"まだ見ぬ景色"
最初に教わったことは、"黙ること"だった。
うるさく泣けば、騒げば、水の中に沈められ、窒息する寸前で引き上げられる。何度も何度も繰り返され、酸欠で朦朧とする意識のまま見上げると、彼女は悲しそうに、いつもお決まりの台詞を口遊むのだ。
"ごめんなさい。でもこれはあなたのためなの。あなたは賢いから、あの人の子供だから、分かってくれるでしょう?"
言葉を理解する気力もなく、ただ頷くと、彼女は嬉しそうに僕を抱きしめてくれる。
いい子、賢いかわいい子、私の一番の宝物だと、そう笑って。
怪我をしない、声も上がらない。殴ったり蹴ったりするよりも体力だって消費しないし、やり過ぎる心配もほとんどない。
手間もコストもリスクすら減らせてお手軽に言うことを聞かせられる方法。それが拷問や洗脳にも用いられる手法だと知ったのはいつだっただろうか。
彼女が去った一人きりのアパートの部屋で、洗面器に溜まった水を見下ろして。
きっと、この水鏡の向こう側には、彼女の望んだ"いい子"がいるのだと。この繰り返しの果てで、"悪い子"の自分と入れ替わってくれるナニカが現れるその時を、ずっと待ち望んでいた。
貴女が、水の中から引き上げてくれるまでは。
無気力な僕の傍で、貴女は手を繋いで色鮮やかに感情を教えてくれた。
あの部屋を出て、幾度季節が巡っただろうか。
彼女の"いい子"にはなれなかった僕だけど、それでも水の外のこちら側で、貴女と共にまだ見ぬ景色をみたいと思ったんだ。
1/13/2025, 1:28:44 PM