帽子でも持ってくるべきだったかな。そう後悔するほどに今日は異常なまでに暑い。だけど夏特有の不快さは感じない。自転車で感じる風のおかげなのかもしれない。
「おっと。あっぶねぇ。」
「うおっ。」
車体が揺れる。
危うく落ちるところだった。
「もっと安全運転してよ。」
僕は目の前の運転手に言う。
「ちゃんと掴まっときゃ大丈夫だって。今のはたまたまタイヤが石に乗っちゃっただけだよ。それともなんだ、2人乗りは源平君には早かったかな?」
「……。」
顔は見えないが腹立たしい表情をしているのがわかる。それに反抗するように僕はわざと体を揺らしてみた。
奴は不意を突かれてうぇっ、とか情けない声を出した。あまりの間抜け声に笑ってしまう。
「お客さん。あんまり運転の邪魔するんであれば降りてもらいますよ。こっちも商売でやってますんでねぇ。」
「それは大変ですね。いいですよ降りても。別に僕行きたいとことかないし。運転手さんがいきなり家に来て乗れってウッキウキで言ってきたもんですから、仕方なく乗ってるだけですよ。ここら辺で降ろしてもらっていいですか?歩いて帰れますので。」
「はぁ。」
わかりやすくため息をつかれる。
「お客さん。今日何日ぶりに家出たんですか。夏休みになってから、一度も家でてないですって。お母さん愚痴こぼしてましたよ。ゲンにはお友達いないのかしらって心配までさせて。親不孝者ですね。」
「いや。一度も出てないは嘘ですよ。夏休み入ってから買い物行ってきてだの、回覧板持っていってだの、こき使われっぱなしですからね僕。それに予定がないから家にいるのは当たり前でしょ?」
「その予定がないからお母さん心配してんじゃ」
「なんか言った???」
「なんでもないです。」
「まぁどうせ暇してたでしょ源平。いいじゃん1日くらいつきあってよ。すっげーところ見つけたから。」
「そうだよ。僕たちどこ向かってんの。」
「それは着いてからのお楽しみってことで。そこの道曲がって登ればすぐだぞ。」
そういうと自転車のスピードが上がる。もともと2人乗りにしては速かったのに、まだ体力あるのかと少し尊敬する。細道を曲がると先は急な坂だった。ここからは歩くらしい。勾配を一歩一歩感じながら歩いていると前の男と差が開いていた。男は涼しい顔で走っていた。
「おーい!!源平はやくー!!」
返事をする余裕がない。数日とて怠惰な生活を送ってしまったつけがここでくるとは。立ち止まって休憩しようとしたらいきなり左手を引っ張られ、無理やり走らされる。肺がやめてと言っている。相手はお構いなしにぐんぐんと加速する。
「着いたぞ!!!!」
「はぁ、はぁぁ、はぁ」
やっと着いたらしい。身体中から汗が出るのを感じる。額の汗を拭って顔を上げると目の前には終わりが見えない花畑が広がっていた。
「めっちゃ綺麗じゃないか!!?」
「お、おぉ、そうだね。」
「なんだよー反応わりー」
「いや、綺麗だよ。ほんとに。」
「だろー!?俺最近花にハマってるって言ってたじゃん?ここらへんでどっか花植えられてるとこないかなーって夏休み入って散策してたらなんと!見つけちゃったんだよねー!」
「どれがどんな花かわかるの?」
「もちろん当たり前でしょ。まぁこの前来た時はわかんなくて本片手に調べてたけど。」
疲れていることも忘れて僕は花に近づく。1種類、1色だけじゃなく、いろいろ植えているようだ。素人だからよくわからないのが惜しい。ひまわりくらいしか分からない。だから聞いてみる。
「これは?」
「それはマリーゴールド。あれはホウセンカ。結構メジャーな花だな。あの端っこのはわかるだろ?」
「……あさ、が、お……?」
「随分と自信なさげだな。合ってるよ。」
花はどれも一緒に見えるからね。とか言うと怒られるだろうな。2人で歩いてる間もずっと、僕から聞かずとも花の名前や説明をしてくれた。本当に好きなのだろう。楽しそうな声色だった。
説明を聞きいているとある花が目につく。
「これはなに?」
「どれどれ?えーっと、、、ってお前。これ前に俺が教えた花じゃんかよ。」
「え?そうだっけ?」
「おい忘れたのかよー。いいか?もう一度教えてやる。この花の名前は×△?:&/!-;>+」
「え?」
「もう忘れんなよ。ったく、俺悲しいぜ。源平にしか言ってないのに。この花は運命だったって。」
「ごめんなんて?」
「え?だから×△?:&/!-;>+」
聞こえない。おかしい。疲れが溜まっているのかな。
「源平?どうした?」
「ごめんなんでもない。安心して。もう忘れないよ。」
「もー頼むぞ?」
また聞いたら怒りそうだったので聞こえたふりをした。
「ところでさ、ここっていつからあるんだろうね。ずっとこの街に住んでるのに、こんなところ一度も聞いたことない。」
「それは俺も不思議に思ってた。見つけるまでてっきりここら辺は工場って勘違いしてたな。」
「長年住んでても知らない場所ってあるもんなんだね。」
「そうだなー。」
それから2人で他愛もない会話をして歩く。もちろん、花の解説も忘れずにしてもらう。止まって花を観察しては歩いて、また止まって歩いて、止まって歩いて………
おかしい。
知らない花を見つけては止まって話を聞いて、それからまた2人で並んで歩いて、また知らない花があったら……
おかしい。
2人で並んで歩いて、花の話もして………
おかしい。
「そうこの前さー……」
終わりがない。
「だから俺、言ってやったんよ。………」
終わりがないくらい長い花畑。
「どう思うよこれ?まじ酷くない?………」
いくら進んでも終わらない。
日も沈まない。
暑さはずっと変わらないのに喉は乾かない。
隣の男の話も止まらない。
隣の男?
