望月

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《善悪》《生きる意味》《刹那》

 それを定めるのは、いつの時代も人だ。
 神が定めたからでも無く、法が定めたからでも無い。
「殺人は善いことだ」
 そう神が言ったとて、それをそのまま受け入れる人もいれば、否定する人もいるだろう。
 それはそうだろう。
 命を奪われるのは、人々であっても神々ではない。当事者になることすらない神がそう言っても、人はその決断を嗤う。
 お前は何も知らないな、殺される人の気持ちがわからないからそう言えるのだ、と。
「お前は間違っている、殺人は罪であり悪しきことだ」
 そう人は神を否定して、結局のところ善悪を自ら定めるに至るのだ。
 法で殺人を善としたとて、同じことが起こるだろう。
 法を定義した者は実際にそんな環境に至ったことがないからそう言えるのだ、と人々はそう考える筈だ。そうなれば矢張り、人によって殺人を悪とされるのではないだろうか。
 生きる意味もまた、それと似たことだ。
 誰かがその生を求めるが故に、生きる意味は生まれる。
 その生を認めるが故に、生きることができる。
「お前なんていなくなってしまえ」
 その言葉一つで死を望んでしまう人もいるだろうし、そんな言葉なぞ知ったことかと無視する人もいる。
 つまりはそういう事なのだ。
 たったその時に世界に発された言葉が、誰かの生の在り方を変えてしまうこともある。その一方で、たったその時の言葉なだけだとして生の在り方の変わらないこともある。
 一刹那の気の有り様で人は変わることも選べるし、変わらないことも選べるのだ。
 善悪というのもそれと似ているのではないだろうか。
 そんなことを、夜眠る前に思うことがある。

4/30/2024, 10:00:22 AM