浜辺 渚

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僕はそっと生きることを人生の軸のようなものに設定している。内向的なハリネズミのハリを1つずつ丁寧に確認しながら撫でるようにそっと。どうしてそうなったのかは今では定かではないが、恐らく、小学生の頃にあらかたの反そっと的な生き方を経験してしまったからだろうと思う。生まれつき、運動神経が人並み以上に良く、その上、九州の小さな村に生まれた考え方に錆が残っている運動好きの父親を持ったことで、僕の運動能力は学年でも1位か2位を争うほどだった。小学校という純粋さが擦り切れて居ない社会では、人はまだ資本主義的な生産性には囚われず、むしろ狩猟採取的な運動能力に価値を置くのである。それにより、僕は小学校の1年生から5年生を常に最低限の注目を浴びて生活を送った。リレーではアンカーだし、跳び箱ではクラスで1番高くを飛んだ。外部の写真家を雇って行う運動会の写真展示では僕の走る姿がそこらじゅうに貼ってあった。当然、告白を受けることもあったし、同性からもリーダー的な存在として憧れられていた。風というのは一方向にしか吹かないのかと錯覚するほどに順風満帆だった。しかし、小学五年生の頃にクラス内で天然パーマの子と喧嘩をする事件が起こってしまった。喧嘩と言っても、口喧嘩で、発端はその子が僕のホクロの多さをバカにしてきたことである。僕は言い返して、その子の髪の毛のダイナミックさについてバカにした。そうすると、直ぐにその子は泣き出して先生にバカにされたと話し、先生は頭の血管が領土を拡大しようとするみたいに青筋を立て、僕にイジメをするなと怒鳴った。どうやら、僕は彼をいじめたことになっていたらしい。僕の認識ではいじめは一体一では起こらないものであり、悪口を言われ、言い返すのは口喧嘩の範疇であると思っていたが、正しさの擬人である先生によるとそれはイジメということだった。その事件が僕の人格を変えるほど大きな理不尽さを秘めているかと言われたら勿論そうでは無いし、単によくある話で済ませられる類のものであるが、僕はその事件を契機に徐々に僕が支払っていた代償について気づくようになった。小学生6年生では収支決算を黒字にするように目立つことは控えて残りの学校生活を送った。それから、中学生、高校生と今に至るまで、目立たず、息を自分の持ち物に潜め、 そっと学生生活を送っていった。

1/14/2025, 4:00:30 PM