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「色とりどり」

そこは夢の世界、色とりどりの草木が豊かに育つ幻想郷。そこには、たくさんの動物たちが肉食も草食も関係なしに仲良く暮らしています。大きい動物、小さい動物、みんな協力して、野菜を育て、果物を育て、毎日のんびり生きています。そこに弱肉強食の摂理はなく、あるいは死の概念すら存在しません。まさしく、夢の世界です。

さて、そんな平和な世界に今日も一人、人間が迷い込んできました。

「……んん」

柔らかな緑の草原で、男は目を覚ましました。確かにベッドで眠りについたはずなのに、今背中に感じるのはチクチクとこそばゆい芝生です。暖かな日差しに再び瞼が落ちそうになるのをこじ開けて、男は身体を起こしました。

「?……どこだ。ここは」

身体を起こした男が辺りを見渡すと、そこには草原が広がっていました。どうやらなだらかな丘の中腹で寝ていたようで、少し遠くには整備された様子の林が見えます。

「いつまでもここにいても仕方がない」

誰か人がいると信じて、男は林へ向かうことにしました。立ち上がって自分の身体を見てみると、どうやら眠りについた時のままのようです。つまり、男は寝巻き姿だし、裸足でした。

幸い足元に広がる芝生は柔らかく、裸足で歩いても少しくすぐったいだけで痛くはありませんでした。それでも念のため足元を見ながら進んでいくと、あっという間に林に辿り着きました。

「おぉ、立派な樹だ」

林の入り口に辿り着いた男は辺りを見渡します。丁寧に世話をされたことがよくわかる生き生きとした樹々には、大きさも色もさまざまな果物がたわわに実っていました。

「お、林檎だ。こっちには蜜柑もある」
「……んん?あっちにあるのは桃か?」

季節感を無視して、そこにはありとあらゆる果物がありました。男が食べたことのあるものもないものも。男はあっちこっち歩き回っては果物を見てまわりました。春なのか秋なのか、夏なのか冬なのか、ここがどこなのか少しは分かるかと思っていた期待は裏切られ、ますます不安に駆られます。

「おや、おやすみなさい。迷子さん」

そこに声が聞こえました。よく聞き慣れた言語です。驚いて肩を跳ね上げた男は勢いよく声のした方向へ顔を向けました。しかしそこに人の姿は見えません。男は辺りを見渡しました。右、左、後ろ、もう一度前を見ても、そこには誰もいません。

「誰だ!?どこにいる!?」

「ここです。ここ」

男は声のした方を見ます。何もいません。

「そこじゃなくて、もう少し上ですよ」
「あぁ、行きすぎた。ちょっと下です」
「次は右に逸れました。戻って」
「やっと目が合いましたね」

ようやく見つけた声の主は小さなリスでした。艶やかな林檎の実を抱えて、枝の上に立っています。

「リスが……喋った!!?」

「わ!そんなに大きな声を出さないでください。ここは夢の世界。私たちもお喋りくらいするものです」

「夢の世界?」

「えぇ、あなたも眠ってここにきたんでしょう」

「どうやったら帰れるんだ!?」

「何もせずとも自然と帰れますよ」

リスは穏やかな声で男に説明をしました。ここは夢の世界であること。動物たちが仲良く暮らしていること。稀に眠っている人間の意識が迷い込んでくること。迷い込んだ人間はそのうち自然と消えていくこと。それはきっと現実世界での目覚めだということ。迷い込んできた人間を動物たちは迷子と呼んでいること。

「大きな迷子さんを見つけたのは久しぶりですねぇ。迷子さんは子供の方が多いんです」

説明を終えたリスは男を上から下からじっくりと観察しました。リスから見ると男は随分と大きくて、それから随分と登りにくそうでした。なんせ毛は頭にしか生えていないし、柔らかくてスベスベした服を着ているせいで掴めるところもなさそうなのです。それに脚も腕も細くて弱々しく見えました。仲良しの熊さんの方が、よっぽど安定していて落ち着くだろうと思いました。

リスの説明を飲み込むのに苦労している男をよそに、リスはのんびりと林檎を齧っていました。たくさん話して喉が渇いたのでしょうか。しゃくしゃくシャリシャリ、小気味良い音がして、男は自分が空腹であることに気がつきました。リスの言うことを信じると、ここは夢の中で何もせずとも時間がくれば帰れるらしいのです。

なんとか理解してほっとすると、途端にさっき見た果物が気になってきました。先ほどは季節感を無視している植生にばかり目がいって不気味でしたが、よく見なくてもどれもとても立派で美味しそうだったのです。男は最近どうにも忙しく、新鮮な果物などいつ食べたか、というところでした。

「おひとついかがですか。ここの果物はどれもとっても美味しいですよ」

「え……いいのか」

「えぇ、どれでもお好きなのをどうぞ。あなた一人くらいがお腹いっぱいになるまで食べたって無くなりやしませんよ」

「それなら……遠慮なく」

リスに勧められた男はまず林檎に手をつけました。リスが随分美味しそうに食べるので、自分も食べたくなったのです。ツヤツヤと輝いている色の濃い真っ赤な林檎を選んで手を伸ばします。実を掴んでグイッと捻ると簡単に収穫出来ました。

表面を軽く拭ってかぶりつきます。パンと張った皮がパリッと音を立てました。果実は水分をたっぷり含んでみずみずしく、口の中いっぱいに甘酸っぱい果汁が広がります。草原で目覚めてから、不安や緊張でカラカラだった喉が癒やされていくようでした。

それからしばらく、男は夢中で果物を食べました。林檎を食べ終えたら蜜柑。その次は桃。さくらんぼに梨。バナナ、葡萄。ザクロなんかもありました。時々リスにも食べてもらうことで、たくさんの種類を少しずつ。時間も忘れて食べるうちに、男はようやく満腹になりました。

「あぁ、もう食べれない」

「たくさん食べましたねぇ。満足しましたか」

大きくなったお腹を抱えて、地面に腰をつけます。初めにリスがいた樹にもたれて座ると、リスがスルスルと樹から降りて膝に乗ってきました。

「満腹になるとなんだか眠くなってきた……」

「おや、もうお帰りですか。おはようございます」

暖かな木漏れ日の中で男は目を閉じました。とろとろと意識が溶けるように落ちていきます。リスの声が遠くに聞こえたような気がしました。

ピピピピ。ピピピピ。
うるさいアラームの音で男は目を覚ましました。いつものベッド、いつもの天井。やけにお腹が空いていました。無性に果物が食べたい気分です。

「なんか、変な夢を見た気がする……」


1/8/2026, 1:05:47 PM