「そういえば、あの子って………」
誰だ。
この男は誰だ。
名前がわからない。どんな顔だっけ。思い返すと今日一度も顔を見ていない。そもそもこの男との関係は?何も思い出せない。いや覚えていないのか?
「あのさ!!!」
大声を出して男の話を強引に止める。
「うぉっ!!びっくりした。大声なんか出してどうしたよ?」
「この花畑いつまで続くの?」
夏バテで頭がやられてるだけかもしれない。きっと顔を見れば思い出せる。僕は顔を上げて隣の男を見る。だが、隣には男どころか人がいなかった。
「…え?」
呆然とする。
「どこ見てんの源平。先に行くぞ?」
声は前から聞こえた。男はずっと前にいた。なんで?さっきまで隣にいたはずなのに。僕は追いつこうと走る。いつのまにか疲れはなくなっていた。だが、僕がどれだけ本気で走ろうとも追いつかない。相手は走っていないのに追いつかない。そもそも距離が縮まっていない。
「ちょっと待ってよ。」
流石におかしいと声をかけた。
男は足を止める。
「そうだ源平。さっき花畑がどこまで続くのかって聞いてきたな。」
声をかけるべき相手は後ろにいるのに振り返ろうとしない。男は気にせず話を進める。
「ずっとだ。この花畑はずっと続くんだ。」
「……え?」
何を言っているのかわからない。そんなわけない。
「ちょっと前にいつからあるんだろうねとか言ってたな。俺も共感したけど嘘だ。これはずっと前からある。だけど昔と言えるほど前でもない。数年前がしっくりくるかな。それも1、2年前。」
「……なんで知ってるのに嘘をついたの?」
「それはお前も一緒だ。源平。」
さっきから言っていることが理解できない。僕も嘘をついている?
「僕は嘘なんかついていないよ。こんなところ知らない。」
「すっとぼける気か?俺が知ってるのにお前が知らないわけがない。」
男の声に少しの苛立ちがまじる。
「なんでそう言えるの。」
無意識に僕も強く言う。
「それは、
この花畑は、源平。お前が作ったからだ。」
「は?」
「源平の手でこの花畑は作られた。そして、源平は終わりを作らなかった。ここじゃ日は落ちなし花は枯れない。」
何を言っているんだ。
「知らない。僕にはそんな記憶ない。ここには今日初めてきた。花だって詳しくない。何より育てられない。君が作ったんじゃないの。」
今まで忘れていた疲れと汗を感じる。
「俺は、お前がここを作っているのをずっとそばで見てきた。」
「だから知らないよそんなこと!そもそも君は誰なの!!」
理解ができない焦りと恐怖からか落ち着きが保てない。思わず聞いてしまった。
「俺はお前の×△&/-;>+だ。」
まただ。
「聞こえないよ。」
「聞こえなくていい。」
それを聞いた瞬間、よくわからないけどさっきまでの苛立ちが何故か寂しさに変わった。相手はもう会話をする気はないらしい。寂しさは男にも伝わったのだろう。
「俺はなんでもない存在だ。知る必要も、知らないことを機に病む必要もない。そもそも俺自体も自分のこと知らないしな。そして、源平。君はここにいるべきじゃない。」
心が痛かった。なんでかわからないけどそれが苦しく感じる。
「君だけずっと喋ってるのに何もわからないよ。」
「ごめん。俺が知ってるのはここまでなんだ。けど安心して。源平を帰すべきところに帰すことはできる。もう少し進もう。」
「…わかった。」
男は、彼は、この会話の間に一度もこちらを見なかった。
しばらく歩くと彼は止まった。距離は前と変わらず開いたままだ。
「ここでお前とはバイバイだ。俺はここから先に行くなって言われてさ。花畑の間に小道が見えるだろ?そこを進めばいい。帰るべき場所に帰れるから。」
「本当に帰れる?」
「安心しろ。これは嘘じゃない。覚えてないんだろうけどお前が俺にそう言ったんだからな。」
「だから記憶ないって。」
