紅月 琥珀

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 私の世界はこの白い部屋の中だった。
 物心ついた頃から今まで、この部屋から出た事がない。
 理由は私の体は免疫力が異常に低く、この部屋の外では長く生きられないらしい。
 だから全ての事はこの部屋の中で完結出来るようになっている。
 お風呂やトイレ、食事も全部この部屋の中に備わっている物で事足りた。
 勉強はオンラインで、唯一外と関われるのは主治医が訪問した時だけ。
 それでも私は幸せだった。
 外の世界を知らなくても、先生が来てくれるならそれだけで良かったんだ。

「気分はどうかな? 最近体調に何か変化はなかった?」
 優しい声でそう語りかけてくる先生に、私は「最近調子が良いので大丈夫です」と答える。
 先生は安心したように笑い、今日も私がせがんだから、たくさん外の話をしてくれた。
 写真とかは持ち込めないらしいけど、話くらいならと一生懸命説明してくれる先生。
 この時間が大好きで、ずっと続けば良いと思っていた。でも楽しい時間はあっという間に過ぎ去って、また明日と別れの時間になる。
 そうしてまた先生が来る時間まで、食事や就寝などの日々の営みをしつつ、合間に趣味に勤しみ時間を潰す。先生に言った通り、最近は凄く調子が良くて時間を忘れて没頭してしまう事も多く、疲れるまでやり続けてしまう時もあった。
 そうした事の反動なのか⋯⋯数日経つと体調を崩し、私はベッドから起きれなくなる。
 先生は懸命に処置してくれたけど、多分もうダメなんだなと何となく察しがつく。
 私は先生に今までのお礼を言う。先生はびっくりしてたけど、酷く悲しそうな顔をして私の話を全部聞いてくれた。
 言いたいことはたくさんあったけど、全部は言い切れないから。せめて一番伝えたい言葉だけでも伝えたい、その一心で懸命に言葉を紡ぐ。

「先生⋯⋯ありがとう、ごめんね――――――大好きだよ」

 ◇ ◇ ◇

 それは急な仕事の依頼だった。デザインベイビーの主治医として、ある施設で働いて欲しいと。
 そこで出会ったのが彼女だった。
 白皙(はくせき)の肌に宝石のような瞳。プラチナブロンドの髪が光を反射して煌めく様に、私ははじめて恋をした。
 同じくらいの年齢の子に見えたが、この若さでもう80を越えていると言うのだから驚きだ。しかもその理由にも驚かされた。
 そもそも彼女は何のためにデザインされて生み出されたのか?
 それを考えれば頭のいい人なら分かったのかもしれない。
 端的に言えば、不老不死の研究のためにデザインされた子だった。
 その為に脱皮と繭に着目した研究者が、試験的にそれを人の遺伝子に組み込んで作られたのが彼女らしい。
 これまでのデザインベイビーは短命だったらしいが、彼女は周期的にある行為をする事で80年生き続けているそうだ。
 しかしそれにも代償があるらしく⋯⋯その行為をする前の記憶が殆ど無くなってしまう。
 厳密に言えば無意識的に覚えている事はある様だが、意識的には全て無かったことになる。
 そんな欠陥を持つ変わりに⋯⋯仮初めとはいえ不老を手に入れ、彼女はずっと美しい姿のまま80を迎えたのだという。

 そして私は何度もその周期に立ち会い、幾度となく“はじめまして”を繰り返した。
 その過程で愛し合った記憶も、互いに思いを伝え合った記憶も、全部彼女の中から消えているはずなのに⋯⋯毎回最後に同じ言葉を私に言うのだ。
 それが何を意味するのか、私には分からないが―――いつか全ての記憶を思い出す日が来るかもしれない。そんな思いだけであの日からずっと彼女の傍に居続けている。
 また始まった繭周期。彼女の体は徐々に白く透き通っていく。
 それはまるで脱皮するように彼女の皮膚の部分が薄く膜のようになっていき、次第に人型ではあるが完全な繭の状態になる。
 数日で新たに“生まれて”来るであろう彼女に、今度はどんな話をしようかと考えながら⋯⋯私はその部屋を後にした。

5/17/2025, 1:23:07 PM