エムジリ

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「鳥のように翔んでみたい?」
 彼は僕の口ずさんでいた歌の一節を聞き咎めた。
「何かおかしいかい?」
「あれは生きるために“飛んで”るのさ。僕らが勉学のために筆を取り、金のためにあくせく働いているのと何ら変わりない。それを自由を謳歌しているかのように捉えるなんてどうかしているよ」
「君には──」僕は肩をすくめて言った。「情緒ってものがないのかい」
「人びとがなりたいと思っている鳥だって、そんなもの感じないだろう」彼は嘲るように言う。
 僕はまた口を開いた。
「人間だからこそ翼のある鳥に憧れるんだろう」
「憧れ?」
「そうだよ。私生活が煩わしくなったとき、空を無責任に舞うことを魅力に感じない人間はいないんじゃないかな」
 僕の言葉に「そう、人間だ」と彼はつぶやいた。
「僕らはどこまで行っても人間なんだ。決して鳥にはなれない」
「だからこれは願望で、」
「皆、そんなに地上が嫌いなら、人間らしく機械を使って重力への反発に挑戦すべきなんだよ」
 彼の態度は頑なだった。僕はあきれたように笑う。
「君の現実主義には負けるね。しかし僕は議論ではなくて、ささやかな雑談を楽しみたかっただけなんだ」
 彼は呆気にとられたような顔をした。
「すまない」
 しおらしい声でぽつりと謝罪するなり、表情がみるみる陰っていく。「病は、豊潤な想像力をも蝕むらしい」
 僕は枯枝のような彼の腕と、食物を直接胃に運ぶための細いチューブを見た。これが彼を生かす生命線なのだ。
 人間らしさとは、今となっては彼がもっとも渇望するものだった。
「いや、いいんだ」僕はそれ以上の言葉が出なかった。
 彼は病室のベッドに背中を預けたまま、窓の向こうを見つめている。一羽の鳥が羽ばたき、天高く翔びあがったところだった。


▼鳥のように

8/22/2023, 12:10:13 AM