〈愛する、それ故に〉
放課後の教室に、夕陽がゆっくり差し込んでいた。黒板のチョークの跡が光を受けて、かすかに白く浮かんでいる。
私はノートの上に顔を寄せ、二次関数のグラフを描いていた。
𝑦=𝑎𝑥²+𝑏𝑥+𝑐
𝑎が正のときは上に開く放物線。頭では分かってるのに、線を引くたび形が歪んでいく。
「ねぇ、聞いてよ」
前の席から、沙月(さつき)の声がした。机にあごを乗せて、ため息まじりに。
「今日、S君と図書室で一緒になったの」
「へぇ」
私はグラフの軸を書きながら、相づちを打つ。
「同じ時間に本返しに行っただけなんだけどさ。
隣に立ったら、なんかふるえちゃって。何も話せなかった……」
「そっか」
放物線の頂点の座標を求めようとして、xの符号を間違える。うまくいかない。
「好きってさ、なんでこんなに上手くいかないんだろ。話したいのに、話せない。近づきたいのに、逃げちゃう」
その言葉に、私はシャーペンを止めた。
窓の外では、野球部の声が遠くで響いている。
「……それ、放物線みたいだね」
「は?」と沙月が顔を上げる。
「上に行こうとしても、いちばん高いとこまで行ったら、また下がっちゃう。
でも、それでもちゃんと“形”はあるんだよ。どんなに上がっても下がっても、ちゃんと自分の道を描いてる」
沙月はぽかんとして、それから小さく笑った。
「なにそれ、数学で慰めるつもり?」
「うん、まぁ、そんな感じ」
私も笑った。
「放物線ってさ、左右対称なんだよ。どっちかが一方的に伸びてるわけじゃない。
だから、いつか相手の線と交わるといいね」
沙月はノートをのぞきこんで、私の描いたゆがんだ放物線を見た。
「……交わるかな」
「さぁ。
でも、“好き”って気持ちがあるなら、その線はちゃんと伸びてるよ」
少しの沈黙のあと、沙月がぽつりと言った。
「ねぇ、私さ、○○高校受けようと思ってるんだ」
「えっ、マジで? S君、○高って言ってたよね」
驚きながらも、どこか納得した。
「うん。受かるかどうかも分かんないけど……
それでも頑張りたいって思っちゃって。
……バカ?」
「バカじゃないよ」
私は笑って言った。
「落ちるかもしれないけど、ちゃんと上を向いてる放物線じゃん」
「落ちるって言うな!!!」
沙月は少し照れたように笑い、頬杖をついた。
「じゃあ、あんたも一緒にがんばってよ。
どうせ同じ受験生なんだから」
「もちろん」
私はノートを閉じて、まっすぐ前を見た。
黒板の上の夕陽がだんだん赤く染まっていく。
愛する、それ故に。気分が上がったり、下がったり、迷ったり。
でも、そうやって沙月が描く線の先に、きっと沙月の未来がある。
「ねぇ、次の模試、一緒に受けよっか」
「受けよ受けよ、そしてまず数学教えて!」
そう言うと、沙月が笑う。
放物線の線が、少しだけ重なった気がした。
10/8/2025, 4:42:30 PM