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 彼の鼻歌、お揃いのマグカップ、焼き上がったばかりのクッキーは私の『お気に入り』。
 天板に規則正しく並べられたそれを音をたてないよう彼の目を盗んでぱくり。
「あっ、」
 鼻歌が止まり、しっかり気付かれてしまったけど怒った様子は微塵もない。
 サクサクした食感の楽しいものに、ぎゅっと固まったカリッカリなクッキー、流行りのしっとりした冷めたものよりも作った瞬間にしか味わえない

「んふふ。焼きたてのふにゃってしたクッキーが好きなの」
 まだ固まっていないスポンジと似たような不思議な食感。温かく、しなっとしてバニラエッセンスの香りが口から鼻へ広がる。

「だから今、紅茶をいれようとお湯を沸かしてるんじゃないか」
 やかんに入った水は沸騰し始めてお湯になって、これから火から下ろして茶葉を準備して蒸らして…。紅茶になるまで数分で終わるのに数十分以上かかるようなそんな気がして。クッキーが「はやく食べて」と私に美味しい香りを振り撒いていたから。

「誘われちゃったの」
「蝶が花に誘われるみたいに?」
 甘酸っぱい苺の香りがする、紅茶の茶葉だ。
「そんな綺麗な例えじゃないかな」
 横でお皿を取り、彼の手伝いをしながらすすーっと小さなクッキーに手を…
「こーら、待て。あとちょっとだから」
「…わん」
 待ってる間はどうしてこうも1秒すら遅く感じてしまうのか。私のマグカップに濃いめにはいった苺が香る紅茶に氷がカランと落とされる。彼と私のマグカップは別の顔をしていた。

「お待ちかねの紅茶が入ったよ、ちゃんと待てが出来るじゃないか。いいこだね」
 しつけができた犬のようにわしゃわしゃ撫でられ、ご褒美の小さなクッキーが口に運ばれるかと雛鳥みたいに待っていたのに
「あぁっ!」消えた先は彼の口。私の期待…!

「うん、確かに君の言ってたこと分かるよ。手が止まらなくなりそうだ」
 してやったりの彼は口の端を上げていた。
 
 そんな彼との日々のやり取りも私の『お気に入り』。

2/18/2023, 4:29:29 AM