汀月透子

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〈愛-恋=?〉

 昼休みの教室。秋も深まりやわらかな陽が差し込む窓際で、私は母の作ったお弁当を広げた。卵焼きの甘さに、少しほっとする。

「ねえ、愛から恋を引いたら何が残ると思う?」
 隣の席の真緒が唐突に言う。

「またそういうの。テスト前に現実逃避?」
「違うって。
 昨日、倫理の授業で“愛と恋の違い”って出てきたでしょ。
 恋を引いたら、愛って何が残るのかなって」

 前の席の莉子が、サンドイッチの袋を開けながら顔を上げた。
「難しいこと言うね。
 恋がなくなったら、愛なんて残らないんじゃない?
 だって、恋がなきゃ始まらないじゃん」

 真央が少し笑って首を振る。
「でもさ、恋って一瞬で冷めることもあるでしょ?
 私、この前あいつと別れたとき思ったんだ。
 もう好きじゃないのに嫌いになったわけじゃない、元気でいてほしいなって。
 不思議だけど、それって愛なのかなって」

 莉子が「優等生発言だね」とからかう。真央は少し照れくさそうに笑った。
「もう終わりにしようなんて言われて最初は悔しかったよ。
 でも、怒る気力がなくなったら、なんか“ありがとう”しか残らなくてさ」

 私は卵焼きを箸で割りながら、その言葉を反芻した。
「恋を引いても、“ありがとう”が残る……それ、けっこういい答えかも」

 窓の外では、軽音部のギターの音が風に乗って響いている。
 ふと私は、朝の母の背中を思い出した。朝早くから台所で、黙々と弁当を詰める姿。
「そういえばさ、愛って“続けること”かもしれないね。
 うちの母、毎日早起きして弁当作ってくれるの。
 私のために続けてくれる。それが愛かなって」

 真央が頷いた。
「わかる。うちもそう。
 文句言っても、次の日またお弁当入れてくれるんだよね」
「うちはコンビニだけど」莉子が笑う。
「でも、遊びに行って遅くなっても迎えに来てくれるし。
 いつの間にか“当たり前”になってるのってよくないと思うけどさ」

 私はふと、母の言葉を思い出した。
「恋は終わることもあるけど、愛は形を変えて続くんだよ」
 そのときはピンとこなかった。でも今なら少しわかる。

「じゃあさ」私はお茶を飲んでから言った。「『愛-恋=?』の答え、私の中では“日常”かも」
「日常?」と真央。
「うん。ドキドキがなくても続いていく気持ち。
 お弁当とか、LINEのスタンプとか、そういう小さいことに残る愛」
「愛とは継続なり、かぁ……親とか見てるとそう思うよ」
 莉子が続ける。
「気が利かないとか父親の愚痴聞かされるけどねぇ……あれも愛?」
「なんだかんだ言いながら、おかずに父親の好きなもの作ったりするところは愛でしょー」
 思い当たる節が山ほどある、思わず3人でケラケラと笑ってしまった。

 チャイムが鳴った。
 私たちはお弁当箱を片づけながら「愛だよ愛!」と冗談めかす。

 私たちはまだ本当の恋も愛も、その答えも知らない。でも、いつかそれを知る日が来るのだろう。
 『愛-恋=?』
 その「数式」は、まるで未来への問いかけのようだった。

10/15/2025, 3:13:06 PM