「がんばれ、がんばれ」「おい、じいさん、まだだ!」
半分泣きながら叫ぶ親族。
今日が山場といわれ、さまざまな場所から駆けつけたわたしたち。
午前未明、
病室のベッドに横たわる祖父を、思い思いのことばで励ましていた。
胃がん。告知されたときには、既にステージ4だった。
間違いなく、絶対に誰よりも辛かったはずの祖父は、
「大丈夫大丈夫。ちゃんと治してまた遊ぼう」。
そういって、孫であるわたしや妹に優しく笑った。
食べることが好きだった祖父を連れて旅行に出かけた。
バイキングの夕食を誰よりもたくさん食べていた祖父。
数日後には、胃を半分以上切除する手術を控えていた。
手術のあと、思うように食事がとれなくなり、
祖父はどんどん痩せ細っていった。
健康で明るく、人柄を慕われ、スポーツが得意だった祖父は、たびたび不安を口にするようになった。
「不安に心を喰われぬようにね」と、声をかけたけれど、「喰われて」いたのは私たちの側だったのかもしれない。
食べることが苦しくなっても、祖父はできる限りの栄養を摂ろうと懸命に過ごしていた。
サポートを受けながら、食事を1日に数回にわけて、
ちょっとずつ、ちょっとずつ食べる。
身長も高く、筋肉もしっかりあった祖父が、
別人のように痩せていくすがたを、お粥や、スープを食べきれずに、苦しそうに悔しそうにしているすがたを、わたしはただ見守るしかなかった。
身近なひとが、こうして病に臥せるという経験が、
ほんとうに、はじめてだった。
「じじの容体が急変した。すぐにきて。いそいで。」
兼ねてから病室に寝泊まりしていた、
私の母から電話があった。
10月。奇しくも、「スポーツの日」だった。
そこからはどうやって病院にたどり着いたのか、
まったく記憶がない。
気づくと、「がんばれ!がんばれ!」という叫び声の渦のなかに立ち尽くしていた。
わたしは何も言えなかった。
ひとの命が、尽きる。たぶんもう、すぐに。
怖い? 違う。そんなんじゃない。
悲しい? わからない。状況が飲み込めない。
後悔がある? わからない。だって、まだ、目の前に。
最期に伝えたいことは?
待って、だって、だってまだ。まだ。
ことばがでない。涙も出ない。何もできない。
心拍数と血圧の低下を知らせるアラーム。
泣きじゃくる妹。悲鳴に近い声をあげる祖母。
いままで、祖父と衝突ばかりしていた叔父は、
祖父の手を強く握って叫び続ける。
じいさん、じいさん。まだだ。がんばれ。まだだ。
そのとき。今まで黙っていた私の母が、
ゆっくりと、そっと、静かに言った。
「ありがとう。」
その直後に、祖父は旅立った。
すごく、すごく穏やかな顔をしていた。
久々にみる、柔らかい表情。わたしの、じじの顔。
病室は、しん、としていて、
皆の啜り泣く声が、雨のようだった。
わたしはそのときに、やっと言葉が出た。
「じじ。ありがとう。ありがとう。」
嗚咽の混じった声。しゃくり上げながら何度も伝える。
もう聞こえていないかもしれないけど、
何度も、何度も、繰り返した。
じじ。ありがとう。
あのとき、「がんばれ」ではなくて、
「ありがとう」と言った母。
その声は、わたしが聞いたことのない声色をしていた。
きっと、わたしの知らない色んな記憶や思いが詰まっていたのだろう。それはほんとうに、素直な声だった。
祖父の、娘の、声だった。
わたしも、これからさまざまなひとと、
さまざまな別れを経験するだろう。
それは必ずしも死別だけではないだろう。
色んな理由や、色んなきっかけで、
2度と会えなくなるかもしれない。
会わないという決断をするかもしれない。
そのとき、何を伝えるか。
いまはまだ、わからない。
ただ、ひとつ。固く心に決めていることがある。
それは母の旅立ちを見送るとき。
わたしが伝えるのは、
「ありがとう」。
[ありがとう]
2/14/2025, 2:43:15 PM