人間は誰しも優越感と劣等感とその他の複雑な感情を抱えて生きる厄介な生物だ。
何も考えて、神様はこんなに厄介極まりない無駄の多い生物を生み出したのか考えてみても正気ではないという回答しか出てこない。
この回答も、ありきたりで面白味のない考えで劣等感が湧く。
思春期など遠の昔に過ぎ去ったくせに、考え込んでしまう。そして嫌になる。まさしく負のスパイラル。
あぁ何たる劣等感の塊よ。昔はこんなに惨めではなかったのに!?。
こんなにも劣等感の塊になった最初の原因は私の姉だろう。元々、卑屈と称される性格であった。思考はネガティブ寄りだから物事を悪く考えてしまう悪癖持ち。
対して姉は、優美そのものだった。
誰にでも優しく慈悲深い。美しい顔立ちで、成績優秀。運動はあまりできないが、姉の場合は欠点が欠点ではない。そこも親しみやすいと褒められていた。
当然、中学生時代は比較されたものだ。人のことを見世物かのようにジロジロと見てきて、去る。
半年も経てば、自称姉の真の妹を名乗る不審者な先輩が甲高い猿のような声で酷い罵倒を浴びせる。
教師らは、私に姉のように頑張れと言う。比較とは残酷なことなのだ。
姉とは、家でも外でもあまり喋らない。
しかし、あれは褒められることが大好きで人に慈悲を与えることに対し優越感に浸っていることを私は知っている。
あの聖母マリアを彷彿とさせるような顔の下に確かに悦を感じているのを、私は、私だけが知っている真実と本性なのだ。
劣等感と優越感。果たして何方が美しいのか。
比べるのも馬鹿らしい候補の2つだが、芸術家として活躍し美とは何かを追究する私にとって、少しだけ考えてみたくなってしまった。
7/13/2024, 1:41:06 PM