書を眺めて、俺は満足気にニヤリとほくそ笑む。
 決行は、今夜だ。


 ――そう、思っていたのだが。俺は今、自宅の寝室で休息を余儀なく取らされている。何故ならば、あの後、興奮して学校の階段で思いっきり足を踏み外してしまったからだ。ずいぶん派手に転がり落ちて、足と胴を痛めた俺は動くこともままならず、こうしてベッドの上に縛り付けられている。言わずもがな、この状態では巨大彗星なんて見る事は愚か、外出なんてもっての外だ。渾身の計画が水の泡になっていくのを肌で感じ、俺は深い溜息を吐いた。

 中々寝付くことが出来ず、カチカチと時を刻む時計をじっと見つめていた。一際大きな音を発した時計の針は、とうとう九時を回る。そろそろ、彗星が見える頃だろうか。部屋に取り付けられた窓からは、彗星はおろか、その尾すら見えそうにない。次に巨大彗星が接近するのは、およそ八十年後。その頃、自分はまだ生きているのだろうか。すっと冷たい感覚が身体に染み渡り、俺は思わず唇を噛んだ。

 やはり、このままじっとしていることは俺には出来ない。おもむろに壁に掛けられた制服に手を伸ばす。制服のポケットに手を突っ込み、癖のついた計画書を引っ張り出した。紙を破らないように、折り畳まれたそれを机の上に広げる。悲鳴を上げる足を無視して、寝台から身体を乗り出し、裏面に言葉を綴った。それはまるで手紙の様でもあり、願い事とも取れる内容だ。いつもの俺ならば、馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばすような文。俺は、擦り切れたその紙切れを、無事であった手で空の宅急便の形に仕上げていった。そうして出来上がったのは、酷く不恰好な紙飛行機。決してカッコイイとは言えないが、黒く掠れた筆跡も、深くついた折り目も、この紙飛行機だけの勲章だ。

 ベッドの上に膝をつき、窓から漏れる僅かな星明かりに、世界で一つだけの紙飛行機をかざす。ここから彗星は見えないが、きっと届くだろう。俺は小さく音を立てて、窓を開けた。夜の冷たい空気が、部屋の中に流れ込んでくる。手紙の出発地点にはぴったりの場所だろう。右手に持った紙飛行機を、夜風に乗せてぐっと押し出す。

 彗星への手紙は、たった今宇宙に向けて飛び立った。

4/13/2023, 8:33:20 AM