何故か笑ってしまった。彼の話は本当なのかもしれない。僕が忘れているだけなのかも。
僕は足を進める。相変わらず日は高いままだ。少し進むと花畑の間に人1人分の小道があった。花を踏まないよう足元に気をつける。すると、後ろから声が聞こえる。
「おーーーい!!」
彼だ。
そういえば、ずっと距離が縮まらなかったのにいつの間に追い越したっけ。歩きはじめの記憶はあるのにどうやって彼の先に行ったのかわからない。終始よくわからない所だ。試しに振り返ってみると彼の姿はずっと先で、目を凝らさないと見えないくらいに小さくなっていた。これじゃ見ても顔がわからないじゃんと呟く。
「またなぁぁ!!源平ーーーー!!!!」
そう言って彼は大きく手を振る。彼のことは知らないけど嬉しかった。僕もやり返そう。
「またねぇぇーーー!!!!!」
腕を可動域いっぱいに動かす。そして彼に背中を向けて再び小道を進む。
僕はきっと彼に会ったことがあるんだろう。思い出さなきゃ。それで、思い出したら彼に言わないと。僕が花畑を作って、終わりを作らなかった理由を。彼のことを。彼がずっとここにいるかはわからないけど。そもそも僕がまたここに来れるかわからない。大前提、思い出せるかすらも。だけど思い出したい。そのために帰るべき場所に早く帰るんだ。僕は走り出す。花を踏まないように。
「んー、思い、だ、すぅ、、。」
「あれ?ゲン君起きた?」
コーヒーのいい香りがする。目覚めにはおしゃれすぎるな。なんて思いながら頭を上げると目の前にはマスターがいた。
「すみません。寝ちゃってました。」
寝ぼけ眼を擦りながら言う。
「今は休憩中なんだからいいんだよ。ゲン君、寝起きはぽやぽやしてるね。」
コーヒーカップを丁寧に磨きながらマスターは僕を見て微笑む。その目には慈愛と、生き抜いた男にしか出せないような深みがあった。この人は本当にダンディーという言葉がよく似合う男だ。
「途中うなされて、それから満ち足りた表情になってたけど夢でも見てたのかい?」
「うーんなんか変な夢でした。花畑歩いてましたね。てか、もしかしてずっと見てました?」
「うん、楽しそうな夢で良かったよ。」
マスターは満足そうだ。見られてたのが恥ずかしい。まぁ、カウンターで堂々と寝てたんだ。見てくださいと言ってるようなものだ。マスターの視界に入れた僕が悪い。
「あ、そうだ。」
ポケットから手帳とペンを出す。そして、夢の内容を思い出す限り細かく書く。これは僕の日記だ。毎日、1日の出来事をノートいっぱいに何ページにも渡ってかく。かれこれ1年続いている。そしてもうすぐで2年目に入るのだ。その時は全部読み返してやろうって言うのが密かな楽しみだ。僕が日記を書いてる時は、マスターは話しかけてこない。そうして欲しいって言ったわけじゃないけど恐らく僕の境遇から察してくれているのだろう。ますますできた男だなと思う。大人になったらマスターみたいになりたい。そのくらいマスターは僕の中で憧れだ。一通り書き終えて読み返す。なにか書いてなかったり、間違いがあったら大変だ。
「よしっ。これでおっけい。」
確認が終わったのを見てマスターが声をかける。
「ゲン君。お店の看板をオープンにしてきてくれるかい?」
「わかりました。マスターいつもありがとう。」
日頃の感謝を不意に言ってみる。マスターはなんのことかなとぼけている。そういうところに惚れるんだよなぁとしみじみしながら店の外に出てクローズからオープンに看板を変える。最近は夕方でも暑さが厳しい。店に入ろうとすると涼しい風が吹く。
どこかで感じたことがある風だ。
たしか、今より暑くて、だけど、じめじめはしてなかったな。
「うーん。」
思い出せそうなんだけどな。これも手帳に書いておこう。
8/10/2025, 11:27:52 AM